お気に入りの腕時計のベルトが傷んでしまったので

交換しようと持って行ったら、

取扱会社とのライセンス契約が切れた?

とかで、

「部品がもう手に入らないかもしれません。」

と言われてしまった。

しかも、少し特殊な形らしく

汎用性のあるベルトもつけられないかもしれないと。



若干のショックを受けつつ、

ダメ元で問い合わせをかけてもらった。

数日待って

手に入りそうという返事を貰えたんだけど(神様ありがとう!!)、

「本国からの取り寄せになるので、2、3ヶ月かかります。

メーカーのタイミングなので・・・

はっきりとした時期が分かりかねるのですが・・・」

だって爆笑




でも諦めかけてたお気に入りの時計がまたはめられるんだもん、

喰い気味で

「取り寄せてください!」って言ったよね。

2、3ヶ月なんて余裕だわ、いつまでだって待ちます!ぐらいの勢いだったわ。






電話を切った後、

2、3ヶ月を焦らないんだなぁ、私。

と思った。

前はもっと

何かに焦るような

いつも何かに追い立てられているような気持ちが大きかった気がする・・・



時間がかかることが大嫌いで

いつも「早く 早く」って思っていたような気がする。

欲しいものは、今すぐ欲しい。

嫌なものは、今すぐ変えたい。



2、3ヶ月かかるなんて言われようものなら

「なんでそんなにかかるわけ!?飛行機使えばすぐでしょうが!!!ムカムカムカムカムカムカ

ってプリプリしていたような気がする。






この頃、

そうやって焦る気持ちが減ってきたかも。

今はお金がなくても、数ヶ月後にはちょっとずつ貯まってるでしょう、とか

今は忙しくても、季節が変わる頃には状況も変わっているだろう、とか

今すぐどうにかならなくても、大丈夫。

っていう感じがある。



余白を持てるようになってきたのかも。

腕時計なんて、まさにその余白の部分で

使えなければ他の腕時計を着ければいいし、

最悪、なくても携帯見ればいいし。

って思ってるから、なんの焦りもない。






私は長らくこの 余白 が欲しくて欲しくて

いつも

どうやったら余白が持てるんだろう?って試行錯誤していた。(今も)

落ち着き とも言い換えられると思うけど、

咄嗟のことにも動じない、慌てない、

そんな自分になりたくて

いつも自分を反省している。











色々と考えを巡らせていた中で

「自分のことばかりになっていたな」

と思った。





自分のために自分を満たす。

ということをしていた気がした。



自分のために自分を満たしていても、

自分だけで終わりで



それよりも私は

周りにいる人のためになりたい、

誰かのためになりたいと思ってるんだから

そのためには自分を満たすことは前提条件!ぐらいに思っていないと

ダメじゃん!

って急に思った。

(思ったのと同時に

大好きだった安野モヨコ先生の「美人画報」で

『漠然と「綺麗になりたいな〜」と思っているより

「目標モテ!しかもモテモテ!

だから綺麗は最低条件!」

ぐらいに思った方がやる気が出る。

それは

「お腹がすいたよぅ」と布団の上で転がっているのと

財布持ってスーパーに行くぐらいの違いがある』

って書かれたページを思い出した。

それとまったく同じニュアンスなの!私の中で!!)






笑わせてあげたい

って唐突に思った。

誰かを笑わせたい、と思ったことは皆無で

(関西人全員が面白いこと言えると思うなよ?)

ユーモアというよりは

全てをシリアスに受け止めがちな私だけど、

なんで笑わせてあげたい、なのかっていうと

緩ませたい、っていうことなんだと思う。

だから大爆笑してもらうためにトーク力を磨く、っていうよりも

喜んでもらうことをする、に近いのかな?

それは今までもしていることで

例えば家族の好物を作る、とか

好きなおやつを用意する、とか

(食べ物ばっかやんww)

そういうことなんだなぁ。






まだ思ったばっかりで経験値ゼロからのスタートだけど、

ゆっくりゆっくりやっていこう。