小説「ガルガーレラ」
翌日、直樹、智美とヨンギの三人、あるいは、三人とハルは宿を出た。ヨンギには取り敢えずユニクロで買ってきた服を着せた。北朝鮮軍のパイロットスーツのまま出歩く訳にはいかない。
「気分は?」直樹がヨンギに聞く。
「ダイジョウブ」ヨンギが答える。
「さすがタフね。」智美が感心する。
急な坂道を下る。前方に美しい港が見える。
「ロンて呼んでイイ?」智美が唐突にヨンギに言う。
「いいよ」ヨンギはもう丁寧語で話すのをやめた。今の状況に極力順応しようと決めた。そのために学んだ日本語である。
浦上天主堂と原爆資料館を回った。言葉が無い。その残虐がこの時代に行われたことが事実である。あり得ないと思う。直樹は自分が人間を理解できていないと痛感した。原爆のことは勿論知っていた。だが、もう同じことは繰り返さないはずだと、思い込んでいた。しかしここに来てわかった。これが繰り返され無いと言える根拠が無い。発狂していた訳ではない。莫大な予算を費やして、国民から民主的な手続きで選ばれた大統領が原爆の投下の命令を出した。もし発狂していたのだとしたら、我々はまだ正気になってはいない。
「究極の平和を考えてたが、それどころじゃ無いな。目の前に穴がボコボコ開いてる。それを埋める作業も必要。人間、総体としては、その程度か。」直樹が呟く。「人間の本質が変わることを期待するのは無駄では無いが、それは余りに遠い未来だ。人はこのままだ。それを前提に悲劇を防ぐことを考えるべきなのだ。幸い広島と長崎の後に核は使われなかった。それは恐らく悲惨を認識したからだ。人間性が変わったのではない。俺たちのいる世界はそういうところだった。そして俺も同じだ。死んだ人々が俺にそう言う。」
「ナオは人類全体の平和を考えているんだ?アメリカを恨まないのか?」ヨンギがやや怪訝そうに問う。
「世界平和無しに日本の平和も、個人の平和もねえべ?」と直樹は迷わず答える。
ヨンギはそれ以上追求せず、そこで会話は終わった。
三人とハルは街の中心に向かう。傾いた太陽が地平線に向かう。直樹の叔父が指定した店に沈んだ気持ちのまま到着する。店の看板には、アウトブレイク!と書かれている。防音扉を開けて中に入る。
(開演前のライブハウスの情景描写 後で)
「おう!無事ついたか?」直樹の叔父が彼等に気付いてビールを持った手を挙げて呼びかける。ラフな服装だ。
「なんだよ?急に呼びつけて」直樹がぶっきらぼうにいう。
「お連れはどなた?一人多くないか?」叔父は直樹の抗議をスルーして自分の疑問を返す。そういう奴だと聞いていた智美はなるほどと思う。
「初めまして」智美は真っ直ぐ大きな声で挨拶をする。体育会系の一通りは身につけているのだ。
「トモちゃんだね。話は聞いてるよ。よろしく!」叔父は何気に嬉しそうだ。直樹は、人工生命体の話、智美の再生と能力の話をすでに教えていた。
「ロンです。」ヨンギも堂々たる態度で挨拶をする。
「逸郎だ。よろしく。ビールでいいか?」逸郎は三人にビールを振る舞う。
直樹はヨンギがここに来るまでの一連の出来事を語る。逸郎は驚きもせず単に面白がった。ヨンギのことも手伝おうと言った。
「ニュースでみたぜ。」叔父が言う。「パイロットは見つかっていないと言っていたが、違うわけだ。北と上手く交渉して貰いたいもんだ。探すから君の情報を寄こせ、ってもう言ったかね?」
「やってるぜ。」ハルが答える。
「おう、君もいたか?甥達が世話になってるな。ありがとう!」
「It's my pleasure.」とハル。
演奏が始まった。最初のバンドは下手くそだった。「あいつら何をしに来てんだ?」逸郎はちょっと不機嫌になった。下手であるのみならず、何を表現したいのか、分からんかった。そもそもその意識さえないのが明白だった。直樹も退屈を覚えたし、ヤジを飛ばした。直樹は律儀なのだ。
次のバンドは昭和のレトロなサウンドを聞かせた。逸郎は懐かしむように聞いていた。彼の少年時代の音に基礎を置いていた。完成度が高い。何をしたいバンドなのかが鮮明だった。逸郎の機嫌が直った。
三番目は若い痩せた男が、体を激しく動かしながら、印象的なハスキーな声で悲しい歌詞の歌を絶叫した。歌い終わるとゼエゼエ苦しげな様子。こいつもちゃんと、自分が何をしようとしているのか、正しい自覚を持っていた。その男にとっての重要な確信を懸命に表現していた。音もまとまっていた。総体として音楽として成立していた。
「メジャーでないという以外に、有名なアーティストに遜色のない音楽だ。」逸郎は独り言のように直樹に語る。
