sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

からの続きです

 

質問と答え<Q&A-10> ~終末論に関する諸問題

 

 https://ichthys.com/e-mails.htm 

からの抜粋訳 [2026年4月25日掲載] 

 

質問 #1: 

それでは、イザヤ59章19節(口語訳)について、洪水のように来るのは主の霊ではなく

「敵」であるとあなたは考えておられるのですよね。

確認したかっただけです。

自分でもインターネットで調べてみましたが、大多数はそれとは別の解釈

「サタンよ、退け」といった理解)を支持しているようです。

あなたの働きに感謝します。 

 

返信 #1: 

はじめまして。励ましのお言葉をいただき、誠にありがとうございます。 

 

  敵が洪水のように押し寄せるとき、主の霊が彼に対して旗を掲げられる。

(イザヤ59章19節後半/KJV訳) 

 

イザヤ59章19節の後半のヘブル語はכִּי־יָבוֹא כַנָּהָר צָר רוּחַ יְהוָה נֹסְסָה בוֹ

(キー・ヤーヴォー カンナーハール ツァールルーアハ ヤハウェ ノセサー ヴォー)

とあります。ここで鍵となる語は tsar(צָר)(ツァール)<敵>です。

 

KJV訳<欽定訳>はこの語(ツァール)を名詞、すなわち文の主語と見ており、

「川」の修飾詞ではないと解釈しており、この点で正しいと考えられます。

この語(ツァール)「川」の修飾詞として理解することも不可能ではありませんが、

それはかなり無理のある読み方です。

なぜなら、そのような用法はヘブル語の他の箇所に同様の用法が見られず、

またこの節の自然な読み方(すなわちKJV訳の読み方)にも反しているからです。

そしてこの自然な読み方は、直前でメシア「敵に怒りをもって報い、仇に報復される」

イザヤ59章18節と描かれているという文脈にもよく適合しています。

また「洪水のように押し寄せる」という描写は、

ハルマゲドンにおける敵軍の行動として他の箇所にも見られます.

イザヤ8章6–8節;ダニエル9章26節,ダニエル11章22節〔ヘブル語〕)

したがって私の訳は次のとおりです。 

 

 (すなわち反キリストが大河のように(すなわちナイルまたはユーフラテス川のように

ダニエル11章22節11章26節参照)攻め寄せて来ても、主の霊を退けられる。

(イザヤ59章19節後半) 

 

イエス・キリストにあって 

BobL. 

 

質問 #2: 

Bob先生、こんにちは。 

主にあってすべてが順調でありますようお祈りしています。

 

私は先日、「来たる艱難期第三部A:艱難期の始まり」をもう一度読んでいて、

先生が説明しておられた

「艱難期において、前の三つの聖句に見られるサタンの影響に対して

不信者がより影響を受けやすくなることを、将来神が許容されること」

という主題について、いくつか確認させていただきたいと思いました。

その前の三つとは第二テサロニケ2章7節;第一ヨハネ4章6節,第一ヨハネ4章3節です。 

 

それで、第二テサロニケ2章11節にある、この惑わす力を送られる神の働きは、

不信者に臨むとのことですが、他の箇所で先生は、

来るべき大背教について教えておられる際、戦う地上の教会の信者の三分の一が堕落し、

残りの三分の二を裏切るだけでなく、反キリストにも従うようになると説明しておられます。

すると、本当の信者も、不信者と同じように、

この『惑わす力』を許される神の働きの影響を受けることになるのでしょうか。 

 

返信 #2: 

私は、この惑わす力は、たとえ以前は「信者」であったとしても、

現在不信者となった者たちには影響を及ぼすのだと考えます。

反キリストに従う者、獣の刻印を受ける者はだれであっても、

その定義上すでに背教に陥っており、もはや信者ではなく、

不信者の状態に戻ってしまっているからです。 

 

  (8) その時、不法の者(すなわち反キリストが現れる。

 その者を主イエスは御口の息によって滅ぼし、

 その栄光の来臨によって打ち滅ぼされる。

 (9) この不法の者の出現はサタンの働きによるものであり、

 あらゆる偽りの奇跡と、しるしと、不思議を伴い、

(10) また滅びに向かう者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴う。

 彼らが滅びるのは、救われるために真理への愛を受け入れなかったからである。

(11) それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、誤りの力を彼らの上に送られる。

(12) それは、真理を信じず、不義を喜んだすべての者がさばかれるためである。

第二テサロニケ2章8–12節) 

