高校2年生の時、私は突然「死の概念」に取り憑かれました。
24時間、何をしていても「死の概念」が、身体に纏わり付いて取れない。
でもそれは、決して苦しいものでも、辛いものでも無く、いつも私に寄り添ってさえいました。
そして、それは何故だろう、と当然ながら考える日々でした。
そんなある日、本屋である本に出会いました。
小川洋子著「冷めた紅茶」(福武書店)
この本です。
何故かすごく、その不思議な題名と、本の佇まい惹かれて本文のページを捲ると、書き出しが、
「その夜、わたしは初めて死というものについて考えた。風が澄んだ音をたてて凍りつくような、冷たい夜だった。そんなふうに、きちんと順序立てて死について考えたことは、今までなかった。」
とあり、私は、「この本だ!!!!!」と直感で、この本の中には、私が抱えていた「死の概念」がある、と思って、買って一語一語噛みしめるように読みました。
私の直感通り、私に取り付く「死の概念」の答えが、しっくりとした答えで描かれてありました。
それからというもの、小川洋子さんの本達を、自分のお小遣いで、や、高い単行本は、本好きだった父に買ってもらったりもして、大切に、大切に、何度も、何度も、読み返していました。
小川洋子さんの描く世界には、いつでも「死の概念」と、私の求める答えがあって、私の心を満足させてくれました。
時は過ぎて、大人になって、仕事に就いて、サラリーマン通訳、翻訳、外人秘書と、三足のわらじを履くようになってから、朝から深夜まで働く日々の中で、本を読む時間は自ずと無くなりました。
仕事人間だったので、休日も仕事。自然と小川洋子さんの小説からも遠ざかっていました。
でもきっとそれは、仕事のせいなんかじゃ無く、取り付いていた「死の概念」から、解き放たれたからでしょう。
結局、過労のせいで病気になって、仕事を辞めざるを得なくなり、家でゆっくりした時間が持てるようになってから、本を読む事はあっても、新しい作家さんの本を読む日々でした。
小川洋子さんの本達は、本棚で優しく眠ったままでした。
ふと今日、10年振り位に、小川洋子さんの「完璧な病室」(福武書店)、をどうしても読みたくなり、貪るように一気に読んで、自分でも意外だったのですが、嗚咽が出る程泣いてしまいました。
話の内容は、もし興味を持って、読んでみたいと思われる方がいたら、と思いネタばれになるので、ここでは書きません。
小川洋子さんの著書の中で、最も「死」について書かれている本であると、私は、思っています。
これまで、ゆうに20〜30回以上は読み返しているのに、涙が出たのは初めてで、泣きながらも驚きました。
それはきっと、私が「死の概念」に取り憑かれながらも若さという点で、「死」とは縁が遠かった高校時代から、歳をとり、「自分が確実に、死に向かって生きている。」、という刹那に、心を揺さぶられたのでしょう。他にも、個人的理由はありますが...
長くなってしまいました。
このブログを読んでくださっている方が、「死の概念」に取り憑かれている高校生さんかもしれないし、私のような「死の概念」について、少しでも身近に感じ始めている年代かもしれない、そんな方々に、ぜひ、小川洋子さんの著書を、お勧めしたいです。
特に、今日取り上げた、「冷めない紅茶」と、「完璧な病室」は、お勧めです。
長文を最後まで読んでくださって、ありがとうございます。