私の誕生日のときの話。

 

 

 

 

 

上の子がふざけ半分に

「ママに密着インタビューだよーうさぎのぬいぐるみ

って言いながら、色々質問してくれた。

その中のひとつに

「自分をひとことで表すとなに?」

っていう質問があった。

 

 

 

 

 

そのときに、少し考えて出てきた答えは

『成長したがり』

だった。

 

 

 

 

 

自分の口から発したことで、改めて

「成長」が自分にとって大切なんだ。と感じた。

私は「成長」を欲している。

 

 

 

 

 

私のモチベーションって何かな?

と考えたときに、

「成長」は切り離せない要素だと思う。

夢や、これからやりたいこと

みたいな未来のことを考えたときの

ワクワクを原動力とするよりも、

前はできなかったことができるようになった、っていうような

過去から現在のことを振り返り

成長してきた自分を労い、

よし、引き続き頑張るぞ

って思える気持ち。

そっちを原動力にする方が

私にとっては簡単だし、

そういうことを勝手にずーっと考えている。

 

 

 

 

 

夢を持てないこと。

未来を描けないこと。

本気で取り組めないこと。

 

 

それが私の悩みだった。

これから

どこへ向かえばいいのかわからない

そう ずっと思っていた。

 

 

 

 

 

だから

「もっと成長したい」とハッキリと思えるようになった

(自覚して望めるようになった、って感じかな?)

こと自体が

私にとってはものすごく成長だと思う。

 

 

 

 

 

思えば、私はずっとパッとしない人生だった。

強く望むものもなければ

大きな目標を掲げることもなかった。

強く望まなくても

大きな目標を持たなくても

そこそこ幸せに生きてこられた。

それは私がずっと温室にいたからだ。

父が作ってくれた温室で守られてきたからだ。

 

 

 

 


望まずとも何でも与えられて、

口を開ければごはんを与えられる雛鳥のように

何不自由なく育てられた。



そりゃ母親を亡くすっていう辛い経験はあったかもしれないけど

だからといって路頭に迷うこともなく、

逆に、部活みたいに

苦しい経験や

真剣に取り組むことからは免れ続けて、

(「部活よりも家事をしなさい」っていう大義名分もあったし)

友達関係で人並に悩むことはあったけど、

特に努力しなくても学校生活を平凡に送ることができた。

努力することなく進学も就職もできてしまった。

ずっと

「頑張る」ってことをしなくても

困ることがなかった。

 





なんでも与えてもらえる環境

そこに居るときには

それがどれだけありがたいことかもわからず

感謝もできず、

ぬるま湯に慣れ切って、

苦しい思い、辛い思いからは出来るだけ逃げてきた。

でも今は、

自分から苦しい思いをすることをあえて選び

損をする道を選び

血が出るまで、自分で苦しんで考える

そういう道を選びたい。

そうしなければ成長はないと思う。






前の自分だったら、今の自分をどう思うかな?

と考えたときに、

私は昔から

損したくない!とはあまり思わない。

だから、損を選ぶことへの抵抗はないけど

モチベーションに対して

『そこまで頑張れるのって、なんで?』

って、そこを知りたいと思う気がした。






なんで頑張れるのかな?

頑張ろうって思えるのかな?

それを考えてみたら

「苦しいけど頑張る」のって、楽しいんだよな。

だって、成長できるから。

と思った。

だから今の私は

成長できることが楽しいことだと思ってて、

その楽しさを感じたいから

苦しさも辛さも選ぶことができるし、

それがモチベーションなんだなぁと思う。

なんか、堂々巡りな感じがしてきたけど

これはたぶん良いサイクルな気がする。






ただ、頑張り過ぎて、やり過ぎちゃうのが難点。

そして

やり過ぎたところで

それが周りから求められてなかったら、

「ただの趣味」と揶揄され、評価もされない。

それが社会。

あぁ、世知辛いね…泣き笑い泣き笑い泣き笑い












京都水族館のカラージェリーフィッシュ(クラゲ)ちゃん。

可愛かった💕