INHAとは、パリ第1、第4、第8、第10大学の
美術史学部博士課程の校舎が集まっている施設で、
由緒ある屋根つきアーケード、Galerie Vivienneを
3年前に改装したものです。
オペラ座とルーブルの間の、旧国立図書館脇、
ちょうど日本人のみなさんにはおなじみの
日本食ストリートがある辺りにあります。
今は1件だけ、ブラッスリーが営業しているだけで、
ほかの店舗はみんな立ち退きにあったのでしょう・・・。
そんな庶民の生活の匂いのする、
歴史的な建物です。
そういえば、7年前の今頃、
雨がちな初秋のある日、当時パリで
テキスタイル・デザインの学校に通っていた私は、
建築パースの課題のために、
まさにここ、Galerie Vivienneのアーケードを
描きに来たんだった。
懐かしいなぁ。
そして、全然ちがう肩書きで、同じ場所に
また立っていることが、とても不思議。
戻ってきてしまった運命に、ちょっとした因縁も
おぼえつつ、パリ生活が一巡したことを
じわじわと、確認しています。
そう。なぜか今、パリでの過去の、色々なことが、
何から何まで、いい思い出だったなぁ、と
無意識に、でも気持ちよく心のアルバムに片付けられて
いて。
これは多分、パリで活動をスタートしたのが
秋だったから。
本当に、色々な意味で、一巡したんだなぁ。
きっと。
明日からは、パリに来て7回目のFIAC
(パリ現代アート見本市)がスタート。
FIACって何?なんて言いながら
行ったはじめてのFIACのカタログ、まだ持っています。
オークションとの出会いも、7年前の秋。
私の大大大好きな、マリア・カラスの遺品オークション
(と後でわかった)のニュースを、
昼休みで帰っていた自宅のTVで見て、
「パリのどこかで、今日の夕方まで、
マリア・カラスの展覧会があるらしい」と、
まだおぼつかないフランス語力で
最低限の情報だけGETし、
知人という知人にTELをかけまくって、
何とかDrouotオークション会場までたどり着き、
更に、その系列のシャンゼリゼ・モンテーニュ会場で
やってることをそこで教えてもらって、
夕方、閉場ぎりぎりに、やっと目的地に着いたのでした。
テンションがあがってミーハーな時の私に、
気後れなんて言葉はなく、
最初のDrouot会場はよく考えれば、
旅行者に毛の生えたようなパリ初心者が
ずかずか入り込むようなところじゃなかったし、
次のモンテーニュ会場は、やたら絢爛豪華なストリートに
あって、服装的にNGだったのですが、
とにかく、マリア・カラスにたどり着いた私は
夢心地。
「あ、もしかしてこれ、オークションに
かけられるんだ。」と分かったのは
しばらくしてからでした。
その後、美術関係の仕事に就きながらも、
まさか自分がオークションに戻ってくるとは思わず、
しかも、マリア・カラスのオークション会場と
目と鼻の先に毎日通っているなんて。
今頃、思い出の糸をたどって、
そんな因果なからくりに気づいて、
驚くやら、納得するやら。
パリに来た頃に友人と交わした、ものすごい量のメールは、
PC修理屋さんの不注意で全部消えてしまったのだけれど、
毎日のドラマの詳細は記憶のかなたに薄れたものの、
何だか使命感に燃えてたのだけは、
思い出します。
メールがあって本当によかったねぇ、と
お互いになぐさめ励ましあっていたのは、当時
ウズベキスタンに赴任していた友達、
ベルリンに赴任していた友達、
NYに赴任していた友達、
フランスでも地方のボルドーにいた友達、
東京に残っていた友達・・・
いろいろでしたが、
何だろう?年齢的に?
みんながそれぞれ、社会人になりたてで
危機感を感じていたというか、
せっぱつまっていて、(若かったのねー)
日々の臨場感が半端じゃなかったなぁ。
でも、同じ危機感を感じていない友達とは
ちょっと理解しあえずに疎遠になってしまったり。
余裕がなかったのねー。
そんな精一杯な最初の年があったからこそ、
今日のパリでの私があるんだなぁと思うと、
とりあえず、2000年の私に、よくがんばりましたと
言ってあげたい。
色々な出来事を新しい経験で上書きして、
2000年を整理していったら、不思議と、
パリに憧れていた気持ちが戻ってきて・・・
その後の私の動静には、まだ疑問が残るものの、
こうして、過去を「よしとする」ことで、
次のステップのための場所をつくれるのかなぁと
思います。
やり直すのがいいってわけじゃないけれど、
今だから決着つけられることが、
結構いろいろあるってことに気づいて、
まだまだ、整理整頓、続きそうです。
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