就職してからは楽しく仕事していました。
この会社の先輩たちとは今も何人かとつながってるし、尊敬する大先輩たち。

ただ、これでいいのかという葛藤にも同時に襲われはじめます。
ここで、だらだら、いつまでもいていいのかというもやもや。。。。
従来型の介護に疑問を感じることも出てきました。



介護職について4年目、
中堅どころというプレッシャーとケアの方針・体制の変化。
そしてプライベートでもいろんなことが重なり、私は心が壊れてしまいます。
何も考えることができず、涙が止まらず、急に息苦しくなったり息の仕方がわからなくなり、食事の味もわからなくなります。

抑うつ状態にパニック障害、拒食症。
約3ヶ月療養しましたが、回復の兆しが見えず、退職をしました。

こんな状態で介護はできないという私の苦渋の判断です。





辞める時
「お前、よくなったらまた話をしよう。待ってるから」
といってくれた方がいました。

そのかたはがんに冒されてると知ったのは、辞めて少し経ってから。
このとき、祖母も脳梗塞で倒れてしまいます。

病院にいったとき
祖母は汗だくで徘徊していました。
そして階段前にはストレッチャーでガード。

なんでばあちゃんがこんなことされなければいけないのか

そして数日後祖母が退院します。
私は脳梗塞になった祖母の言葉が理解できず、
初めて祖母に杖で叩かれました。


このとき実感しました。

「私 何をしていたんだろう」


悔しさと、むなしさと、悲しさと・・・・・
そして、上司の容態が日々よくないといううわさも聞き、

「私には時間がない」

上司と話がしたい。
祖母と向き合いたい。

もう一度、介護をやってみたい

その一心で私は薬をすべて断ちました。
離脱症状がひどく、倦怠感や起伏が激しくなったりした状態が2週間続きました。

その2週間すらもったいなく、薬が抜けてからしたことは
「リハビリ」です。

もう一度、人と向き合うためにゴルフ場の受付や居酒屋のホールスタッフ、税理士事務所の経理補助などかけもちでやりました。
つらいときもあったけど、杖で叩かれた痛みより全然まし。

この1年で学んだこと。

「お客様に対する心遣い」です。
常にお客様に目を向け、笑顔で接客すること、気づきを声に出すこと。
言葉の使い方。

そして
「寄り添う介護の大切さ」
です。

祖母が山にいくといえば、叔母は祖母と一緒におにぎりを作り出かけました。
寝たきりになっても体をさすり、ボールを転がして遊んだり、祖母が話せなくなっても
「母さん、母さん」と何度も、最期まで声をかけた叔母。

これが介護の本来の姿なのではないか
私のしたいことはこれなんじゃないだろうか

人に対する恐怖感も減った
色んな仕事もした


それでも


それでも私は介護の仕事に戻りたい。。。。。!

退職して1年経ったころでしょうか

タイムリミットが近づいていました。
上司の体調が思わしくないと
いざ会うとそんな話ひとつもしなかったけど、私を会社に戻すことはできないといわれました。

なぜなら
うつになった私をみんな知っていて、お互いきまずいだろうと。
また、同じことになったら苦しいのはお前だと。

そこで提案されたのが、
今の会社への就職です。

もう今は亡き上司です。
それでも。

今も聞こえてきそうです。
最期に交わした約束が。




「お前の力を貸してほしい、新規の事業の立ち上げにいってもらえないか」


部長。

ここに私をおいてくれてありがとうございます。
私、かけらでも遺志を継げてますか?

たまーにキャパオーバーしても頑張る気になれるのは、部長の分も頑張ろうと勝手に思っているからです。

なーんか、タイトルと離れた内容になっちゃった^^;

へたくそな文ですが、質問されたかたに少しでも届けば幸いです。
それではおやすみなさい☆


えみー