昨日、ゆーりんがお休みを取ってくれて
1日お出かけしてきたよ。
 
 
 
 
 
「13日に出かけよう!」
って決めてから、ふたりで色々調べてたの。
そこで毎年3月13日に、
比叡山延暦寺で護摩焚きをやっているっていうのを知りました。
 
 
 
比叡山大護摩供大法要
比叡山の春の訪れを告げる春一番の行事で、
西塔峰道の伝教大師尊像前広場にて大護摩壇を設け、
天台座主猊下を大導師に仰ぎ、
世界平和と皆様方の諸願成就を回峰行者様による祈願大法要です。
 

 

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これが護摩木って言うみたい。

 

 

 

この炎🔥を見ながら、

「たぎる」とは?とまた考えていたアタス真顔(真面目)

 

 

 

 
お経を唱えながら護摩木がどんどん投げ込まれる様子。
 
 
世界平和を祈ったよ!!!
 
 
 
 
 
おそらくガチの信者さんしかいない中に
パンピーの我々ふたりが紛れ込んでしまって
浮きまくり感あったけど・・・
 
フリースタイルのお経ラップみたいなのも
見られて(見せもんじゃねぇぞ!)
すごかった。
なんか、すごかった。
絶対日本語には存在しない発音とかしてた。
お経のフローに乗って身体揺らしてたし。
あのお坊さんは、海外で特別な修業を積んだ異端児なんじゃないか?
とか妄想してゆーりんと盛り上がった。
 
 
 
 
 
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近江牛ランチ食べたよラブ
めちゃくちゃおいしかった!!!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私、ゆーりんと一緒に居るときにね
たぎる彼と付き合ってたときのことと
よく 比べます。
 
たぎる彼とのことはこちらをどうぞ ▼▼▼
比べちゃダメ!とか、やらない。
もちろん、前付き合ってた人はあーだった、こーだった
なんてことをゆーりんには言いません。
ただ
あの時はあーだったな、今はこうだな
って自分の中で考える材料にしているって感じ。
 
 
 
それで昨日も思い出していたんだけど
前は、
彼のことが好きすぎて、ガチガチになっていたんだな
って思った。
こんなこと言ったら嫌われないかな?
変じゃないかな?
って思いすぎて、自分から何も話せなかった。
彼の理想の自分でいたくて
常に気を遣ってた。
 
 
例えば
「マックのハンバーガーが食べたい」って言えなかったの。
ジャンクなものを食べるなんてって幻滅されそう。
せっかく一緒に食事をするのに、そんなのやだって言われそう。
高いものをご馳走してもらうのが、イイ女だし。
でも、奢ってもらって当たり前とは思ってない感は、出さなきゃ!
そんな考えが巡りに巡って、すごく忙しかった。
 
 
それぐらい、好きだったの。
壊したくなかったの。
一緒にいたかったの。
 
 
 
 
でも、ゆーりんと一緒にいると
そんな自分がとっても苦しかったし、
窮屈な思いをしていたんだって気付く。
まるでずっと台詞を言っているような自分。
正解を出し続けなきゃと思っている自分。
まちがいさがしをし続けている自分。
 
 
 
 
 
ゆーりんには
今日マック食べたよーって言えるし
(そして「いいなぁ」って言われる・笑)
食べたいものを言えるし
「運転してもらったから、私がご馳走するよ」って言える。
 
 
 
 
 
前は、助手席で寝ちゃったら罪悪感がすごかった。
今は、「寝ちゃった(笑)」って言える。
 
 
 
前は、イライラしている自分はダメだから、
抑えようとしていた。
今は、イライラしているままでいる。
 
 
 
前は、フリースタイルお経ラップの感想なんて
言えなかった。相手に合わせた感想言わなきゃって思ってた。
今は、ディスったり、毒吐いたり、ふざけたり、突っ込んだり
それを自然にしている自分がいる。
 
 
 
 
 
