お疲れ様です。
最近は水五則を勉強しています。
短い戒めの言葉で在りながら、その本質は空即是色を表していると感じています。
内容は
一、自ら活動して他を動かしむるは水なり
二、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり
三、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
四、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり
五、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ霰(あられ)と化し凝(ぎょう)しては玲瓏(れいろう)たる鏡となりたえるも其(その)性を失はざるは水なり
この5つの文章です。
私の実家ではお盆の時期になると、家長の元に親戚一同が集まりお経を読む習慣がありました。
幼い私は其れを観て、意味を聞き言葉を紡いだものです。
遠いご先祖様はそんな6つ程の私を見て、きっと微笑んでくれていたでしょう。
私の祖父から教えられたことは、【背負い水】と【儒教】のさわりです。
この事が私自身に大きな影響を与えていることは言うまでもありません。
さてこの過去からある本を読んでいた際に、我が実家に近い播磨の地が出てきました。
本に登場していた黒田如水さんの話の中です。
そこで出てきた水五則に対して、私は懐かしい気持ちになりました。
私の祖父の教えに近い考えで、立地的に言えば伝承されていた地域だったのでしょう。
例えば、【一、自ら活動して他を動かしむるは水なり】に関しては。
私の祖父の言葉を使って、お伝えするのであれば。
水一つなくては農作物は一切育たん。
多くてもならんし少なくてもならん。
その水が良くなかったら、実がつかんかったりする。
大事に使うとは、よく物を見て分量を間違えず正しく扱うことを言うんや。
という事(要約)を、言っていました。
これは水が自然を介して植物が活動し、その栄養を動物が受け取ることができる。
といった意味で考えることができます。
他の項目に関しても。
祖父が残した言葉や行動が、時が経って私にその意味を教えてくれます。
本当に言葉とは、不思議なものです。