仕事頑張るぞ。

って決めて

自分の日常、リアルの世界、

そっちに自分の意識やエネルギーを使ってきて

もう1年ぐらい経ったのかな。

 

 

 

周りからの信頼や、自分の成長を感じられたり

達成感や充実感を得たり

周りに居る人を大切にしたり。

そういう営みが嬉しかった。

ネットの世界じゃなくて、リアルの世界でそれをすることは

より「自分の力で成し遂げた」感を強く感じられて

嬉しかった。

 

 

 

でも、嬉しいことばかりじゃなくて

日常では、些細なことで摩擦が起こる。

火種に風を送ったり

火に油を注ぐようなことはしないけど、

胸にざらつきを残したまま

日々を送ることも少なくなかった。

そのざらつきは

澱みになり、私の心にいつまでも残った。

心の澱みが増えるに連れて

私の余白は失われ、

自分以外のものを受け入れがたくなった。

自分以外のものに感じる違和感を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは

「深く繋がれない」という違和感。

 

 

 

 

 

深く繋がれなくても平気な人達。

それをなんとも思わない人達。

きっといっぱいいるんだろう。

でも、私にはそれは致命傷だったみたいだ。

みるみるうちに私は枯渇した。

枯渇するから、誰かと深く繋がろうとすることを避けてしまって

また枯渇する。

そんな負のループにはまってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やばいなぁ

やばいなぁ

どっかで、カウンセリングとか受けた方が良いのかも?

と近くの心療内科をググったりもしていたんだけど、

そんなときに、由香さんがセッションを募集していることを知って

駆け込み寺よろしく、由香さんに泣きついた。

 

 

 

 

 

由香さんとLINEでやり取りさせてもらっただけで

私は落ち着いた。

枯渇状態だったところから、自分を取り戻した。

こうやって、ブログを書こうと思えるぐらいに。

 

 

 

 

 

由香さんは、今までのやり取りから私の特性もよく理解してくれていて、

やり取りしながら今の私の様子を感じてくれて、

誰かと深い部分で繋がり合って、互いを響かせ合うことこそが

私の気力の元だと言ってくれた。

そして実際にその通りの体感が、私にはあった。

 

 

 

 

由香さんが書いているみたいに、

セッションを提供する側が上で、受ける人は下で。とか

なにかを教える、教わる。とか

そういうイメージが付きまとうから、

『セッション』っていう響きが私も苦手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人と相対するときに

対等でありたい。

深い部分で繋がり合いたい。

 

 

それが私の願い。

 

 

 

 

 

でも、

上下関係や今までの習慣や

周りの空気を読んで、こうする方がスムーズだから。とか

無駄に波風を立てない方がいい。とか

理解しあうことに時間がかかりそうだ。とか

そんな色々があって、

それが叶わないことも、ままある。

 

 

 

 

 

叶わないことを

叶わなくても、まぁ仕方ないねって

我慢して、我慢して、我慢してたから

辛かったんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我慢せずに、ブログを書けばよかったのかもしれない。

でも、書けなかった理由もあった。