今から約530年から550年ほど前の戦国時代である文明年間に、福井県の吉崎で、日頃から確執を持つ嫁(よめ)を威すため、姑(しゅうとめ)が被った鬼の面が顔に張り付き、剥がれなくなった不可思議な出来事がありました。

 

「主な登場人物」

 

嫁(よめ)⇒夫にも子供にも先立たれ、姑と二人きりになり、やる事がなく毎日のように吉崎に蓮如上人の説法を聞きに行くようになり、それが唯一の楽しみになった。

 

 

姑(しゅうとめ)⇒他の家族もなくなり嫁と二人きりの生活になるが、当の嫁は姑の相手をせず、毎日のように吉崎に遊びに行き、それを疎ましく思うようになり、吉崎に行くのを止めさせようと途中の道で鬼の面を被り威(おど)しました。

 

 

 

しかし、鬼の面は顔に張り付き、剥がそうとすると顔の肉も剥がれそうになり、どうしても外す事が出来ませんでした。それを見た嫁は、そのような事をした姑を罵るどころか、姑が鬼の面を被り威そうとした原因が何であるのか?嫁が姑の相手をせず、自分だけ吉崎に行き楽しみ、寂しい思いをさせた自分が原因なので、嫁は姑に謝罪しました。すると姑は急に体が楽になり、緊張も解けると鬼の面もポロリと外れました。嫁の懐深い対応に、姑は救われました。その後、二人は、お互いを尊重しあい仲良く暮らしたそうです。  

 私には嫁と姑の問題はありませんが、今の時代にも当てはまると思います。最後に説明した住職が、先程、見えられた年配の女性が「そんな嫁ばかりなら、私達は苦労しないのよ!」と言われて帰って行きましたと。その言葉が、この伝承のような結末にはならない、世知辛い、他人を思いやらない、今の時代を象徴しているのかも知れませんね、、、。

                              

              「訪問日・2017(平成29)年1月17日(火)」

 

 

吉崎御坊・願慶寺。

 

 

嫁おどし肉附面は加賀前田家の紋が入った箱に入っています。

 

 

2枚しか撮らなかった内の1枚が、ピンボケ。一応確認したんですが、気づきませんでした。もう一回来いと云う事なんですかね、、、??

 

 

姑が嫁をおどす為に被った面。

 

 

 

 嫁を威す姑。因みに吉崎御坊願慶寺から県道29号で、あわら温泉に向かう途中、あわら市柿原に「嫁威(よめおどし)」と言う地名が今も残っています。

 因みに、最後に住職より、この話は、布教活動の一環の創作話との事でしたと、、、。

 

ブログランキング・にほんブログ村へ