もうすぐ100周年、北摂丘陵にある老舗クラブ

 

旗茨木カンツリー倶楽部は、1923年(大正12年)にオープンした大阪最古のゴルフ倶楽部。
歴史から見ても、格式から見ても、コースの規模や難易度でも、大阪ゴルフ界の頂点に君臨するラスボスに相応しい存在です。

 

   

 

その歴史についてはホームページの「倶楽部の歴史について」に詳しいところ。


大阪倶楽部の会員であった経済人によって造られ、廣野ゴルフ倶楽部とともに日本ゴルフ界の黎明期からトーナメント会場とされてきました。大阪倶楽部というのは、淀屋橋の三井住友銀行大阪本店(元・住友銀行本店)の近くに現存するこちらの社交倶楽部のこと。



画像クリックで公式HP

 

万博記念公園(吹田市)の北1キロくらいの丘陵地の南向きの斜面にあるので、冬場は他のゴルフ場より温暖な気がします。

航空写真をご覧いただくとわかりますが、敷地は万博記念公園の公園部分(スタジアムや駐車場を除いた北側部分)よりも広大です。

このゴルフ場は、会員になるのが著しく困難。

そもそも入会できると思っていないのでちゃんと調べたことはありませんが、入会金が3000万円くらいかかりますし、「それくらい払えるわい、ナメんなよ」という人であっても会員の推薦や面接審査が必要で、それ相応の品性と社会的地位を備えていなければ、ただちに返り討ちにあってしまいます。
実際、十分な資力とそこそこの社会的地位がありながら入会をお断りされたという方を複数名知っています。


 
 

もちろん全組キャディ付きでのプレイ。ビジターで回ると平日でも3万円近くします。

東コース西コース36ホール。西コースは1960年に新設されました。
どちらのコースも、グリーンが高速で難しい。

プロのトーナメントはだいたい西コースを使って行われます。
トーナメント用のチャンピオンティーのコースレート(2013年査定)は76.1。
直近でトーナメントが行われたのは2018年の
パナソニックオープンで、優勝者はラヒル・ガンジーでした。

100周年にあたる2023年には日本オープン選手権が開催予定。
     


東コースは、皇居の中に9ホールのゴルフコースがあった頃(戦後間もなくの航空写真では皇居の西側にコースがあった痕跡が明らかです。皇居だけでなく赤坂離宮や新宿御苑の中にもコースがありました)、昭和天皇にゴルフを教えたダビッド・フードというスコットランド人プロゴルファーの設計で、のちに廣野の設計者であるチャールズ・ヒュー・アリソンによって改造が加えられています。


アウトとインでかなり様相が異なっていて、インが広々しているのに比べてアウトは狭めです。
 
 
    

 

東の名物ホールは、フェアウェイ左サイドと右300ヤード地点にある2つの池が特徴的な距離が長い最終18番ミドル。
       

お昼ですが、ロイヤルホテルが運営するクラブハウス内のレストランのほかに、練習グリーン脇にうどん屋のような茶店(ホームページに記載がないので、名称は不明)があって、冬場、うどんを待つ間に、ここで 
おでん左 おでんをつまみに 日本酒 熱燗をちびちびやるのが、至福の時間です(そして後半、ヘロヘロになる)。
             
クラブハウス内にはバーもあるので、車より電車で行くべきだと思います。


アクセス(茨木からクラブバス、阪大病院前から徒歩)

 

大阪駅からJR京都線に乗って茨木駅で下車。

ゴルフ場とは反対側の東口を出て少し歩いた場所からクラブバスが出てます。 

クラブまで10分ほど。乗り場と運行時間はこちら。 

大阪市内からはもちろん、京都や神戸からでも1時間以内で着ける圧倒的なアクセスの良さ。

一番の最寄り駅は大阪モノレール阪大病院前。千里中央で大阪モノレールに乗り、万博公園前で彩都線に乗り換えて2駅。モノレールで行く場合、朝から太陽の塔を見られる特典があります。

しかし、大阪市内からはJRの方が圧倒的に便利。
梅田から地下鉄と北大阪急行と大阪モノレールで行くと30分ちょっとで660円。
JRなら快速で17分、220円。
        

茨木駅からクラブハウスまでは約2㎞なので、歩いても大したことはありません。
府道14号線に出て、北に歩き、茨木警察署を通り過ぎてから左折します。
 

 

住宅地の中を道なりに進み、名神高速をくぐると道路の右側がゴルフ場になります。
 
            

ゴルフ場の手前の路地(上の写真の信号のある交差点の手前を右)を入ると、東側の外周に沿って茨木カンツリー倶楽部ジョギングロードが設けられています。
      

ゴルフ場の南側を1キロくらい歩くと入口に到達します。
 

 

このゴルフ場の所在地が、町村合併によってクラブの名称どおりに茨木市になったのは、戦後、営業を再開して間もない1948年のことで、設立当時は、三島郡春日町でした(その頃は、茨木駅より東が三島郡茨木町だった)。

 

地元出身の杉原輝雄は、このゴルフ場で小学生の頃からキャディのバイトをし、のちに研修生を経て20歳でプロになっています。
 

   

打球練習場は、ゴルフ場入口からトンネルで道をくぐった反対側にあります。
アプローチ、バンカー練習もできます。まさに至れり尽くせり。