からの続きです
「 質問と答え」<Q&A-7>
https://ichthys.com/mail-eschatology-issues161.htm
ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋翻訳
質問 #4:
ルギンビル博士へ
ちょっとした見落としかもしれない点(それと追加の質問)について確認したいと思います。
人身売買(特に性的人身売買)と戦う状況においては、
政治的行動は状況次第では許されるのでしょうか。
たとえば、多くの信者が政府で働いています。
政府職員の中には、人身売買と戦うことを職務として給料を受け取っている人もおり、
それが生活の糧の大きな部分を占めています。
これは政治的行動とは考えないのではないでしょうか。
私には、それは軍隊で戦ったり、法執行機関で犯罪と戦ったりする職業(刑事など)と
本質的に変わらないように思えます。
この点について同じ理解に立っているか確認したいのです。
まったく別の話題ですが、以前、救いにおいて「行い」が信仰の証として必要なのか、
それとも行い自体を信頼してしまうことになるのか、という議論がありました。
たとえば、水のバプテスマが救いに必要だと信じている人々がいます。
しかし、その中にも二つの異なるグループがあるように思えます。
第一のグループは、水のバプテスマそのものに何か魔術的な救いの力があると信じており、
それゆえに救いのために必要だと考える人々です。
もし本当にそう信じているなら、その人は実際には救われていないのではないか、
と私は思います。
しかしもう一つのグループは、水のバプテスマ自体が救うとは考えておらず,
(救うのはキリストへの信仰だけだと認めている)
ヤコブ2章26節の「行いのない信仰は死んだものである」という理由から、
水のバプテスマは必要だと考えています。
言い換えると、水のバプテスマを拒む人は、本当に救われていない証拠だと考えるわけです。
彼らは、「主の命令に従いたくない人がいるだろうか」と言うかもしれません。
(聖書のどこにも命令されていないとは思いますが、
議論のために彼らの立場としてこのように表現しています)
この第二のタイプの人々(第一のグループとは区別して)は、
救われているとお考えでしょうか。
キリストにあって
返信 #4:
警察官や検察官が犯罪組織やネットワークの取り締まりに従事するのは当然のことです。
それが彼らの職務だからです。
しかし、それは私たちの職務ではありません。(彼らのために祈ることは別として)
こうした問題について、キリスト者による運動がいかに的外れになり得るかを
見たいのであれば、「禁酒法(Prohibition)」の例を見れば十分です。
それは多くの企業や人生や家庭を破壊し、組織犯罪を急増させました……
そして、おそらく酒を飲もうと決めていた人が、
酒を手に入れるのを一人として止めることはできなかったでしょう。
さて、「信仰の証として行いが救いに必要である」という点についてですが、
これは全く異なる二つの事柄を混同しています。
本物のキリスト者の良い行いは、その人の信仰の証拠です。
これこそがヤコブの言いたかったことのすべてです。
しかし、行いは救いのために必要ではありません。
むしろ、もしカインのように、自分の行いによって救われようとして神に差し出すなら、
それは救いに対して敵対するものとなります。
次の箇所を注意深く読めば明らかです。
(8) あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われたのである。
それは自分自身から出たことではなく、神の賜物である。
(9) 行いによるのではない。
それは、だれも誇ることがないためである。
(10) 私たちは神の作品であって、良い行いをするために、
キリスト・イエスにあって創造されたのである。
神は、私たちがその中を歩むようにと、
あらかじめそれらを備えておられたのである。
(エペソ2章8–10節/NKJV訳)
人々はしばしば最後の部分を見落とします。
敬虔で本物の良い行いは、救われて神の恵みに応答した結果であって、
救いの原因ではありません。
律法主義者はこれを完全に逆に考えています。
すなわち「私たちが行うから神が祝福する」と考えますが、
実際には
「神が行ってくださり、
その結果として私たちが行えるよう祝福してくださる」のです。
ここで次の問題は、「良い行いとは何か?」ということです。
その答えは、「神が実際に私たちにしてほしいと望んでおられること」です。
私たちはこれを簡潔に「霊的成長、前進、そして実り」と呼んでいます。
これは前進することを含みますが、同時に聖別(きよさ)も含みます。
すなわち、神が望まれることを行い、望まれないことを避けることです。
では、神は私たちが水のバプテスマを授けたり受けたりすることを
望んでおられるでしょうか。
この問題についてはこれまで何度も扱ってきましたし、
Ichthys には多くの資料があります。(リンク参照)
答えは非常に明確に「いいえ」です。
したがって、それを行うことは、神が望んでおられないことをすることになり、
それは良い行いの反対です。
それは律法主義であり、したがって霊的に非常に危険なものです。
「昔からそうしてきた」という理由で、<水のバプテスマを受けようとしない>
聖書を信じているキリスト者に罪悪感を抱かせようとする人々がいるからといって、
私たちが実際に罪悪感を抱く必要があるわけではありません。
私たちはこの点でも、また関連する点
(たとえば、実際の成長に役立たない教会に通うことなど)においても、
罪を犯しているわけではないのです。
ですから、「主の命令に従いたくない人がいるだろうか」という問いに対しては、
私たちはこう答えます。
「もちろん従いたいし、できる限り従っている」。
そして私は逆にこう問います。
「なぜあなたがたは、律法に戻り、規則を作り出し、『主がこう言われた』と、
主が言っていないことを主の言葉として語ることによって、
主の命令と御心に反しているのですか?」。
「彼らの預言者たちは、しっくいを混ぜずに壁を塗る者のように、
むなしい幻を見、偽りの占いをして、
『神である主はこう言われる』と言うが、主は語っておられない。」
(エゼキエル22章28節/NKJV訳)
誰が救われているかは、神のみが知っておられます。
しかし、私たちは霊的に疑わしい行動に関わっている人々や団体から
距離を置くべきであることを、十分知っています。
仕事の状況はいかがですか。
イエスにあって
ボブ・L.
