からの続きです
「 質問と答え」<Q&A-7>
https://ichthys.com/mail-eschatology-issues161.htm
ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋翻訳
質問 #6:
では、「いのちの書」についてはどうお考えでしょうか。
これはしばしば、天にある文字どおりの書物で、生者や死者、
また救われた者たちの名前が記されているものだと考えられていますが、
「同じ名前の人はたくさんいるではないか」と疑問に思う人もいます。
もしかすると、地上での名前そのものではなく、
それぞれに固有の識別のようなものが記されているのでしょうか。
それとも、そもそも文字どおりの書物ではなく、単なる比喩なのかもしれません。
たとえば、神が常にすべてを把握しておられる
(神は全知であり、誰が死ぬか、誰が救われるか、
あるいは信仰から離れるかを知っておられる)ということを
表す言い方なのかもしれません。
このことについて、あなたはどう思われますか。
これは、この世にいる間には分からないままの事柄の一つなのでしょうか。
返信 #6:
はい、「いのちの書」は存在します。(該当箇所参照)
何一つ汚れたものはそこに入ることはなく、
忌むべきことや偽りを行う者も決して入ることはない。
ただ、小羊のいのちの書に名が記されている者たちだけが入るのである。
(黙示録21章27節/NIV訳;
詩篇69篇28節; ピリピ4章3節;黙示録3章5節,13章8節,17章8節,20章12節,20章15節参照)
「いのちの書」には、もともとすべての人間、すなわち神が創造された
すべての人間の霊の名が記されていましたが、
不信仰な者たちは、主を拒んだことによってその書から消されるのです。(該当箇所参照)
「しかし今、どうか彼らの罪をお赦しください。
もしそうでなければ、どうかあなたがお書きになったあなたの書から、
私の名を消し去ってください。」
主はモーセに言われた。
「わたしに罪を犯した者を、わたしの書から消し去るのである。」
(出エジプト32章32–33節/NIV訳)
混乱について言えば、私たちの神は(適切な言葉が他に見当たりませんが)
私たちの小さな思いでは想像もできないほど「大きな」方です。
神は宇宙の最果てにあるすべての素粒子の動きの一つ一つを、
初めから終わりまで定められました。
そしてこれまで起こったすべてのこと、これから起こるすべてのことも同様です。
すべては神の完全で全体を見渡したご計画の中にあります――
そうでなければ、それは起こり得ないのです。
ですから、神のかたちに造られた存在という(それに比べればはるかに少ない)数を
把握することなど、神にとってはまさに容易なことなのです。
「二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。
だが、その一羽でさえ、
あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはない。」
(マタイ10章29節/NKJV訳)
イエスにあって
ボブ・L.
質問 #7:
こんばんは。
私はいつも、創世記には
「イスラエルを祝福する者を神が祝福し、イスラエルを呪う者を神が呪う」
と書かれていると聞いてきました。
そこでその箇所を読んでみると、その祝福はイスラエルというより、
アブラハムに与えられているように見えました。
聖書では「アブラハムのうちにある」ことや「アブラハムの子孫である」ことが
救いに関連して語られていることも知っています。
そうすると、その祝福は肉体的・政治的なイスラエルではなく、
霊的イスラエルに対するものではないのでしょうか。
また、終わりの時の預言の中に、イスラエルが一夜にして生まれるというものがあり、
その時代に生きている世代が神の御国を見ることになるとあります。
これは、イエスがイスラエル/世界の王として千年王国を始められる最初の日に、
イスラエルが文字通り一夜にして生まれることを指している可能性はあるのでしょうか。
イエスはハルマゲドンの直後に降臨し、文字どおり統治を開始されます。
そうだとすれば、それは1948年に「一夜にして誕生した」
政治的国家イスラエルを指しているのではない可能性もあるのでしょうか。
もしそうであれば、現在のイスラエルはどのように理解すべきなのでしょうか。
何の関係もないのでしょうか。
しかし一方で、
イスラエルの聖書的な国境の元の土地とのつながりがあるようにも感じています。
1948年に再び国ができて以来、何らかの神の守りと摂理があったように思えるのです。
彼らは信じがたいほどの困難の中で生き延びてきましたし、
神が彼らを守っておられるように感じずにはいられません。
また、イスラエルの地を分ける者を神が呪うという聖句もあると聞いています。
さらに、大艱難期の間には「信じるイスラエル」が