ゆーりんのすべてがいつも大好き!ってわけではない。
ここ嫌だなって思ったり、
なんでそうなる!?って思ったり、
イライラしたりすることも、ある。
 
でも、それでもいいやって思う。思える。
 
 
 
ゆーりんは、私のことをめちゃくちゃ観察してくれてて
いつもデータを取ってる感じなんだと知った(笑)
私がこういうセリフを言う時は、次はこうくるな!とか
予想しているみたい。
だからたまに、それとは違うことを私がやると
「こう言う時はいつもこうなのに・・・」ってブツブツ言うから
私は「してやったりチュー」と思う。
 
気にかけてくれているって
わかるのが嬉しかった。
 
 
 
 
 
私の休みの土曜日に合わせて有給を取ってくれたことも
遠くまで運転してくれたことも
私と一緒にいて楽しんでくれることも
自然と「ありがとう」って思えた。
 
 
 
 
 
前は、一生懸命に「良いところ探し」をして
必死で「感謝のエネルギーを出そう!」とかやっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
こうやって比べると、
ことごとく今の方が
楽で、楽しくて、ゆるゆるで、愛されている
って感じられてるなって、冷静に思う。
 
 
 
 
 
でも私は、
前の私のことも
「なかったことにしたい」
「黒歴史」
とは思いたくないんだ。
だって
自分が本当に頑張っていたことを知っているから。
まちがった方向だったかもしれないけど
すごく一生懸命だったことを、私だけは知っているから。
そして、前の私が居ることで、
今がすごく幸せだなぁって感じることができると思ったから。
彼と付き合えたから、
その時の経験があるから、
今ゆーりんとのお付き合いのことを考えるときの
判断材料がめちゃくちゃある。
 
 
 
 
 
彼とお別れして
悲しくて辛くて苦しかったけど
彼のことを嫌いにならなくてよかった
と思った。
 
嫌いになりたくて、恨みたくて、呪いたくて
忘れたかったけど
その反面で
嫌いになりたくなかったし、恨みたくなかったし、
呪いたくなかったし、忘れたくなかった。
彼のことを好きだった自分のことを否定したくなかった。
無駄だったって思いたくなかった。
 
だから、そこでも私はめちゃくちゃ頑張った と思う。
嫌いたい、恨みたい、呪いたい、忘れたい、
そんな自分のまま
嫌わない、恨まない、呪わない、忘れない。
めちゃくちゃ。ぐちゃぐちゃ。
それでも、諦めなかった。
やるしかなかった。
 
 
 
そこで頑張って本当に良かったと思う。
そこで、彼のことを嫌いになって、恨んで、呪って、忘れ去っていたなら
今、こうやって思い出して
冷静に比べられなかったんじゃないかな
と思う。
 
 
 
 
 
お別れしちゃったけど、
彼は
本当に運命の人だったし
出会うべくして出会ったし
私の成長・勉強のための人だったし
ソウルメイト?なの?かな?
そんな気した。
「感謝に変わる」
ってこういうことなんだね。
 
 
 
 
 
私にとっては、今ゆーりんと一緒にいることで
すっごく癒しが進むんだろうなぁ。
それと、答え合わせをしている気持ちになる。
すごい感謝だな。
 
 
 
 
 
私とか私に近い人たちって
「答え合わせ」が好きな人たちなんじゃないかな
と思う。
あの時のあれは、こういう意味だったのかな?とか
確認しながら進みたい人たち。
でもそのためには、経験は絶対に必要だと思う。
比べるものが必要。
これからは
「まちがいさがし(自分=間違いとする)」
みたいな経験じゃなくて、
「前向きな仮定を立てて、行動してみる」
みたいな経験を積みたいなって思った。
まだ、上手い例えが見つからない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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すっごく大きな虹がゲートみたいに見えて
「異世界転生フラグ立った!」ってはしゃいだよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ちゃこちゃんの
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