中山道踏破 (29) 岩村田~追分宿~沓掛宿~軽井沢 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

中山道踏破 29 回目です  その1

 

台風19号で大変な被害が関東各所で発生し収拾がつかない 目途が立たないときに

申し訳なく思い 心で お見舞いして 行ってきました。

前回歩いた千曲川が氾濫しおおきな被害がここ長野県佐久地方でも発生した。

歩く途中にも道路が決壊し通行できない場所など実際に見て恐ろしさを実感した。

自然に逆らうことなく如何に暮らしていくことが大切かが問われていると思いました。

 

 歩いた日  令和元年 10月 17日 18日 くもり 小雨

 場所     長野県 佐久市 岩村田   

               北佐久郡 軽井沢町

 歩行距離     一日目 11.5 キロメートル

            二日目  9.5 キロメートル

             計   21、0 キロメートル

 

今回から名古屋よりワイドビュー信濃で塩尻駅まで到着しました。 バスに乗り換え出発です

佐久甲州街道分去れ

武田信玄はここから信州にはいった。信玄は軍事用の道路 をつくり甲斐と信濃をいち早く駆けていた

木曽道中 岩村田 栄泉画

平塚の一里塚を背景に座頭同士のけんかを描いている。木曽街道六十九次は栄泉によって始め

られたが途中から広重もはじめ その怒りを描いたと言われている。

西念寺

永禄三年1560年小諸藩初代藩主 仙石秀久の菩提寺として創建、後に岩村田藩内藤家の菩提寺

山門には羽衣の天女が描かれている

岩村田交差点

軽井沢、御代田方面にすすみます

武田信玄公 御墓所 竜雲寺

 

伊那駒場で亡くなった信玄の遺骨を禅師が持ち帰り納めた霊廟  のちに短刀が出てきた

本日の昼食

佐久の鯉料理です。 1825年藩主が大阪城の勤番を終え帰国のさい岩村田藩は貧乏藩で藩財政の

立て直しに尽力した並木七座衛門にお礼として淀川の鯉を送った。大切に育て代々 佐久鯉としてひろめ

身が引き締まり泥臭くなく評判となった 

葛飾北斎 向島花見之図

天保13年江戸城医師の長女 きく の初節句に贈られたもの。そのきくは やがて この佐久ホテル

に嫁ぎ十五代おかみとして生涯を送りました。この作品も百数十年お客様を迎えてきた。

まことに珍しい 黒い 柿です

中山道 小田井宿 

江戸から40里 本陣 1軒 脇本陣 1軒 旅籠5軒 問屋2軒 家数 107軒 人口 319人

天保二年 1831年築 安川家 上の問屋

宝暦6年 1756年改築 和宮降嫁時 再度改築

小田井宿まつり

皇女和宮降嫁時はここ安川家にて昼食を摂った。その際安川家は小さな人形を拝領した。

それにちなんで毎年8月16日には人形を駕籠に載せて古装束の一行がねり歩く小田井宿祭りが

行われる

宝殊院

永正年間1504年の創建。

 

枝垂れ桜

樹齢300年 小田井町天然記念物

茅葺屋根の鐘楼

安永八年1779年の建立

寺用水の升石

寺に引き込む水の量を規制された。穴の大きさは一升枡と同じ大きさです。

笑坂

本日の難所 笑坂 昼食後はほとんど坂道でえん えんと坂が通ずいた、山間も最後にあり

当時の旅人も次の追分宿の明かりが見え安心して笑ったという 笑坂でした。疲れた

この一行は坂道でもスピードは落ちないむしろ早くなる。困ったものです

御代田の一里塚

めずらしい枝垂れ桜の一里塚

追分宿 中山道六十九次 資料館で本日のゴールです。