クリスマスなので

娘ズに手紙を書きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3人でのパーティーは先週済ませたし

プレゼントも渡したけど、

今年はもっと気持ちを伝えたくなって。

 

 

 

 

 

最近は

子供たちにあまり手紙を書いていなかったなぁと反省もしつつ書き始めたら、

思っていたよりもずっと

他ならぬ私にとって味わい深い時間になって、

とても幸せを感じました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供たちに手紙を書くとなると

いつも決まって

 

 

 

大好きだよ

そのままでいいよ

そのままがいいよ

ママの娘でいてくれて

一緒に過ごしてくれて

ありがとう

 

 

 

そんな想いになるんだけど、

少し今年のことを振り返ってみて、

コロナの影響もありはしたけど

特に秋からは

運動会も授業参観もあったり

レゴランドへ行ったりと

以前のようにアクティブにも過ごせたし。

もちろんおうちでも、

一緒に料理をしたり、カラオケしたり、

ゲームしたり、映画を見たり、

色々楽しいことができた。

 

 

 

そんな楽しかった時間がもちろん浮かんでくるんだけど、

私の中では

長女と次女、それぞれの

成長もすごく感じた一年だったなぁ、と思った。

 

 

 

 

 

長女の感性が、より際立ってきているように感じて

もう思春期といわれる時期だし

その感性はもっと鋭く敏感になるだろうから

そのせいで辛い想いをすることも、もしかしたらあるかもしれないなぁ

とか

今まではただただ可愛いだけで(赤ちゃん的な、マスコット的な)

楽しいことは大好きだけど面倒くさがりな次女が、

自分から学校の作文の選考にチャレンジして

そのために書いた作文を読ませてもらったら、

思っていた以上にしっかりと自分の言葉を使っていて驚いた

とか

 

 

 

そんな、それぞれの

複雑さが増している

人間らしさが増してきていることが

すごく、成長だなぁーと感じられて。

子供たちそれぞれの感性に触れられることも

とっても、とっても、幸せだなぁーと感じた。

 

 

 

 

 

子供の感性は、

瑞々しくて、生まれたてで、剥き出しで。

それがとてもいい。それが、いい。

自分にもそんな頃があったことを思い出させてくれる、そんな貴重さがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長女がこの間言ったんだ。

本読んで、感想を言い合うのって楽しいよねぇー😊

って。

 

 

 

 

あれ?私その話したっけ?

と思ったけど

してても、してなくても

どっちでもいいや!とすぐ思って

そうだよねー!😊

と答えた。

 

 

 

 

 

最近は

私が読んだ本を長女に貸すことも多くて

この間

『そして、バトンは渡された』を貸した。

 

 

瀬尾まいこさんは、私にはちょっとライトすぎて物足りない(ドロドロ好きなのでww)

んだけど、映画の予告が気になりすぎて読みました昇天

温かい気持ちになれる作品。長女が読むのには丁度いい気がするなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私がずっと悩んできたことは

家族

に関することが多くて

家族に、自分の感じていることが言えない。

自分の想いが伝わらない。

わかってもらえない。

伝えたくても、

大切だから。愛しているからこそ、言えない。

愛しているからこそ、嫌われたくない。

でも、愛しているからこそ、知って欲しい。

 

 

 

 

 

そんなグルグルの中にいることが多くて

そのことにとても傷付いてきたし、

苦しいと思っていた。

 

 

 

 

 

家族に言えない胸の内を

ブログには、書けた。

だからブログを通して

私は、家族にいつも訴えていたのかもしれない。

私のことを、ちゃんと知って欲しい。

私のことを、もっと理解して欲しい。

そんな悲痛な叫びだったり、

子供みたいな

拗ねからくる八つ当たりだったり、

そういうものもたくさん表現してきたと思う。

 

 

 

だから

それをずっと読んでくれている画面の向こうのあなたは

私の家族になってくれていたんだと思うんだ。

 

 

 

 

 

疑似家族と言われても。

一時的なものでも。

 

 

 

 

 

