待ちに待った、その日。


思いの他、渋滞していてヒヤヒヤした。


心の準備をして待合室でまつ。

式場に通された。


懐かしい後ろ姿。

誰よりも筋肉質。

体育会系で育った筋肉はそのままだな、と後ろから見守る。

式の中の家族へのねぎらいの言葉に涙こぼれた。

子供の母親となって22年、振り返り、いくつもの場面を思い返す。

あふれるものが止まらない。
一人で参加して良かった。

こんな顔見せれない。
式が終わり荷物を持って挨拶して車に乗りこむ。本だけで段ボールふたはこは息子だけ

『あそこのセコマ寄って。何か飲む?』突然聞かれ『え、じゃ、カフェオレ』と答える。車に戻ってきた奴は、アタシにカフェオレを渡し『本当はエクレアが食べたかったけど無かった』といってラムレーズンアイスを頬張る。『うまいー!』

すぐに昔の母子に戻る。

話したいことは山ほどある。伝えたいことも、悔しさも哀しさも喜びも。あふれるほどに愛しい我が子よ。

これからまた、ひとつひとつ始めよう。

愚かなる母を許しておくれ。

あのことだけは、心に留めて。

この母のようにはならないでおくれ。

これからの私を見ていておくれ。

今日がスタート日です。
家族の歴史を伝えるからその続きを刻んでおくれ。
作者はお前なんだよ。
世界でたった一つの物語を一緒に創ろう。

祖父ちゃん婆ちゃんも心から待っているから。

バトンを渡すよ。

お前は誰に渡すのだろう。

哀しい物語じゃなく、ハッピー、ラッキー、ミラクルサンクスストーリーでたのんます。
アタシは御先祖あれこれ物語を書き留めまする。

主人公はバトンを持っている人です。

お前であり私でありじじでありばばであり妹であり、飼っている、犬や猫であります。
生まれ故郷の家で、7月から暮らすべく準備している。

宝息子の迎え入れもかねて、油汗流しながらガーンあせるDASH!。
ほぼ新築の大きな二世帯住宅で19年、過ごしたあいつにはこの築40年の暮らしは耐えられないかもな。

えぇいなるようになるさ、精一杯やるのみ。
あたしも9歳から21歳まで住んだこの家に、なんとか新風をいれ居候の分際でも改革、革命を挑んで来た。

玉砕の事も多かれ、僅かな実りもあるけどね。


大きく飛躍するためにはうんと低く身をかがめなくてはならない。

今はそんな時期なんだと自分に言い聞かせ、震災の方たちにまけないぞ!と自分に誓いをたてる。

これまでの経験と人との出会いが私に勇気をくれる。


絶望の中に一筋の希望も見える。


ちゃんと、別れた旦那も息子の事を考えてくれていた事、今日知った。

あと5日だ。

カウントダウン!

始まってる。
十日の私の誕生日。

何人かの親しい人がお誕生メールをくれたり、古きよき先輩がお電話くれたり、アパートにケーキを届けてくれたり、居酒屋でお祝いしてくれる人がいたりとなんて幸せものかいなと心底思う。

そんな居酒屋で珍しく酔っ払っているとき届いたメールがあった。

十ヶ月だけ付き合って結局振られた昔の彼氏(想いびと)からだった。
キャー嬉しかっ!!

なんのへんてつもない近況メールだったけれど、誕生日覚えていてくれてメールくれるそれだけで幸せだった。
あの時は会えないぶんほんとロマンチックな恋人だった。

お互いの環境が違い過ぎるから結婚できるとは思ってはいなかったけれど、本気で思い思われている実感があった。

遠距離で一日一往復のメール交換の日々。

本当に気持ち強かったのは三ヶ月くらいで、後の日々はお互いの仕事の応援や家族の気遣い、健康への配慮のメールで励ましあう程度。
だから身近に素敵な人がいたらそういう人と恋愛するほうがいいに決まってる。だから『彼女が出来ました。』ってメールが来たときは泣いたけど納得できた。(やっぱりアタシは彼女じゃ無かったんだよなぁ)

何年も過ぎてこの3月の震災で仙台で国土交通省の仕事をしてる彼の安否に背中が凍りついた。十日ほどでメール 貰ったときは膝が奮えた。『生きてた』
宮古出身で生まれた海の美しさを良く話してくれていたのに。

復興支援で福島にも赴く彼の現場は言葉に尽くせないはず。

道や橋、トンネル、東北の各地の道路のパトロールをし、トラブルの対応をして守ってきたのにこの度の津波がすべてを飲み込んだのだ。

無念だったと思う。

彼との人生は結局交わる事はないにせよ、遠くで祈りあう存在がいるだけ幸せと思っている。

あんまり喜ぶ私に同席して飲んでる人が『写真見せて』と言われて『え、ないよ』携帯いくつも変わったそれくらい昔の事なんだとつくづく思う。

51才のバースデーはそんな風に終わる。

おまけはその後大好きなカラオケに行く。
一緒に行った人が上手過ぎて、緊張したから近々また行かなきゃダメだわ。
音楽って深いと更に感じた誕生日でした。