立冬も過ぎ、金沢はすっかり秋が深まり冬の気配がしています。
引っ越ししたマンションは、古い一軒家と違い底冷えもなく、
本当に過ごしやすい。
猫たちも少しづつ慣れてきたようです。

本を読む時間も少し出来ました。
大好きな養老孟司氏の「かけがえのないもの」を読んでいたら、
「モモ」という本の事が出てきました。
ずいぶん昔の本ですが、ミハエル・エンデが書いた本です。
その「モモ」の事を書いたくだりが、最近私が感じたこととまさに同じで
シンパシーを感じてしまいました。
(実は先月、福井で養老孟司氏の講演をお聞きしました。
内容は違えどおっしゃっている事は一貫していて、都市化と自然、心と身体、といった
事を通じて、自分でものを考える事とはどういうことか、を説いていらっしゃいました。)

「モモ」
イタリア・ローマを思わせる街に、モモという女の子がやってきます。
その子と話していると街の人はとても楽しくて、みんな幸せな気持ちになります。
話しているだけなのに、なんだか幸せになるのです。
そんな街にある日、「時間貯蓄銀行」と名乗る、
灰色の帽子をかぶり、黒い鞄を持った男たちが、忙しそうに働き始めます。
彼らは街の人と話をします。
街の人に、毎日どんな事に時間を使っているか?と尋ね、
「その時間を半分にしなさい」とか言う。
そうやって節約した時間をうちの銀行に預ければ、利子を支払いましょう、
だから契約書にサインしなさいという。

それは、年を取ったお母さんとの団欒の時間だったり、
お茶の時間だったり、歌を歌っている時間だったりします。
灰色の男たちと話した街の人たちは、だんだん余裕が無くなって、
みな、不幸になっていきます。
モモは彼らの事を「時間泥棒」と呼びました。
さまざまな冒険の末、モモは時間泥棒から街の人の時間を取り戻します。
そんなストーリーでした。

私が最初に読んだのは中学生の頃だったと思います。
あまり好きな本ではありませんでした。
面白味が解らなかったし、結局何を言いたいのかあまりよくわからなかった。
養老氏も大学生の頃に読んで、同じように感じたそうです。
でも今ならわかる、と書いていました。
時間泥棒にあいたかったら、朝の東京駅の丸の内側に立っていればいいと。
大人になった私にも今ならよくわかります。
時間泥棒は周りにたくさんいます。
先のすべてを予定して、あれもしなければ、これもしなければ、
ああすればこうなる、こうすればああなる、
この時間内で何が出来ていなかった、何が出来た。

そんなふうに物事を進めて行く事を私たちは「進歩」と呼んできました。
それはそれで結構、でも人の一生はそれだけではない。
そもそも人の一生は、ああすればこうなると決まっているでしょうか。

結果を予測し、なにごとにも評価を追い求める生き方と、
何が起きるかわからないけど、面白い人生。
成行きに任せる、というのは一見優柔不断なようで、実は勇気のいる事です。
私は、私の周りの「勇気ある人」にたくさん知りあえました。
勇気ある人になるためには、
そのためには、自分でモノを考えなければいけない。
他人の考えでなく、自分が考えたことを実行しなければいけない。
恐ろしいけれど楽しみ、
楽しみだけれど不安。
そんなせめぎ合いの中に私の課題もあります。

モモが周りの人を幸せにしたように、
私もそんな存在の、勇気ある人になりたい。
引っ越ししたマンションは、古い一軒家と違い底冷えもなく、
本当に過ごしやすい。
猫たちも少しづつ慣れてきたようです。

本を読む時間も少し出来ました。
大好きな養老孟司氏の「かけがえのないもの」を読んでいたら、
「モモ」という本の事が出てきました。
ずいぶん昔の本ですが、ミハエル・エンデが書いた本です。
その「モモ」の事を書いたくだりが、最近私が感じたこととまさに同じで
シンパシーを感じてしまいました。
(実は先月、福井で養老孟司氏の講演をお聞きしました。
内容は違えどおっしゃっている事は一貫していて、都市化と自然、心と身体、といった
事を通じて、自分でものを考える事とはどういうことか、を説いていらっしゃいました。)

「モモ」
イタリア・ローマを思わせる街に、モモという女の子がやってきます。
その子と話していると街の人はとても楽しくて、みんな幸せな気持ちになります。
話しているだけなのに、なんだか幸せになるのです。
そんな街にある日、「時間貯蓄銀行」と名乗る、
灰色の帽子をかぶり、黒い鞄を持った男たちが、忙しそうに働き始めます。
彼らは街の人と話をします。
街の人に、毎日どんな事に時間を使っているか?と尋ね、
「その時間を半分にしなさい」とか言う。
そうやって節約した時間をうちの銀行に預ければ、利子を支払いましょう、
だから契約書にサインしなさいという。

それは、年を取ったお母さんとの団欒の時間だったり、
お茶の時間だったり、歌を歌っている時間だったりします。
灰色の男たちと話した街の人たちは、だんだん余裕が無くなって、
みな、不幸になっていきます。
モモは彼らの事を「時間泥棒」と呼びました。
さまざまな冒険の末、モモは時間泥棒から街の人の時間を取り戻します。
そんなストーリーでした。

私が最初に読んだのは中学生の頃だったと思います。
あまり好きな本ではありませんでした。
面白味が解らなかったし、結局何を言いたいのかあまりよくわからなかった。
養老氏も大学生の頃に読んで、同じように感じたそうです。
でも今ならわかる、と書いていました。
時間泥棒にあいたかったら、朝の東京駅の丸の内側に立っていればいいと。
大人になった私にも今ならよくわかります。
時間泥棒は周りにたくさんいます。
先のすべてを予定して、あれもしなければ、これもしなければ、
ああすればこうなる、こうすればああなる、
この時間内で何が出来ていなかった、何が出来た。

そんなふうに物事を進めて行く事を私たちは「進歩」と呼んできました。
それはそれで結構、でも人の一生はそれだけではない。
そもそも人の一生は、ああすればこうなると決まっているでしょうか。

結果を予測し、なにごとにも評価を追い求める生き方と、
何が起きるかわからないけど、面白い人生。
成行きに任せる、というのは一見優柔不断なようで、実は勇気のいる事です。
私は、私の周りの「勇気ある人」にたくさん知りあえました。
勇気ある人になるためには、
そのためには、自分でモノを考えなければいけない。
他人の考えでなく、自分が考えたことを実行しなければいけない。
恐ろしいけれど楽しみ、
楽しみだけれど不安。
そんなせめぎ合いの中に私の課題もあります。

モモが周りの人を幸せにしたように、
私もそんな存在の、勇気ある人になりたい。