質問 #5:
こんにちは。
ご家族ともどもお元気のことと思います。
改めて、キリストのからだのためのあなたの多大な働きと献身に感謝したいと思います。Ichthys は、私にとっても私の信仰にとっても本当に大きな祝福となっています。
私は朝に聖書を読み、仕事中の時間があるときには一日を通して Ichthys を読んでいます。
私の父は神学の修士号を持っており、現在博士号取得に向けて勉強していますが、
あなたのサイトは彼の学びにも大いに役立っています。
今日は、しばしば心に浮かぶことがあり、あなたのご意見を伺いたいと思いました。
もし的外れな考えや非合理的な論理でしたら、お許しください。
私たち信者は、信仰やキリストとの関係において成長していくとき、
悪しき者とその手下からの反対や攻撃を受けることがあると知っています。
しかし、私自身は霊的成長に対して、
そうした反対をまったく経験していないように思えるのです。
それで、自分は本当に正しく成長しているのだろうか?と考えてしまうことがあります。
妻も子どもたちも、そして私自身も、本当に祝福されています。
皆健康で幸せですし、必要以上の資源さえ与えられています。
もしかすると、反対はあっても、それほど気にしていないだけなのかもしれません。
私は疑いなく、天の父が私たちに必要なものを、御心の時に必ず備えてくださると
知っているからです。
三人の娘がいる家庭ですので、もちろん普通の問題はありますが、
特別に大きなストレスや信仰を試されるような出来事だとは感じていません。
考えすぎているだけかもしれませんが、あなたのご意見を伺いたいと思いました。
私は、どんな状況や問題も神からの試みとして受け止め、
家族の目を常に神へと向けさせ、正しく理解し、
信仰によって乗り越えるよう努めています。
もしかすると、大きな試練がこれから来るのかもしれません。
しかし、それが来るなら、神に頼って私と家族を支えていただき、それに耐え、
それを信仰を強める機会、そして信仰が本物であることを示す機会として
用いたいと思っています。
神の祝福がありますように。
お忙しい中お答えくださることに、あらかじめ感謝いたします。
返信 #5:
ご連絡いただき、うれしく思います。
すべてが順調に進んでいるとのこと、私もとても喜んでいます。
それを問題として見る必要があるのかという点についてですが、
もし現在、厳しい試練を受けていないのであれば、それは現時点では成長のために
それが必要ないか、あるいは特に有益ではないからかもしれません。
主は、私たちすべてに対してそうであるように、必要な時に必要なものを備えてくださいます。それが訓練であれ祝福であれ、試練であれ休息であれ、同じです。
普通は、これとは逆の内容のメールを受け取ることのほうが多いのです。
すなわち、自分は限界を超えるほど試されていると感じ、その結果として自分自身を責め、
ヨブのように過去を振り返って原因を探そうとする信者たちからです。
ヨブのことを思い出してみてください。
彼は測り知れないほど祝福され、その後測り知れないほど試され、
そして再び測り知れないほど祝福されました。
私たちのほとんどは、彼が最初や最後に受けたほどの祝福も、
またその間に受けたほどの試練も経験しません。
ヨブはそれらすべてをよく対処しました。
(彼の「友人たち」に悩まされるまでは、試練にもよく耐えました)
もし私たちが試練を受けるとしても、それは困難ではあってもヨブほどではないでしょう。
もし祝福を受けるとしても、それはすばらしいものであっても、
彼ほど大きなものではないでしょう。
私たちが主と親しく歩み続けるなら、主はどのような状況を乗り越えるにも
必要なものを与えてくださいます。
ですから、試練からの救いを心配する必要も、(試練はいずれ必ず来ます)
試練がないことを心配する必要もありません。
(遅かれ早かれ、私たちは皆試されるのです)
むしろ、主がすべてを最善の形で整えておられることを信頼すべきなのです。
(12) 私は乏しい中にあることも知っており、豊かな中にあることも知っている。
私は、満ち足りることにも、飢えることにも、豊かであることにも、
乏しいことにも、あらゆる場合に対処するすべを、すでに学んでいる。
(13) 私を強くしてくださる方によって、私はすべてのことに耐える力を持っている。
(ピリピ4章12–13節)
……そして、もし私たちが艱難期に入ることになれば、
そこには十分すぎるほどの試練と試しが待っていることでしょう。
イエスにあって
ボブ・L.
ーーーーーーーーーーー
shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
ーーーーーーーーーーー
わたし(バプテスマのヨハネ)は悔改めのために、
水でおまえたちにバプテスマを授けている。
しかし、わたしのあとから来る人(イエス・キリスト)は
わたしよりも力のあるかたで、
わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。
このかた(イエス・キリスト)は、
聖霊と火とによっておまえたちに
バプテスマをお授けになるであろう。
(マタイ3:11)
感謝します
*:..。o○☆゚・:,。*
朝からまとまった雨が降っていますね
週明けの通学、出勤、またはお出かけの方の足元が
守られますますように
また、山火事の消化の雨となりますように
お祈りします![]()
きくらげ & はんぺん
今日もありがとう~![]()














