22日の夜、親から祖父が亡くなったと連絡がありました。
元気やったのに、急なことでした。

連絡を受けたときは全然実感がありませんでした。
その後妻へ連絡するために電話をしました。
でも、自分で口に出すと、亡くなったことを自分にも言い聞かせているようでうまく話せませんでした。



私は翌日はちょうど仕事が午後休み、妻には半休をとってもらい、車で帰省しました。



夜祖父の家に着くと、
眠るように
穏やかな表情で
横たわっていました。


今にも起きてきそうな感じさえしました。
亡くなったことを、理解しているのに、理解しないようにしてた気がします。


23日(金)は仮通夜
24日(土)は本通夜
25日(日)は告別式・火葬・中陰
26日(月)は坊さんがお経を唱えに来てくれました。


最近は葬儀の考え方が変わってきているようで、
清めの塩を配らない(先祖の霊は悪い霊ではない)
同じ道を通ってもOK(上と同様)
など以前の常識からは考えられませんが、理由は納得できるものでした。

友引の葬儀も増えているようで、元々「友引」は賭け事で引き分けになることを意味していたし、六曜と仏教には何の関係もないからとの理由らしいです。

今回の葬儀は浄土真宗でしたので、他の宗派では違うかもしれませんのでご注意を。





祖父の死因は、
急性大動脈乖離から引き起こされた
心タンポナーデでした。

急性やったし、どうしようもなかった、と思ってます。
でもなんだか自分の仕事の意味がわからなくなりました。

私は現在コメディカルとして病院に勤めていて、検査や薬の開発に携わっています。
自分の仕事が誇らしかった。
国家資格をとって、人を助けるこの仕事にとてもやりがいを感じていました。
人に胸を張って言える職業やと自負していました。


でも祖父が亡くなって、
自分が学んできた医療や医学とは何やったんか疑問に思いました。

祖父のような死因の場合、医学は何もできない。
自分の存在を否定されたかのようにも思いましたし、現代医療の限界も目の当たりにしました。

もちろん、救える命もあります。
そのために日々仕事をしています。
でも自分の一番大切な人を救えずして、何が医療人なんでしょう。


私は何を目標に仕事をすればいいのかよくわからなくなりました。
あ、不甲斐ないのは自分のことなんで、尽力してくれた救急隊員やドクターにはとても感謝しています。




なんか暗い話ばっかりですみません。
最終日の昼はそば・うどんのお店:天一屋に行ってきました。
祖父も好きやったお店。
そこで食べた治部煮のうどんがめっちゃうまかった!!!
汁まで飲み干してしまうほどおいしかったです(*´ω`*)
塩分摂りすぎ!って妻に怒られましたが、息子も汁をめっちゃ飲んで怒られてましたwww



祖父からはたくさんのカタチないものをもらいました。
それを返したかったけど、全然返しきれなかった。
言葉でも、行動でも。
もっともっと、恩返ししたかったな。
もらったもの以上に、返したかったな。


葬儀を終えて、祖父はとても素晴らしい人間やったなぁと実感しました。
生前はそんなこと考えもしませんでしたが、今回親戚やお友達と祖父の話をして、多くの方に慕われていたと感じました。


私の息子も、祖父のような人間に育ってほしいです。








81年間お疲れ様。
28年間愛してくれて、本当にありがとう。