島根県の国宝である松江城には、盆踊りに纏わる悲しき人柱伝説があります。国宝松江城のHPによると「築城の際、石垣に積み上げても積み上げてもどうしてもうまくいかない部分があったため、人柱を立てることとなった。折しも盆踊りの時期であったため、城下で盆踊り大会が催され、その中で一番美しく踊りのうまい娘が攫われ生きたまま人柱にされた。その石垣は無事に積み上げることができたが、城下で盆踊りが行われると天守が大きく揺れ動き、御城下に災いがあるとされ、いまでも松江城近くでは盆踊りは行われていない。松江藩の藩主が2代続けて改易になったのも娘の祟りだという人もいる。」と記載があります。
築城の際、石垣に積み上げても積み上げても、崩れてしまう部分があった為、神に捧げる人柱を立てる事となったそうです。
※人柱(ひとばしら)。築城・架橋・堤防工事などの完成を祈って、神へ供える生贄(いけにえ)とするために、人を土中や水底に埋めること。
豊臣(とよとみ)政権下の大名であり、関ヶ原以降は徳川家に使え、松江城を築城した堀尾吉晴。松江藩の初代藩主は子の忠氏。2代目藩主の忠晴は子供が無く、堀尾家は断絶しました。次の城主は若狭小浜藩から京極忠高が移封してきましたが、 忠高の死去 同じように子供が無く改易しました。藩主が2代続けて改易になったのも、犠牲になった娘の祟りとも云われていますが、、、、。因果関係は分かりませんが、盆踊りで一番踊りが上手かった為、生きたまま人柱にされた訳ですから、そう簡単に、その恨みが消える去る事は無いと思います。
※改易(かいえき)。江戸時代には、大名の領地を没収し身分を奪う刑罰を意味しました。
松江城の天守閣から見た宍道湖。
その後は、信濃松本藩から松平直政が移封してきました。しばらくすると、天守閣に人柱の犠牲になった娘の幽霊が、夜な夜な現れる様になりました。幽霊曰く、この城は私の物だから出て行きなさいと。直正は、分かりました、この城を差し上げましょうと約束したそうです。そして、ある夜、コノシロを天守閣に置いた所、翌朝には、コノシロ(この城)が無くなり、幽霊も出なくなったそうです「この城」を「コノシロ」に置き換えて、難局を乗り切ったようです。
コノシロは出世魚で、シンコ(4~7cm)、コハダ(7~11cm)、ナカズミ(11~15cm)、コノシロ(15cm~)と名を変えていきます。この城を、コノシロに変えて解決しました。因みに江戸時代は、殺生を禁じられた坊さん達が、蛸を食べる事が出来ないので、天蓋と呼んで密かに食べていたそうです。因みに写真は、コハダです。
※天蓋(てんがい)。僧侶の隠語で蛸(たこ)の事を天蓋といいます。
現在でも、人柱で犠牲になった娘の祟りを恐れているのか分かりませんが、松江市内では盆踊りが開催される事はないそうです、、、、。