 

当然ながら、上で強調した部分を読むと、私たちはそれを未信者のことだと理解し、

かつて信者であった者がその時点で不信者の状態に戻ってしまっているということまでは、

すぐには思い至らないかもしれません。

しかし、そのような者たちも当然そこに含まれると考えられます。

なぜなら、彼らもその時点では未信者だからです。

もしこれをさらに明確にしようとすれば、

パウロは脚注でも付けなければならなかったでしょう。

しかし、その必要はありません。

背教した信者は、主から特別な配慮を受けることはありません。

むしろその逆なのです。 

 

(20)もし私たちの主であり救い主であるイエス・キリストを知ることによって、

 この世の汚れから逃れた後で、再びそれらに巻き込まれて打ち負かされるなら、

 その人たちの終わりの状態は、初めよりも悪くなる。

(21)彼らにとっては、義の道を知ってしまった後で、

 自分たちに委ねられた聖なる戒めから背を向けるよりは、

 最初からそれを知らなかった方がよかったのである

(22)彼らの場合、「犬は自分の吐いた物に戻り、洗われた豚は泥の中に転がる」

 ということわざが当てはまるのである。

第二ペテロ2章20–22節) 

 

もし私があなたのご質問の要点を取り違えているようでしたら、

どうぞ遠慮なく再度お書きください。 

 

イエス・キリストにあって 

BobL

 

質問 #4: 

ご返信ありがとうございます。とてもすばらしいものでした。 

もう一つ質問があります。

数年前に「Release YourUnlimited Creativity」というウェブサイトを見つけました。

その中にエデンの園についての記事があり、長文でありお忙しいことは承知しておりますが、

先生のご意見をお聞きできればと思いました。 

 

多くのエリートたちは、

サタンは私たちをマトリックスから解放する助けとなる解放者であると信じているようです。 

こちらがその記事です: 

https://www.ryuc.info/common/recreating_oneself/revisit_garden_of_eden.htm 

 

もしお時間がありましたら、ご見解をお聞かせいただければ幸いです。 

お時間と励ましをありがとうございます。 

 

 

返信 #4: 

ありがとうございます。 

私は、他の人々の長いインターネット記事(OPW:other people's work〔他人の著作物〕)

を読んで内容を整理する時間的余裕がありません。 

 

もし特定の引用文について具体的な質問があるのであれば、

たとえばその箇所を挙げていただければ、喜んでお答えします。 

悪魔が何らかの助けになると考える人は、非常に恐ろしい思い違いに陥っています。 

 

「あなたがたはあなたがたの父である悪魔から出た者であり、

 あなたがたは自分の父の欲望を行おうとしている。

 悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいない。

 彼のうちには真理がないからである。

 彼が偽りを語るときは、自分の本性から語っているのである。

 彼は偽り者であり、偽りの父だからである。」

ヨハネ8章44節/NIV) 

 

悪魔はただ偽りを語るだけです。

彼はただ私たちに害と滅びをもたらそうとするだけです。

彼は絶えず信者を訴える者であり、決して私たちの益を求めているのではありません。

リンク参照)

このようなグノーシス的またはサタン的な事柄に関わることは、

信仰の崩壊へと非常に速く至る道であり、最終的には火の池に至ることになります。

(救われるのは信者だけだからです) 

 

したがって、このような人々や思想からは、できるだけ遠く離れているよう、

強くお勧めします。 

 

イエス・キリストにあって 

BobL. 

