ラーゲリより愛を込めて

 

を観てきた。

 

 

 

 

 

 

 

舞台挨拶の回ラブラブ

(東京の映画館と同時中継してくれてた!

ありがとう!ラブぽってりフラワーお願い

 

 

 

もし自分が現場の映画館にいたら…とか想像したらヤバかった笑

演者さんが、映画館の座席中の通路を通って舞台に上がっていくなんて!ラブラブラブキューンキューンキューン

 

さすが演者の皆さん話上手で、

映画が楽しみになるような話がたくさん聞けたし、

主題歌の生演奏もあって、

中継映像だけでもすっごく楽しめた!

 

 

 

特にニノの最後の挨拶、

めちゃくちゃ気持ちがこもってて、それが伝わってきてじーん泣き笑い

 

何故か無意識のうちに

ニノは

『映画はたくさんある仕事のうちの一つ。よかったら観てね!』

っていうスタンスなんだと思い込んでいた。

(そんなこと、あるはずないんだけど泣くうさぎ)

 

色々なインタビューを見聞きして

彼が作品とどうやって向き合ったかを

字面として

あるいは音として

取り込んでいたつもりだったけど、

最後に本人の熱量を感じることができて初めて

 

きちんと想いを込めて演じて、作ったものなんだ

 

としっかり感じられたのが、

私的にはすごくよかったな。

 

 

 

 

 

物語の中で

ニノが演じた山本幡男さんは

種を蒔く人、蒔き続けた人

なんだと思った。

ラーゲリ(強制収容所)という場所で

人間らしい生活や

幸せや自由からかけ離れ、

毎日、毎分、毎秒、絶望と直面しながら生きる時間にあっても

自身が生きる希望を捨てないことはもちろん、

自分の周りの人も希望を持てるように

種を蒔き続けた人。

 

 

 

 

 

種って

優しさだったり

励ましだったり

愛情だったり

その人の幸せを願ってかける声。

 

 

 

 

 

あたたかい気持ちを

願いを

言葉を

そっと渡す事。

 

 

 

 

 

その気持ちが

願いが

言葉が

相手の心に根付いて、育っていく。

 

 

 

 

 

育っていくこと。

 

 

 

 

 

常に死と隣り合わせのようなその状況で

その状況だからこそ

「育つ」

そこに、生命力を感じることができるからこそ

希望になるんだなと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特に印象的だったシーンが、ふたつあった。

 

 

 

 

 

松坂桃李くんが

ロシア軍に山本さん(ニノ)の診察を求めて、ストライキを始めるシーン。

 

 

 

 

 

桃李くんは

戦場で目の前で友達を殺されて、

怖くなって逃げ出した自分をずっと責めていた。

責めているからこそ

「見て見ぬふりをする自分」に、誰よりも気付く。

 

 

 

 

 

「また逃げるのか」「卑怯者」

「仕方がない。自分は無力だから。」

 

 

 

その繰り返しが幾度も

彼の中で巻き起こっているんだろうなと感じた。

 

 

 

 

 

そんな彼が、

山本さん(ニノ)のために自分の危険を顧みずに行動した瞬間は

自分を超えた瞬間だったんだと思う。

 

 

 

 

 

彼が

そんな行動を取ることができたのはきっと

山本さん(ニノ)の蒔いた種のおかげだったんだと思う。

 

 

 

温かい眼差し。

その種を受け取って、

自分を超えるための勇気を持てたのもあると思うし、

山本さん(ニノ)に助けられた、と感じるようにもなったんだと思う。

戦争で家族を失って

何のために、誰のために生きるのか分からなくなってしまっていた中で、

「誰かのために」

桃李くんは再びそう思えたことで

力を取り戻したのかもしれない。

 

 

 

「誰かのために」

その気持ちが、どれほど人に力を与えるか。

人間は、誰かのために何かをしたいと

自然と思う生き物なんだということを

改めて強く感じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ

印象的だったシーン。

 

 

 

日本に残してきた奥さんと、出征時にまだ生まれていなかった子供。

大切な家族が亡くなってしまっていたことを知って

自暴自棄になった桐谷くん。

『何で生き続けなくちゃいけねぇんだ!

こんな所で生き続ける意味は俺にはもうなにもねぇ!』

そんな桐谷くんに、山本さん(ニノ)は言う。

『何もなくても!それでもそこには絶対希望があるんです!』

(予告にも入っているシーン)

桐谷くんの『お前に俺の気持ちがわかるか!』

という言葉が胸に刺さる。

どん底の時に、正論は受け入れられない。

こんなときにはどんな言葉をかければいいのか、

よく考えるけど

私はまだその答えを持たない。

 

 

 

いつも正しいことを言う、前向きな山本さん(ニノ)が

病に倒れて余命宣告された時、

初めて絶望を口にした。

初めて諦めかけた。

そんな山本さん(ニノ)に、今度は桐谷くんが

『生きろ』と言う。

 

 

 

 

 

このシーンを観たとき

種は育ち、花を咲かせ

新たな種が蒔かれるんだな、と思った。

山本さん(ニノ)が桐谷くんに渡した種が

桐谷くんの中でゆっくりと育ち、

今度は桐谷くんから山本さん(ニノ)に渡されたように見えた。

 

 

 

 

 

人間は一人では生きられない、ということ。

自分が弱ってどうしようもなくなったとき、

周りの人間に助けられ、支えられ、自分を取り戻せることがある。

一人で肩ひじ張って生きているようで

一人では生きていない。

種を蒔いて

種を蒔かれて。

想いを渡して

想いを受け取って。

想いをやり取りして、

人間は生きていくんだな、と思った。

 

 

 

 

 

何気ないやり取りに見えても

そこに温かいものがあれば

種を蒔きあえているのかもしれない。

その種が、いつか自分の支えになってくれるのかもしれないし

その逆もあるのかもしれない。

 

 

 

 

何気ないやり取りで何気なく種を蒔くことは

今までも できていたかもしれないけど、

これからどうしたいか?と考えたときに

私も

山本さん(ニノ)のようになりたい、と思った。

山本さんのように、というのは

意識して種を蒔く人

ということ。

本当は、逃げたいかもしれない。

本当は、諦めそうかもしれない。

でも、理想の自分(山本さんのような自分)だったら、

どんな声をかけるのか。

どんな種を蒔くのか。

そう考えて、行動すること。

そう考えて、希望を捨てないこと。

 

 

 

答えはどこにもなくて、

自分で答えを出すしかなくて、

考え続けることは

苦しくも感じるんだけど、

私は最近そこに楽しさも感じる。

考え続けることこそが

人間の尊厳だと、山本さんも思っていたんじゃないかなと思う。

ラーゲリでも、山本さんが決して失わなかったこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はずっと

「言葉にすること」を大切にしてきていると思うけど、

この映画でも「言葉にすること」の大切さをとても感じた。

「言葉にすること」にも

正解や答えはどこにもなくて、

自分で追及するしかない。

自分で磨いていくしかない。

種を蒔くために必要なのは

想いを伝えるために必要なのは

言葉だから。

 

 

 

 

 

時を超えて山本さんの言葉を感じることができること、

その言葉が現代を生きる私たちの胸を打つこと、

本当にすごいことだと思う。

私も

山本さんから受け取った言葉を自分の中で育てて、

誰かに渡していきたい。

そんな生き方がしたいと強く思った。