最後のバンドの名前は「水面下ノ音」、逸郎はそのファンなのである。 「これを聞かせたかったんだよ。」やっと逸郎が言う。
「カスだったら罰金な」直樹が本気で言う。
それまで後ろにいた客がわっとばかりにそでに近づく。期待が感じられる。とものとひかりが登場、ポジションに付く。左手にともの、道具はマックブックとエレピとシンセだ。右手にひかり、ドラムセットの奥に座る。二人だけのインストルメントバンドである。
ともののシンセの柔らかい基調中音がもにょもにょと始まり、直ぐに擦れた長いシーとズーの和音がその上に乗って来る。同時にひかりの細かいシンバルの振動がスタート。ライブハウスの空気が変わったのがわかる。水面下ノ音の空間になった。「ようこそ、ここへ。」そう言っている。客の表情が嬉しそうに変わって行く。
三種類のシンバルと二種類のスティックがひかりに操られて、シンセを援護。間欠的なバスドラがさらにそれを支える。少しずつそして自然に緊張が高まっていく。
この曲は戦いの歌に聞こえる。最初の展開は戦いの前の緊張のようである。
たとえば、洋上の空母の上、薄明の中にエンジンをアイドリングしている戦闘機達。ブリーフィングをしているパイロットたち。
たとえば、サッカーの試合の入場の行進における選手達の無言。
ひかりのバスドラは静かに高まる鼓動だ。ともののシンセは頭の中の戦闘をイメージした議論のようである。
登って行く音階。
次々に準備を整えて行く航空機達。
低い唸りを立てるエンジン。
低速で回っているプロペラのエッジマークの軌跡。
パイロットスーツを着込み、ヘルメットを被る飛行機乗り達。
左右に動き回るシンバル音。
高まるアドレナリン濃度。
足踏みをし空を見上げる選手達。
観客の歓声を懐かしいように聞き、拳を握る。
一陣の風が起き、無数の旗がはためく。
ひかりの視線が楽器ととものの間を行ったり来たりする。時々、楽器に話しかけるような姿勢を取る。
緊張が頂点に達したところで一瞬の静寂が作られ、シンバルの強打を契機に音が変わる。曲が速度を上げ、新しい旋律を迎える。シンセの背景音はダララ、ラッタラと聴こえる。打楽器が全部打ち鳴らされ短音符の嵐が空間を満たして行く。最初の気持ち良い瞬間。シンセの旋律が扇動的に流れる。
パイロット達次々に愛機のコックピットに乗り込み、
轟音を立てて空母から飛び立つ。
ホイッスルが鳴りボールがフィールドを行き来始める。
ひかりの体が上下動を始める。斜め後ろにまとめたポニーテイルがそれに合わせて揺らめく。逆光を浴びて浮かび上がるその髪の動きは神聖な生き物のようだ。腕はシンバルとスネアを中心に規則的に叩く。その二本の細腕の美しい律動的な動きが、快調な昂揚を誘うリズムを生み出して行く。ひかりの視線は一点に注がれ、耳を澄ませて自分の音をモニターしているように見える。
飛行機が上空で編隊を作りはじめる。
編隊を作った戦闘機達が作戦空域に向かって行く。
パスを回して敵のゴールに近づいていく。
ひかりはドラムを数秒黙らせてから、ダンドカスンドゥンと聴こえるスネアを中心にしたパターンを繰り返す。ひかりの両の腕がパッと左右に開いて、両方のシンバルに向かって瞬間的に伸びて行く。快音が放たれる。
敵機と遭遇し編隊が散開する。
各機が翼を翻してそれぞれのターゲットを求めて加速して行く。
ミッドフィールダーがマークの相手に付き、ボールを奪う。
ロングパスが敵ゴール前に放り込まれる。
ひかりが目を上げてとものを見る。バスドラが0.5秒位の間隔でペースを刻み、スネアとタムタムとシンバルが激しく交錯する。時々タムタムがドコドコと鳴り、聴く者を扇動する。
飛行機は敵機を追って、
空に太い綱を張るように、激しい動きを繰り返す。
そして機銃が発射される。
敵ゴール前でパスを受けた選手が華麗なドリブルで敵ディフェンダーを躱す。
そしてシュートが放たれる。
ひかりは実に素敵な笑顔で体を動かしている。時々首を左右に振るモーションが入る。それはまるで楽器に向かって、「なかなかいいよ」
と語りかけているように見える。
とものの右手から、指も縺れんばかりの早波のような旋律が作られて行く。その音はキュウキュウと胸を締め付けるような、しかし快い心臓の高鳴りのようでもある。とものの指がサインを作りひかりへ指示を送る。
最初の掃射は躱された。
最初のシュートは防がれた。
次のチャンスを捕まえに体制を作ろう。
戦うのは楽しくないか?
