吐き出したい気持ちが、山のように 溜まっています笑い泣き

何から話して良いか分かりませんが。

母に 施設に行ってもらう事を
漠然と 考えていた事
前にも書きました。
本来、私の 中で 母を 施設に委ねる時は、

私を忘れた時
寝たきりになった時
車椅子が必要になった時
徘徊するようになった時
トイレ介助が 毎度必要になった時
便拭きもしなくちゃいけなくなった時
意思の疎通ができなくなった時
夜中に、騒ぐようになった時
ご飯食べたのを忘れるようになった時

等などの目星が あった。

でも、もっと 違う理由で
限界を知って
施設に入れようと思う気持ちが固まったのです。


もう、心は決まったし 
ケアマネにも伝えた。
そして、もうそろそろ 無理かなと言った病院の先生にも
協力をお願するつもりです。

そして、私がもう無理になってしまった原因を、
あらためて  話します。



私が 母の尿臭と戦ってきた事は
ご存知だと思いますが
例えば
母の部屋に行った時
スリッパ履いたり
靴下履き替えたりしなくては、
不潔だという気持ちに囚われ

そして、母の洗っても洗っても消えない尿臭の服に、 強力な消臭洗剤に(介護コーナーで調達)
柔軟剤も使ったり
それでも消えなくなった匂い付きの服等を、
軽くバケツで下洗いして コインランドリーに洗いに行くようになりました。
我が家の 洗濯機に入れるのは、
もう 気持ちが無理でした。

罪悪感を持ちながら コインランドリーに行ってましたが
気づくと
高齢者が意外に多く利用している事を知りました。
そして、私の様な年齢の娘や、
お嫁さん?にも 会いました。
単身赴任者も多いと思うけど、
凄く 需要がある事を知ったのです。

それでも、まだ 我慢できてました。今までは。
お風呂に入ってれば大丈夫と思ってました。そして、
出かける前に シャワーも浴びて
いたし、それで、清潔!大丈夫だと
思ってたんです。

ファブリーズとか 色々駆使してたし。
こまめに  母が座ったところも、掃除用ウエットで拭いてたし

掃除もしていたし。(正直いうと手抜きです。クイックルワイパーや前に使ってた掃除機が母専用。あと、消臭スプレー。ただ、台所はすごい汚くするから、必死で磨きます。汚物入れと間違ってるのかってくらい)

それでも、染み付いた臭いは消えることなく 漂っていて。

まさか、それが
自分に 悲劇を及ぼすとは。。。

ある日、
パートで 行ってる 児童クラブで
外遊びの時
私に、抱きついてきた子が
なんか、くさいー!って
言ったんです。

こらあー! 許さん!!
と 笑いながら 流してたんですけど

え、何の匂いだろう???
と気にはなってたんです。


でも、私 その臭いに慣れすぎて
鈍感になっていたんです。
鼻がバカになっていました。


子供が出来てから 潔癖になった長女が
母に対して  接する事に ストレスを感じるようになり
前程、頻繁に来なくなりました。


逆に 来て!と言われて
食物もって
家に 行く事が多くなりました。

その娘の家に
今も気にせず、しょっちゅう遊びに来る次女親子も一緒に 遊びに行った時

長女が、
ばあちゃんの臭いがする!
お母さんが 、通った時感じた。
って 叫んだんです。


えー、お母さん おしっこたれてないよ💦


で、娘二人は 笑いながら
いや、気持ち的にかなーっ

と笑ってたのだけど、

私の脱いだ ボアのコートを  かけながら
これだ!!!
って 言ったのです。

なぜ? まさか?

けど、
2人と 話してて 納得出来る結論に到達しました。

母の寝室である和室のドアの前が廊下で コートがけが あるのです。
そこに、私は コートなど 3枚も掛けてました。
ジャンバー、ダウン、コート‥‥‥。

なんも考えてなかった。
と言うか、そこまでとは。
麻痺してました。

次女は、自分は 廊下にかけるのは 気持ちが無理だったけど、
お母さんは平気なんだな、って思ってたと。

廊下も、玄関も 臭いに侵されてくるのを感じながら
臭いが 簡単に うつるとか
染み込むなんて、
思ってませんでした。
自分の服に 鼻も効きませんでした。

一気に ショックが 押し寄せました。

気づかなかった自分にも ショック。
そして、
恐らく
友達や 同僚に対して
申し訳なく 落ち込みました。

何故って 仕事用の ロッカーは
扉1枚で
皆の上着が 並べて掛けてあるからです。荷物も。
うっすら、涙も出てきました。

皆、優しいから 言いたくても言えなかったんだろうな。

私が 家で介護の生活と闘っているって 皆知ってるから。
愚痴も聞いてくれたし
アドバイスもくれていた。

アンモニア臭だけでなく 色々混じった匂いです。

いくら 髪を洗っても 1番染み付きやすい場所なはずだから、
行く間際も
母に接する私の髪や
衣服に 臭いがうつらないわけが無い。だって、ボケてから
風呂に入りたがらず、デイサービス行った時しか、入らないのだし。
トイレに入っても前みたくウォッシュレット使ってるわけもない。
髪が痒いからと、シャンプードレッサーを使うことも無くなっていた。


何で、気づかなかったんだろう。
近親者だから はっきり言って貰えて良かった。

この事で 私の気持ちは 固まった。
辛いけど ダメだ。

別れる準備をしようって。
こんな理由で背中を押されるなんて 情けないよね。
こういう事に 耐えてる方達沢山いるのに。

でも、まだ仕事もしたい。
友達と ご飯にも行きたい。
私の人生を 楽しみたい。

長女が これ、いいよ!って
SHIRO の 消臭スプレーをかけてくれて、
すごい 好きな香り!と喜んだけど

次女に 後で又匂いを嗅いでもらったら
やっぱり、こうやって 嗅いだら
匂いするわ!
って言われて
落ち込んだ。

廊下にかけてあったアウターは、クリーニングに出します。

母を、施設に入れる決心がかたまったものの
母は、重い病気でもないし、
まだ何とか歩けてるし、
紙パンツの取り替えも 何とか
やっているのに(やらせている。手をかけると怒るし)
(そのまま、あちこちに 隠したりするけど悲しい )
便の片付けが まだ ないのに
(入ってる物を中身見ないで片付ける事もあるが)

リタイアします。
 周りの協力を得ながら
心の準備と、
あらゆる用意をしながら。


そして、母が施設に入ったあと
美装を入れて 床は 畳を やめて
フローリングか何かに、張り替えるつもり。
そこまで、娘達と話しました。

まだ、心のどこかで 罪悪感を抱えている私に
2人とも

お母さん、全然 施設レベルだよ、婆ちゃんは。
もう、いいんだよ。
このまま我慢を重ねたら
お母さんが、壊れる。
メンタルがやられるか、
もしくは、お母さんが病気になるのが 施設に入れるきっかけになるのなら、お母さんが犠牲になるだけだからさ‥‥‥‥。

って 言ってくれました。
だから、
これから、私は 施設へ、母を送り出そう!
前進していこう!
と 決めたのです。

臭いとの闘いは もう少しで
終わりと自分に 言い聞かせて
その日まで、耐えながら。