金沢は晴れ。
一日中、暑いくらいの陽気でした。


昨夜、お互い学生時代も知る男性の友人と食事をしまして、
ここ数年の近況などをあれこれと。
隠れ家的な割烹で

自分がすっかり忘れていることを、友人は鮮やかに覚えていました。
私が学生時代(お子様な時)からサプライズ的なことが好きだった、
こんなことした、あんなこともした、などと。
そんなに変なことしてましたか!あ、そう(笑)

でもその内容が、なかなかに人と違う大人っぽいことだったんだとか。

中身が伴っていない背伸びだよね、と可笑しかったのだけど、
考えてみると、今でも似たようなものです。
いまだ中身の伴わない背伸びばかりしていますもの。


大人になると、裏も表も、中庸も、どれも許容範囲になる半面、
「これだけは譲れない」という信念も浮き彫りになります。


お互い、仕事の選び方もやり方も、まったく違う、譲れないところも違う、
だけど人として、目的と手段だけは取り違えぬようにありたいよね。
大切な何か、だけには頑なでありたいよね、
そんなことを話せる歳になりました。

「背伸び」は、私の頑なな部分かも知れません。
良くも悪くも。

ジョイア

NHKの「100分で名著」という番組で、先日論語を取り上げていました。

富と貴とは、是れ人の欲する所なり
(とみとたっときとは、これひとのほっするところなり)

其の道を以て之を得ざれば、処らざるなり
(そのみちをもってこれをえざれば、おらざるなり)

【孔子 里仁第四】

ずっとはるか昔から、
正しい方法とは何なのか、ずっと考えているのが人間。
考えて考えて、でも
正しくありたいと、強く思うことこそが大切なのかも知れません。