古城 めぐり   田峯城 武節城 足助城 | 古城 めぐり

古城 めぐり

戦国時代を生きた人々の城を訪ねます

古城めぐり 今回は田峯城、武節城、足助城 です

 

天正三年 1575年織田信長、徳川家康連合軍と武田勝頼の長篠 設楽ヶ原の戦い

敗北が決定的となった勝頼は田峯城主 菅沼定忠と約20キロにある田峯城に撤退を試みる

約五時間ほど戦いに負けた疲れ切った状態 徒歩で歩き田峯城に到着ほっとした時なんと

城に残っていた菅沼定忠の叔父定直は入場を拒否した。思いがけない叔父の裏切りに会い

勝頼と定忠はなお30キロ北の武田領 武節城まで逃げなければならなくなった。

当時負け戦の撤退は非常に厳しく落ち武者狩りといって勝頼をとらえれば大変な褒賞があり逃げる

周囲敵ばかりで 50キロの行軍は大変であったことが推測されます。

その推測どうり翌年定忠は田峯城を急襲して城にいた96人全員を皆殺ししてしまった。

主謀格の家老今泉道善は鋸引きの刑に処した。

戦国時代の重苦しい事例といえそんなことを勝頼、定忠を思いつつ田峯~武節まで行ってきました。

 

大手門跡

ここで勝頼と定忠は無念な思いをした場所 自分の城に入れなかった。

主郭

模擬 建築

中世戦国時代の武家屋敷を再現している。書院造りである

物見台

寒狭川の渓流をはるかに見下ろす標高 387mの独立丘陵にある山城です

室内は当時を思わせる間取り 御殿、上段の間、二の間、鍵の間、公卿の間など会議など

行ったと思わせる部屋が再現されている 武具はレプリカです

武節城 入口

国道153号線 稲武町 すぐはいれます

武節城跡

武田勝頼 ゆかりの城となっています 主郭 本丸まで車でいけます

山家三方衆の一家 田峯の菅沼氏 支城として築城された  武田、今川、徳川幾度なく

攻められ領主もかわった。

本丸

背後に土塁があり 高い櫓台があった  現在は八幡神社が建っている

足助城本丸

戦国時代に勢力を伸ばした三河鈴木氏のうち足助鈴木氏の本城とされる

発掘調査が行われ 掘立柱建物跡が数棟検出され高櫓、長屋、門などが再現されている

高櫓よりの足助町のながめ

三河から信州の物資に中継基地として栄えた 塩の道 中馬街道

再現された建物がよりリアルで当時を物語っているようで価値がある

おわり