勝手にリブログすみません。

戦争体験のシェアに賛同したので、こちらを書く事に

しました。

 

毎年終戦記念日前後になると、戦争に関する番組が多くなってきますよね。

でも今は、昭和のころよりもずいぶん少なくなりましたか。

逆に、最新技術で戦跡から見つかる新たな事実が見つかる事も有り、

まだ戦後は終わっていないという気になったりします。。。

次世代にもしっかりつないでいきたい、平和の尊さ。

自分たちのご先祖様が命をかけて、繋いでくれた命があってこそ、

今の自分が存在しているんですよね。

 

私の祖父達も、戦争に行って、帰って来ました。

だからこそ、今の自分がいて、その命をつないだ我が子がいる・・・。

 

私は東京出身です。父方祖母は、墨田区に住んでおり、

長男1人だけだったときに、空襲を体験し、おんぶして夢中で逃げたと

聞いた事があります。

でも、あの東京大空襲のときは、仙台に疎開していたので命は

助かったそうです。ただ、墨田区ですから、家は燃えてしまいました。

だから戦後の暮しのほうが、後に我が父とその弟も生まれ、

大変だったそうです。

孫が生理になった時、「脱脂綿がない時代はうんと苦労した」とも

言っていました。

 

母方の祖母は、2番目の子を栄養失調で亡くしたことが

あるそうですが、それ以外のことはあまり戦時中のことを

思い出したくないのか語ってくれてことは、ありませんでした。

ただ、戦後10年くらいたってから発行された

朝日グラフという雑誌記事の、原爆投下後の

被爆者の写真がたくさん載っている雑誌を

ボロボロではあるけれど、大切に保管して

8月6日になると、子供達に見せていたそうで

その雑誌本体は、母が今も持っています。

我が子が高校生になったら、見せてもらおうと

思っていますが、私自身は、小学4年生くらいの

時に初めて見て、大きな衝撃を受けてしばらく

元気をなくしていたような記憶があります。

(だから我が子は小学生でなくて高校生まで待ちたい)

 

上記のこと以外は、家族からはあまり戦時中の話は

聞いた事がありませんが、ともかく今は

平和で食べ物に困らないんだから、謳歌していこう!

そんな生き方をしているように、孫からは見えました。

そして、

平和のさなかに生きている孫に、ツラい話をしたくはなかった

ようにも見えました。

 

ある日小学校の宿題で、おじいさんおばあさんに、

思い出の品はありますか?(たとえば一枚の鏡)という質問をして

くるものがあり、早速聞いてみたところ、

「・・・全部空襲で焼いちゃったからね・・・」

とぽつりと言っていたことが印象に残っています。

 

焼き魚の骨を残す(今なら当たり前ですが)と、

もったいない食べ方だと言われました。

昔は、その上からお湯をかけてふやかしてから、

皮や身がとりにくい部分を全部こそぎとって、

余す所なく食べた、と・・・。戦後食べ物のない時代を

生抜いて来た人の知恵です。

 

花火大会に、一緒に行くことを嫌う祖母。

理由を聞いてみると、

「あのヒューっていう音が、空襲を思い出すから」

それ以来、いっしょに行こうよ!と無邪気に

誘うことを辞めました。

こういう理由で花火が嫌いなご年配の方は

東京だとけっこういるようで、

花火大会でそんな話をしている若者を

つい10年くらい前にも聞いた事が

あり、私だけじゃなかったんだなと

思ったことが、あります。

 

我が子が3歳のときに、東京でバスに乗っていた時。

おばあさま2人組の方に声をかけられました。

 

「かわいいわねー、いくつ?」

「3歳」

「そう、いいわね。誰にでもこんな可愛いときがあったのよね。

私達がこのくらいのときは、戦争があったものね・・・・」

 

どう返して良いかわかりませんでした。

 

 

家族や周りの人の戦争体験を、しっかりと聞いたひとが

語り継いでいくことは、今後の継承に、とても意味が

有ると思います。

 

こうしてシェアすることも、大事ですよね。

 

平和の尊さ、家族が揃っている、元気で生きているっていうことが

奇跡、なんですよね。

 

有り難い日常に、感謝!