新月にかこつけて放った願い。

 


 

 

何の価値もないと思っている自分の能力に価値をあげたい

 

 

 

このブログを書いたときは

「共感したい」って必死で、

でもタイトルを考えたときに出てきた

何の価値もないと思っている自分の能力に価値をあげたい

この一文だけだと

「自分の能力でお金を稼ぎたい」って思っているように見える。

 

 

ちょっと違う気がする。

 

 

「自分の能力でお金を稼ぎたい」

その気持ちももちろんあるけど、

私は私の「共感力」でお金を稼げたら、満足するのだろうか?

 

 

 

わからなかった。

でも公開ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうしたら、

世界が広がった。

 




リブログ本当にありがとうございましたえーんえーんえーん

 

 

 

 

 

 

自分の能力を「ある」ことにしていいよ

 

自分の能力を「ある」ことにして、人と繋がってもいいよ

 

その許可が下りたのを

自分で自分に許可できたのを

感じた。

 

 

 

 

 

私はずっと、こういう繋がり方がしたかったんだ

 

 

 

自分の願いを初めて知った。

 

そしてすでにこういう繋がり方をしてくれている人がいたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

リブログされたから、他人から認められた!

 

いいねされたから、私の考えてること間違ってない!

 

セッションに申し込みがあったら、私の能力って価値がある!

 

じゃなかった。

 

 

 

 

 

こんなのもう耳にタコができるぐらい聞いてきたけど、

 

じゃあ実際に自分がやってみたときに

そう感じてしまったら?

 

私って、未熟なの?ダメなの?

それを感じるのが辛い。怖い。怖い。

またみじめになるの、もう嫌だよ。

 

 

 

 

 

たぶんこれは自分でやらなかったら絶対わからなかったけど、

私、無意識にそう思っていた。

 

 

 

 

 

そしてようやっとここに繋がる・・・(毎度遅い)

実際にこれやるの、結構たいへん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私自身、何回かセッション受けたことがあるけれど

不幸だったけど乗り越えて幸せになった人からそのノウハウを教えてもらう

今の苦しさを乗り越えるためのヒントをもらう

ご教示願う

っていう意識で受けていた。

 

 

 

 

 

私が欲しかったのはそれじゃなかった。

私が欲しかったのは、一緒に走ってくれる人、なんだ。

苦しさを分かってくれて、一緒に走ってくれる人。

 

それは自分自身、なんて言いません。

だって、そんなの寂しすぎるじゃない。

私はそうは思えないもの。

そりゃ最終的には伴走者が自分自身になるのがいいって思うけど

そうなるのが最高だろうけど

 

 

私たちは生身の身体をもって、

人と繋がるために生まれてきたんじゃないですか?

繋がりたいって、正常な欲求じゃないですか?

 

 

 

 

 

だから、私はこのみじめなままで繋がりたいって思い続けるよ。

 

 

 

 

解決しないセッションのお申込みを受け付けています。