1923年(大正12年)9月1日 (土)、11時58分頃に起こった関東大震災の被害で、首都の治安維持機能は機能は著しく低下し、それを補う為、各地で自警団が結成されました。そして、その震災から4日後の9月5日(水)、朝鮮人や共産主義者が井戸に毒を入れたと云う噂が流れ、たまたま、東京市(東京都)から命からがら避難してきた三重・沖縄・秋田の方々3名が自警団に誰何され、訛りがあった為、朝鮮人と誤認され花見川に掛かる橋の近くの駐在所まで連行されました。警官が、3人が日本人だと証明しても、それを信じる事無く、集団ヒステリーのように陥いり、狂気に支配された数十人の自警団は、駐在所を襲い、命乞いする3人を針金で縛り、こん棒で殴り、日本刀で顔が分からなくなる程、めった切りにして、その遺体を花見川に投げ込みました。因みに朝鮮人に異様に警戒した背景には、4年前に朝鮮で起こった三・一運動(反日独立運動万歳事件)で、日本側が、その破壊活動で、人的・物的被害を受けた事が関係している様です。

                       「訪問日・2022年9月1日(月)」

 

 

※関東大震災。1923年9月1日、関東地方南部・静岡県・山梨県を襲った地震と直後の火災。震源地は相模湾北西部。東京・神奈川・千葉南部の被害が特に著しく、家屋の全焼・全壊70万余戸、罹災者総数340万余、死者・行方不明14万人余にも及んだ。

 

※自警団。火災・盗難などから自らを守るために組織された民間の警備団体。とくに、関東大震災時の自警団が有名です。

 

※誰何(すいか)。相手が何者かわからないときに、呼びとめて問いただすこと。

 

※三・一運動。1919(大正8)年、朝鮮でおこった反日独立運動万歳事件ともいう。ロシア革命の成功や第一次世界大戦後の民族自決主義の高まりなどにより朝鮮の独立運動が活発化。1919年3月1日(土)、京城(現ソウル)で数千人が「独立万歳」を叫びデモを行い朝鮮各地に拡大。朝鮮総督府・朝鮮駐箚軍(ちょうせんちゅうさつぐん)・警察によって弾圧されました。

 

 

京成千葉線の検見川駅から静かな住宅街を歩いて行くと、検見川事件の現場に着きます。

 

 

 

 

検見川の俯瞰図によると、ここに自警団に襲撃された駐在所があった様です。

 

 

 

何回も建て替えられた橋ですが、ここから遺体が花見川に投げ捨てられたと推察されます。

 

 

この川の数キロ先は、東京湾になります。因みに、もう少し後ろで、写メを撮るのに夢中になり、バランスを崩して、川に落ちそうになる、、、。

 

 

 

反対側は、京成千葉線が走っています。

 

 

 

橋を渡った所の先に、ペットボトルのジュースが供えられていました。慰霊碑もないので、検見川事件の犠牲者か、この川で亡くなられた方に対してかは分かりません、、、。

 

 

近くの検見川神社で、理不尽な暴力で犠牲になられた方々の冥福を祈り、帰宅しました。

 

 

 

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