ひかりが両手を突き出してサインを了解したことを楽しげに表明する。
ドラムもシンセもひたすら激しさをまして行く。客は皆、身体を揺すっている。
空の至る所で騒々しい航空機の爆音と激しいターンがもつれ合う。
凡ゆるテクニックが駆使される。
華麗な急上昇と急旋回の交錯。
忍耐の回避ターン。
躱しながらも敵の隙を伺う。
そして何度目かの掃射で敵機が火を吹き、
あるものは四散し、
あるものは黒い煙を曳いてキリモミで墜落して行く。
フィールドの至る所でボールの奪い合いがある。
凡ゆるテクニックが惜しげもなく繰り出される。
身体が二つあるかのようなフェイント。
意表を突いたスルーパス。
イナズマのようなボレーシュート。
そして何度目かのシュートが敵のゴールネットに突き刺さる。
一瞬の達成感と更なる戦闘の意欲。
ひかりが次から次へとパターンを刻む。その多彩さ。豊かなイマジネーション。それを現実の音に変えることのできる高い技術。そのドラムプレイヤーは思いっきりの笑顔だ。楽器と一体化してそこにいる。
飛行機は生き物のように飛び回り、
ボールが意思を持っているかのように軌道を描く。
ひかりの演奏する姿は言いようもなく美しい。全ての動作が決めのポーズのようだ。どの瞬間も美しく、どの連続も美しい。スティックをバックスイングした瞬間も、振り下ろしまた上げる連続も美しい。
バックスイングした瞬間に音が聴こえる不思議。目はスティックが上にあると捉えているが、その時にもう音ががきこえる。頭の動き、視線の流れ、上下動する全体、音に応じて違った動きをする二本の腕。
音を聴きに来た客は、ここで太鼓の女神を見る。神話に現れる神の舞を舞う乙女がどう人の心に作用したのか。その想像がここで可能だ。耳と目に映るこの人を目の前にして、完璧という言葉を今をおいていつ使おうという気にさせる。
その音と、その笑顔で弾いている姿は、幸せな気持ちにさせる。いつまでも聴いていたいと思わせる。
戦闘が続いた空は被弾した敵味方の飛行機の残した黒煙で暗くなる。
その中を動きを読みながら、
高度な操機で敵機を追い詰めて撃墜する。
選手達は戦い続けぶつかり合って、
身体のあちこちは悲鳴を上げている。
それでもやはり動きを読みながら、
高度な技術で敵陣を襲いゴールを奪う。
やがて演奏が集結する。
戦闘終了。
最後の敵機が落ちて行く。
最後のホイッスルが長く鳴らされる。
演奏を終えたひかりが笑顔で明るい声を出す。「はい、コンバンワ。
水面下ノ音デス。」と、マッタリ感を漂わせ、親しい人にするかのように、語りかける。ライブハウスに高まっていた緊張が一瞬で緩む。しかもその後、ほとんど間抜けのようなMCをひかりがぶちかます。皆が、笑う。とものも負けずにスゲーって思った体験を、スゲーと連呼しながら話す。
「良かっただろう?」逸郎は自慢げである。直樹も智美も同意した。「彼等、人間臭くてな、そこがいいんだ。」確かにそういう音だった。「罰金は無しだな?」