思えば私は、ずっと仲間が欲しかった気がする。

 

今まで生きてきて

誰のことをも「師」と思えないのも、

心の奥では誰もが「対等」だという感覚があるからかもしれない。

 

反射では(例えば上司や目上のに)

へりくだったり、敬ったりという対応はできるけど

冷静に

「この人って、こういう人間なんだな」

って見ていたりもする。

 

 

 

私はどんな立場の人に対しても

「対等」を求めてきたのかもしれない。

 

共感したいっていう欲求だって、

年齢とか立場とかをぶっ飛ばして

感じることだから。

 

 

 

 

 

だから、

力を貸してもらうっていう存在である

「親」や「講師」、「先生」と呼ばれる人たちにも

私はこれだけ傷を、弱いところを

見せたんだから

あなたも見せてよ

って、やってきたような気がする。

 

 

 

 

 

「講師」とか「先生」とか「コンサルタント」とか。

「解決しますよ」って謳っているいる人たちは

たぶん生徒や受講生やクライアントに

そんな弱み見せないよね。

見せられないよね。

まぁ、親も、そうかもね。

 

 

 

 

 

だから、いつまでたっても

見せてもらえないし

踏み込ませてもらえないし

共感できないし

私には不完全燃焼感が残る。

 

 

 

 

 

それが悲しかった。

 

 

 

 

 

ブログを書いて人と繋がって

エデンを見つけて

生まれて初めて「仲間」って思える人たちに出会えて

みんなが対等で

みんなに共感させてもらえて

私は本当に満たされる。

「仲間」の方が

ずっとずっとずっと見守っていてくれているっていう

確信もある。

 

 

 

 

 

「クライアントさん大切にしてます♡」

って言ってても

私はそんなんじゃ全然物足りない。

もう、そもそも立場からして物足りない。

深さがないんだもん。

 

 

 

 

 

これからの時代がどうとか

私には正直まったくわからない。

 

 

 

でも、私のやりたい繋がり方ってこれだよ。

 

 

 

「解決すること」がお仕事だから

成功したこと

うまくいきそうなこと

なんかハッピーで人にたくさん囲まれて楽しそうな場にいること

そんなことばっかり書かれたブログやSNSの人じゃなくて

 

 

 

傷たくさん作って

弱いところ、できないこともたくさん持っていて

葛藤して

怖がって

でもチャレンジしている

今こんなことしてるよって教えてくれる

そんな人

と繋がっていたいんだよ。

 

 

 

 

 

「お互い」見せあっていきたいんだよ。

 

 

 

なんで私のその後の話を自力で知ろうともしない人に、

私がお金を払って会いに行かなきゃいけないの?

 

なんで話を聞きたいって思わない人に、

お金を払って会いに行かなきゃいけないの?

 

私はもうあなたに解決していただくことは何もありません。

私は私でやってます。

(って思うことがあった。)

 

 

 

 

 

レジスタンス度をちょっとアップさせて毒吐くけど、

そもそも「カウンセラー」とか「コンサルタント」とか「アドバイザー」とか

っていう職業自体が

「あなた幸せじゃないでしょ?」

「一人じゃ幸せになれないでしょ?」

って言ってるよね。

相手のこと馬鹿にしてるよね。

上から目線だよね。

 

 

 

 

 

そういう世界の人、本当にもういいから。

私とは、住む世界が違うと思って

フォローもさっさとはずして欲しいって思う。