荒野で特別な守りを受けるという預言もありますし、
黙示録には14万4千人のユダヤ人の証人についての預言もあります。
彼らは二人の預言者(おそらくモーセとエリヤ)によって導かれるとも言われています。
そのようなことが起こるには、イスラエルという存在が必要なはずです。
ですから、1948年のイスラエルを、創世記の「一夜にして」の預言の
イスラエルとして見るべきなのかどうか、よく分からなくなっています。
あなたのご意見として、イスラエルに対する正しいクリスチャンの姿勢とは
どのようなものでしょうか。
私はイスラエルを支持する側にいますが、盲目的に支持しているわけではなく、
現在の政治的イスラエルのすべての決定を支持しているわけでもありません。
ただ、彼らが守られ、導かれるように祈りたいという思いがあります。
これは聖書的な責任なのでしょうか。
キリストにあって
返信 #7:
創世記12章3節でアブラハムに与えら れた約束は、
彼の子孫にも与えられています。
(すなわち、彼から生まれたイスラエル民族、そして特にメシア:ガラテヤ3章16節)
創世記12章2節で神が「あなたを大いなる国民とする」と言われたときにも、
そのことが示されていますし、これはこの箇所だけに見られるものではありません。
『彼は伏し、獅子のように横たわる。
雄獅子のように、だれが彼を起こし得ようか。
あなたを祝福する者は祝福され、
あなたを呪う者は呪われる。』
(民数記24章9節/NKJV訳)
もちろん、この原則は聖書全体を通して繰り返し確認されており、
人類の歴史の中でも実際に示されてきました。(「反ユダヤ主義」の項を参照してください)
現在のイスラエル国家についてですが、
メールページにある「終末論の諸問題(Eschatology Issues)」の
最近二十から三十の投稿を読まれるなら、
この問題が頻繁に取り上げられていることが分かるでしょう。
要点は次のとおりです。
すなわち、「イスラエルから出た者すべてがイスラエルなのではない」
(ローマ9章6節)とあるように、
神はイスラエルの中でも”信じる者”と”信じない者”とを明確に区別しておられます。
しかし、不信仰な者たちであっても
「先祖たちのゆえに愛されている者たち」であり、(ローマ11章28節)
「神の賜物と召命とは取り消されることがない」(ローマ11章29節)のです。
したがって、不信仰な者たちは神の御心の中にあるとは言えませんから、
現在の世俗国家としてのイスラエルが、
主によって直接支えられている国家であるとは言えません。
しかし、それでもユダヤ人に対して敵対的な態度を取ることは、
たとえ不信仰な者たちであっても、神の立場を侵害することになり、
神の大きな不興を招くことになります。
これはイスラエルに対して与えられた約束でもあり、
歴史によっても示されてきたことです。
はっきり申し上げておきますが、「1948年」という年には、
霊的にも聖書的にも、また特別な意味においても、
何の預言的意義もありません。
十字架から艱難期の開始までの間の出来事についての預言は存在しないのです。
イスラエルが再び集められるのは、
メシアが艱難期の終わりに再臨されるときであり、
その時にはユダヤ民族全体が一度に集められます。
現在のように一部だけが集められている状態ではありません。
その時こそが、地理的な意味で「神のイスラエル」が存在する唯一の時となるのです。
(該当箇所参照)
イエスにあって
ボブ・L.
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shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
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わたしたちは、この事を知っている。
わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。
それは、この罪のからだが滅び、
わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
それは、すでに死んだ者は、
罪から解放されているからである。
もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、
また彼と共に生きることを信じる。
(ローマ6:6~8)
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*
私たちの中にある古き自分
保身の為の言い訳ばかりの自分
イエス様に罪が赦され、解放されているにも関わらず
尚、罪の奴隷のままにされることがないように
御霊にあって自由になり
日々、新しいものとされますようにと
お祈りします![]()
*:..。o○☆゚・:,。*
きくらげ & はんぺん
今日もありがとう~![]()












