自分の闇が鬱陶しいと思うとき
 
 
それは、私は誰かに光を届けられないと思うとき。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「光」を発している人が羨ましい。
羨ましい。
羨ましい。
 
 
 
 
 
私にはできない。
闇だから。
闇から光は発せられない。
この闇があるせいで、できない。
 
 
 
 
 
苦しい。
苦しい。
 
 
 
 
 
この闇が憎い。
なんでそこにあるの?
なんでずっと、そこにいるの?
 
 
 
 
 
光を発せられない私が
 
何かを発信する意味はあるの?
 
 
 
 
 
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水たまりが僕の足を濡らし続ける。
僕の不幸はしょせん、水たまりレベルの浅さだ。
海の底を見た恵梨香さんの悲しみには、まだ遠く及ばない。
 
それでも僕だって必死なんだ。水たまりで溺れないように。
誰かを無駄に憎んだりしないように。
絶望で押しつぶされないように。
誰かを意味なく傷つけたい人間なんてほとんどいない。
嫌いなやつの死だって望みたくない。
コロンバインの犯人の気持ちなんか本当は分かりたくない。
ゴキブリとだって共存したい。
できることならみんな幸せな方がいい。
みんなの幸せを願えるほうがいい。
できることなら。
 
でもできないから。
それが苦しい。
僕が不幸なのに他者が幸福なことが堪らない。
でもそれを苦しいって思える僕は、本当は世界の幸福を願えてるってことじゃないか?
幸福を願えないけれど願いたいと思うことで、僕は結果的に世界平和を祈っていることにならないか?
 
「一緒に絶望いたしましょうか」より本文抜粋
 
 
 

 

 

 

 

ここを読んだとき

すっと心が軽くなったんだ。

 

 

 

 

私は、

私のこの苦しみは

「幸福を願いたい」

から起こっているのだとわかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

私は

 

絶望とともに生きること

 

 

 

を考えてきた。

 

 

 

それは、この本を読むずっと前からで

 

 

未亡人みたいに

生きたっていいんじゃないかな

 

 

って思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

嫌いたいんじゃない。

 

それをしたら、きっと

即効性のある薬になるんだろう。

 

私は楽になれるし、忘れたふりをして生きていける。

 

 

 

でも。

 

 

 

私は、平和を願いたいんだ。

誰かを悪人にするのは

嫌なんだ。

 

 

 

 

 

だから、ずっと持っていた。

どろどろのそれが入った鍋を

かき混ぜるみたいに

何度も何度も

取り出しては眺めて

また戻して

 

 

 

どろどろに溶かして

 

 

 

 

 

それでやっぱり

私はこの絶望を、持って歩く。

それが、私が私を「大切にする」ってことだ

と思った。

 

 

 

 

 

「絶望」と一緒に生きるっていう道も

あっていいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生の無駄遣いって言われても。

 

 

 

 

間違ってるって言われても。

 

 

 

 

 

私はそれをやりにきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、

上の写真をインスタにアップしたら

著者の猪飼恭子さんからいいねもらいました♡

うれしー♡