昨日はネイルチェンジ行ってきましたラブ

 

 

 

 

施術の時間は、ネイリストさんといろいろ話せる楽しい時間。

もはや友達に会いに行ってる感じチュー

 

 

 

一度だけ子供たちを連れて行ったことがあって、

「あのときは、ママなんだなぁって思いましたよ!」

「普段は子供がいる感じが全然しないんですよねー」

って昨日言われて、その言葉が嬉しかった。

私の目指している姿ってそれだと思ったから。

他人からどう思われるか、ということじゃなくて

私の色々の判断基準が「子供優先」ではなくなってるってことだと感じたから。

 

 

 

ワンオペ育児していたとき

私は自分が輝きたいタイプなのに、すべてを子供に注いでしまっていた。

子供優先、子供ファースト、自分のことは後回し。

このままだと教育ママになっていくっていう自覚があった。

子供の意見とか聞かずに、中学受験のレールに乗せちゃったり

望んでない習い事をさせたり

「子供の将来のためだから」って言葉を振りかざして

そういうことをしそうだった。

または、お金を理由にそういうことができない旦那さん(と自分)を責める、とか。

あと「子育ては失敗できない!」っていう謎の強迫観念も強くて、

1人で重圧に耐えていた感じがあった。

 

 

 

これは自分の子供時代に経験したことがベースになっていて。

母は自分のこと後回しで癌になって、見つかった時には手遅れで亡くなった。

父は自分のこと後回しで、私たち兄弟を私立の中高一貫の学校と大学に通わせてくれた。

習い事もいっぱいさせてくれた。

それが両親の愛情だって十分わかった上で言うけど、

私がそれをやりたいと望んだかと言われれば、よくわからない。

「ここの学校良さそうだよね。どうする?」

「(この状況なら、行きたいって答えるのが正解だ)うん!行きたい!」

このパターンをずーっと繰り返してただけ。

 

 

 

だから進路を自分で考えて決めてきた感覚もない。

本当にやりたいことを「やりたい!」って自分から言って、進んだ記憶もない。

ただ自分の本音を親に伝えることが怖かった。

 

 

 

 

 

こんな経験があったから、私が子供の道を決めたくないっていう思いも

かすかに、どこかではあった。

でも「子育てとは」という「常識」や「経験」に絡めとられそうで、混乱していたんだと思う。

 

今でも混乱はする。

子供の入学式とか学校行事に参加すると、簡単に「常識」にもっていかれる。

だから学校からは離れたいというのが今の私の本心。

学校関連は元旦那さんに丸投げだけど、本当にめちゃくちゃ感謝してる。

 

 

 

子供たちが私のところに来る週末は

コントロールをできるだけしないようにして、のびのびできるようにしてる。

日常生活で、絞められているいるところが緩まるように。

ていうか、私が平日絞まっているから週末は緩んでしまうから、自然とそうなってしまうんだけどねー

でもその緩んだ状態が作られていれば、子供たちも自分の本音を話しやすいかなって思う。

先生には言えないこと、パパには言えないこと、

そういうことを「ママには話せる」ってなっててほしい。

話す場所があるという安心感を持っててほしい。

そうなっていたら本当に嬉しいし、過去の私も泣いて喜ぶだろうって思うんだ。

 

 

 

そして、子供たちがこっそり打ち明けてくれたことを

「すっごくいいと思う!応援する!」って言える自分でいたいとも思う。

それがお金がいることなら、お金をポンと出せるような自分でいたいとも思う。

だから自分に稼ぐ力が欲しい。力をつけたい。

 

 

 

子供を優先しているつもりが子供をコントロールしているっていう過去の未来よりも、

自分を優先して子供をコントロールしない今の未来の方が

ずっと楽しく、自分の望む関係が築けそうな感じがしてる。

過去の私が聞いたら混乱しそうだけどね。