子供たちと久しぶりに会って

思ったことがある。




私は離婚してから

「子供たちのために」って何かをすることを

過度に避けていた。

「子供たちのために」とはそれ即ち

自分を犠牲にすること

自分が我慢すること

に直結していて、

だからこそ やりたいと思えなかったりした。

自己犠牲がいきすぎたことが、離婚の原因の一つだと思っていたから

それをやめたかった。

「誰かのために」じゃなくて

「自分のために」を優先したかった。











私が!

私が!!

って主役を求める時期が終わったのかもしれない。

と思った。

明らかに、子供たちの「人生の主役感」が強くなっていた。

それは、当たり前のことだ。

彼女たちにはまだこれから、冒険や夢や希望が無限に広がっているんだから。

自分の人生に悲観的になるとかではなく、

それが事実。




私はこの彼女たちの「人生の主役感」にこそ、

打ちのめされていたのかもしれないと思った。




私が無駄に食い潰してしまった時間。

私にもあったはずの未来。

私にはもうない未来。




彼女たちと一緒にいると、

そんな見たくないものを突きつけられて

絶望感に襲われるのが怖かった。











私の人生は私が主役というのはずっと変わらない。

今までも。これからも。




でもそれを、

見て見て!とか

すごいでしょ?って

外にアピールする必要もなければ

それをするような時期は過ぎたんだと思う。

私はそれを思いっきりやりたかったし、

一番やっていたのがアメブロだった。






なんか今はもう、そういうのが本当にどうでもいい。






自分で勝手に感じて、

自分の中で勝手に考えて

生まれてくる言葉を書き残せれば

それでいい。