今から遡ること144年前の1879(明治12)年、飽海郡(現・酒田市)でコレラの流行があったそうです。酒田市立資料館の企画展の資料によりますと、「明治12年(1879)の流行時は、飽海郡で430人が罹患、うち273人が死亡しました。患者は、同年8月に大浜に建てられた避病院(※)に隔離・収容されました。避病院はその後、時期は不明ですが浜畑(現在の栄町)に移転しました。病死体は戸板や荷車で運び、北千日堂前松境の砂山に埋め、これを「コレラ山」と称し、大きな藁わら人形を立てて目印にしました。」とあります。酒田市の松境配水場の近くがコレラ山であり、その時のコレラよる死亡者の供養のために、コレラ山に建立された地蔵尊が、コレラ地蔵です。         「訪問日・2023(令和5)年01月24日(火)」

 

※避病院(ひびょういん)⇒明治時代の伝染病専門病院。

※コレラ山⇒コレラで死んだ病死体を北千日堂前松境の砂山に埋めたので、これを「コレラ山」と称したそうです。

 

 

 

 

車を坂の下に停め、吹雪の中を坂を上り、コレラ山に向かいます。

 

 

 

昔の事ですので、まだ、息があるのに埋められてしまった患者もいるのかも知れませんね、、、。入口にあったと云われる目印の大きな藁わら人形は、悪霊封じだった気がします。

 

 

 

お堂には鍵が掛かってますので、管理されている方に電話が必要です。取り敢えず、ガラス戸越しに地蔵様を拝む事はできます。

 

 

 

コレラを漢字にすると「虎列刺(コレラ)」。全国の致死率は6割を超えていたので、この当時は恐ろしい病気だったようです。因みに人骨が大量に発見された場所は、ここから南に100m以上離れた場所で、現在は空き地のようです。

 

 

 

 

コレラによる犠牲者を供養する為に建立されたコレラ地蔵と供養塔。何か視線を感じましたが気のせいなのかも知れません。

 

 

 

亡くなられた方々の冥福を祈り、誰も居ないコレラ山のコレラ地蔵様を後にする頃には、何かを訴えるかの様に雪が更に強く吹雪く様になりました、、、。

 

 

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