(二段目だけ)韓国のロケット、羅老号があいかわらず不調続きです。

何が良くないかと言われれば、山のように理由が思い浮かべられますが、当たり障りのないことだけ並べるとこんな感じかな。
  • 常に誰かに責任転嫁し、反省しないこと。
  • 他人が成功している研究だけやりたがり、すぐに成果の見込めない基礎研究をしない。
    韓国のソウルでコーヒーショップが増えすぎて、ついに出店規制に至ったのも、韓国人の性向を示してます。
  • 製品が規格通りでないときは、自分の製品を直さず相手に合わせさせる。
    前回の打ち上げ中止理由のアダプターブロックがこれ。
    ロシアは悪くないのに、ロシアに再発注して誤魔化した。
  • 自分の製品の故障を指摘されても調査せず、相手に原因指摘されるまで知らん顔する。
    日本企業でサムスン製の部品を使って不具合が見つかった時は、大抵こうです。
    損害賠償が嫌で知らん顔してるのではなく、本当に分からなくて、原因指摘を受けることで技術取得してるのでしょう。
    前2回の羅老号の打ち上げ失敗も、ロシアから原因指摘されてましたね。

日本がペンシルロケットから実験や研究を積み重ねてきたのとは大違いです。

前置きが長くなりすぎました。

羅老号→ペンシルロケットの連想の続きで、それと全く関係ない、日本らしい基礎研究を思い出したのが今回のブログです。

ペンシルロケットの実験は三か所で行われました。
詳しくは Wikipediaに書かれてる ので、そちらを参照してください。

舞台は、その実験場ひとつ、東京大学生産技術研究所。
その敷地の大部分は現在の千葉大学の西千葉キャンパスになり、一部が千葉実験所として残っています。

約30年前、その千葉実験所に、地震が発生した際の鉄筋コンクリートの建造物の壊れ方を調べるために、震度5以上で壊れる建物がわざわざ建造されました。そのあちこちにビデオカメラが設置され、地震が起きたら破損の様子を捉えようとする研究(*1)が始まったのです。正確には 1983年のことでした。

それは新聞記事になりましたが、当時千葉県では長いこと震度5の地震などなく、この先何年も起きないかもしれないのに、ずい分と気の長い話だと、若干揶揄するような書かれ方をしていたものです。

ところが4年後の1987年末に 千葉県東方沖地震 が発生し、千葉実験所でも運良く(?)震度5の地震に襲われ、研究の成果(*2)を得ることができました。

こういう、いつ成果が得られるか、成果が得られるかどうかもわからないことを研究し、しかも実際に成果を出すのが、本当に日本らしい研究だと思います。


*1: 初年度の研究活動概要

*2: 鉄筋コンクリート造弱小モデルによる地震応答観測