あなたはいつだって

私の表現するどんな想いだって

「それでいいよ」

「そのままでいいよ」

そう言ってくれていた。

そう伝えてくれていた。

 

 

 

 

 

だから私は、

自分の感じることを殺すことをやめられたし、

自分のことも信じられるようになったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供を手放した私は

子供を愛しいと感じる自分の気持ちに

自信が持てなかった。

 

 

 

 

 

家族を遠ざけた私は

家族を大切だと感じる自分の気持ちを

いつも疑った。

 

 

 

 

 

ひとりを選んだ私は

友達や仲間に対峙するときの自分を

いつも見張った。

 

 

 

 

 

そのことが、いつもいつも

私自身を苦しめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、

ブログで表現すること。

ブログ上で繋がった人を家族のように感じること。

そのことで、私はすごく癒されたし

自分の愛をしっかりと信じられるようになった。

強い気持ちで信じられる、確信できるようになった。

 

 

 

 

 

見返りを求めることなく愛情をかけること、

見返りを求めない愛情を受け取ること、

そういうやり取りをしてくれた人たちのおかげです。

 

 

 

 

 

ここで見つけた、家族的な繋がりのおかげで

私は、ブログでだけじゃなくて

日常、暮らしの中で、

誰かと一緒に過ごす時間の中で、

私らしくいることを許せつつある。

 

 

 

私が、家族と一緒に重ねたかった時間。

私が、家族と一緒のときにいたかったじぶんの態度、在り方。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで

「自分らしく」って聞くと

子供の頃の自分に戻るみたいに、

自由だったり、感じたままだったり、

そのままで表現すること。

みたいに思っていたんだけど。

 

でも、私だけが私の感じたままで行動しても、

周りの人の感じることまでを大切にできなかったら

意味がないと、今は思う。

 

 

 

私にはいままで重ねてきた人生があって

過ごしてきた時間がある。

経験がある。

 

自分の感じたことをベースにはするけど、

自分の経験

それを持って、

それも活かして、

自分だけじゃなくて周りの人たちの気持ちも

大切にできるような自分でいたいな、と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは、立派な自分になるとか

正しい行動をするとかではない。

子供たちにも、そんなことを言いたいわけじゃない。

 

 

 

どんな想いも大切にして

どんな自分も大切にして欲しい。

立派じゃなくたっていい。

正しくなれなくてもいい。

それでも

「そのままでいいよ」

ってこれからも、子供にも自分にも、言いたいから。

それを言い続けるためには、

何よりも自分が正直に生きていかないといけないと思ったから。

そう思わせてくれる存在が居てくれることを、

本当に感謝したくなった。

 

 

 

 

 

私はブログで

すごいと思ってもらおうとか

好きだと思ってもらおうとか

そういう気持ちで表現したことはなくて、

それがそのまま、子供たちに接するときの態度に

出来るようになってきたように思う。

だから手紙を書く時も、

良いことを言おうとか、立派なことを伝えようとかは思わなかった。

 

 

 

あなたのことが大好きだよ

あなたのことが大切だよ

あなたのそのままを、大切にしてね

 

 

 

それだけ。

私が伝えたいことは、それだけだった。

それ以外に伝えたいことがないくらいに

伝えたい気持ちだからこそ、

懸命に向き合うし、正直に湧いてくる気持ちを書いた。

これからも

子供たちにも

自分の気持ちを大切に、正直に生きている姿を

ただ見せられたらいいな、と思う。

それが今の私が思う、「私らしい」生き方、態度

だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クリスマスにアップ出来たらよかったんだけど爆笑

ちょっと過ぎちゃった。

 

 

 

 

 

いろいろ いろいろあるけれど

これからも私は

自分の感じたことを信じていこうと思います。

そういう生き方を、私が望むから。

その生き方で、人のことも幸せにしたいと思うから。

「したい」と言いながら、できていない自分に凹むこともしょっちゅうあるけど

数は決して多くないと思うけど、幸せにしたいと思える人がいることに

感謝します。

いつもありがとう。

 

 

 

 

 

 

ことあるごとにお花をくれるゆーりんにも

感謝。