文章の価値 | merlinus-stonehengeのブログ

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光があれば影があり、昼があれば夜がある。

 

お疲れ様です。

 

今年度決算シーズンで、私のするべき仕事の方も最終数値が出ようとしています。

このブログも今年度はよく更新を行い、自分の考えを言語化する手助けになりました。

この記事はその追憶の様なものとして、書き連ねていきます。

 

・文章の価値は、大きく変化した

 

本とは言語を読めるものが読むものであり、一般大衆に受け入れられたのは大正デモクラシー付近でしょうか。

もしくは明治時代の新聞が、後の文学に対する大衆化に貢献したのでしょうか。

何はともあれ活版印刷が人間社会全体に与えた影響は、計り知れないものです。

 

元々、本や書物は管理されてきた歴史があります。

勿論娯楽文化の側面が現代では強くありますが、技術継承と知恵伝達において重要な役割を果たしました。

またそれらは争いの元や不穏因子の種にもなり、大きな力も持っていました。

 

そしてそれは書写によって増やすしかなく、それは一部の知識人の仕事でした。

今もそれは日本の一般教養「国語」の中で、授業の一環として継承されています。

 

しかし活版印刷とは、書物を大量に複製することができる技術です。

これにより当時高価だった本という媒体の価値は、民衆が回し読みできるほどの価値となります。

農作の技術書や西洋文化の認知、娯楽としての文章や高尚な文学書など様々なものがです。

 

これにより沢山の情報を流して読んで、本質のみを回収する読み方が必要になったであろうと考えます。

つまり、ルーツや背景ではなく実益を求める読書術です。

 

ただこの読書方法は読解力があるから成り立つ、達人の読み方でもあります。

何故なら言葉の意味を正しく知る事が出来た上で、初めて本質の枠組みがわかるからです。

今の時代を観ても分かりますが、文ではなく単語を読んで判断する読み方では得るものは少ないのです。

 

そして現代遂に印刷も必要なくなり、PC・スマホがあれば誰でも見れるデータという概念になりました。

これにより有益な情報や娯楽の文章は、等しく同じ価値になったと言えます。

 

本とは読み手によって価値を変える代物でありますが、この時代では等しく価値が落ちています。

それは読む能力がデータという概念によって、狂わされていると考えているからです。

 

バイアスという「偏見・先入観」を表す言葉があります。

私たちはインターネットでは、言葉に強いイメージをもって検索をしなくてはなりません。

その中でその調べた言葉と類似の言葉も全て、そのイメージに引っ張られてしまいます。

 

本を読む際に作者が意図していない解釈を、私たちはバイアスに誘導されてしているのです。

これによって得られる実益の質は、作者が意図したものではないものになります。

逆を言えば今の時代の文章とは、そのバイアスがかかった文章であり似たモノが多いのです。

 

また単語で読むという事は、文章の構成を読めなくなってしまったという事でもあります。

これこそ旧Twitterや短い動画内の言葉でしか、会話ができなくなっている訳に感じます。

猫に小判。この言葉に尽きるでしょう。

 

さて長くなってきたので、話を区切ります。

またお付き合いください。