声をかけようにも、相手の立場もわからずで
思い浮かぶ言葉も特に無く。まるで頭にモヤがかかったように想像できない、分からない。
ひたすら「もう怖くないですよ〜、これからは今までと違いますよ〜」というようなことを念じていた。


声かけに手応えを感じないまま、
今までにもらった資料を見返したり、音読会の音声データを聴いたりと模索しながら時間は過ぎた。

何がきっかけだったのかは分からない。
取り組みから2ヶ月過ぎたころ、ある日突然、対人の恐怖感が薄れた。少しずつお札に乗られていたのだそう。



それからまた数ヶ月、
何故自分は、何気ない言葉に強い気持ちを抱いたのだろう?と思う出来事に直面した。というか、前々から何度かそういう気持ちになっていたことに、ようやく気がついた。

お札に乗られる方が増えるたび、頭にモヤがかかっていたのがだんだんクリアになっていったように思う。それにしたがって、声かけの仕方も徐々に変わっていった。

誰の思凝霊さんで、どのお札が必要な方なのか
自分は、普段の生活の中で どんな事に恐怖し、怒るのか 
今までの人生で、つらい時期にどのような気持で生きていたか
自分の普段の日常で引っかかった出来事、何か問題が起きた時の気持ちとか

自分の分析をしながら、語りかけてみる毎日。
一方的な声かけだけれど、時々ホロッと涙が滲んだときに、
あぁ、誰かの気持ちに近づけたのかもしれないと思う。