 

質問 #5: 

Robert先生、ありがとうございます。お時間を割いてご返信くださり感謝しています。

インターネット上でこのような事柄について語っている方々の中で、

先生が最も優れた方だと思っています。 

 

実は、私は敵対者から非常に強い攻撃を受けています。

目に見えない悪霊のことを言っているのではありません。

イルミナティの黒魔術師たちのことです。彼らの力は信じられないほどです。 

 

たとえば、私は「Antica Farmicita」という香水を買いました。

この二つの言葉の中に「ant farm(アリの巣)が見えるでしょう。

ある朝目が覚めると、カーペット敷きの寝室の床の隅々までアリで覆われていました。

バスルームの硬い床に来たアリはすべて退治しましたが、

仕事に遅れそうだったのでシャワーを浴びなければなりませんでした。

シャワーから出ると、バスルームの床に残っていた死んだアリ以外、

すべてのアリが消えていました。 

 

また別の夜、眠れず、「turn around(振り向け)という歌詞が頭の中に浮かんでいました。

ベッドの中で寝返りを打つと、小さな冷蔵庫が180度回転していました。

その日は一日中誰も部屋に入っておらず、寝たときには普通の向きだったのです。 

 

彼らは私の思考を読み、私の考えを他の人に伝えています。

そのため、嫌がらせを受けているのでソーシャルメディアをやめざるを得ませんでした。

誰かが投稿した写真について心の中で思ったことを、言葉でも書き込みでも

一切伝えていないのに、翌日その人が私のページに不審なコメントを

書いてきたことがあります。

その人はそれまで一度も私とやり取りしたことがありませんでした。 

このような例は他にもたくさんあります。 

なぜ神が、ある人が他人の思考を読むことを許されるのか、理解できません。 

私は決して気が狂っているわけではありません。 

 

返信 #5: 

「インターネット上で最も優れた人」というお言葉についてですが、ありがとうございます。

ただ、それは「できの悪いグループの中でいちばん賢い子」と呼ばれるようなものですが。 

 

はっきり申し上げますが、誰もあなたの思考を読むことはできません。

しかし、人はあなたがしていることを見たり、

話していることを聞いたりすることができます。

そして、もしあなたの言動を観察したり聞いたりできるなら、

あなたがどのような状態にあるか、何を考えているかを推測するのに

特別な才能は必要ありません。

したがって、悪霊たちはあなたや私たちについて情報を集めることに困難はありません。

(実際、彼らは常にそうしています。それは彼らの主人が主の前で私たちを訴えるためです

黙示録12章10節;参照. ヨブ記1章6–11節,2章1–5節参照) 

 

私の助言はいつも同じです。

霊的な問題から抜け出す唯一の道は、罪の告白悔い改め

(私たちは皆、日々それを必要としており、それゆえ主の祈りの中にも含まれているのです)

に続いて、継続的な霊的成長を行うことです。

それこそが「悪魔に立ち向かう」唯一の道です。

そして、もし私たちが御霊と神のことばの真理に耳を傾けるようになるなら、

悪魔は「私たちから逃げ去る」ことになるでしょう。 

 

 だから神に従いなさい。

 そして悪魔に立ち向かいなさい。

 そうすれば悪魔はあなたがたから逃げ去る。

ヤコブ4章7節/NKJV) 

 

そして覚えておいてください。悪霊悪魔も被造物です。

彼らは強力ではありますが、それは相対的なものに過ぎません。

彼らは神ではありません――まったく神には及びません。

もしあなたがイエス・キリストを信じる信者であるなら、

聖霊があなたの内に住んでおられます。ローマ8章9節

そして聖霊です。

神の力に匹敵するものは何一つありません。 

 

 子たちよ、あなたがたは神から出た者であり、彼らに打ち勝ったのである。

 あなたがたの内におられる方は、この世にいる者よりも大いなる方だからである。

第一ヨハネ4章4節/NKJV) 

 

イエス・キリストにあって 

BobL. 

 

質問 #6: 

彼らが私の思考を読み、それを他の人々に伝えているのは事実です。

私はそれを神とどう結びつけて理解すべきかを考えています。

私の元配偶者は世界でも有数の富豪の一人です。

__は私たちとしばらく一緒に住んでいました。

イルミナティが実在し、彼らが非常に強力な黒魔術師を持っていることは事実だと

確信しています。 

 

これは、神がアダムとエバに

「知識の木から取って食べてはならない、そうすれば神のようになる」

と言われた意味だと私は思っています。 

 

イエスは、隠されているものは何一つ隠されたままではいないと教えられました。 

繰り返しますが、私はこの事実を神とどう結びつけて理解すればよいのか分からないのです。 

私は医師の診断も受けており、統合失調症でもそれに近い状態でもありません。

誰も私を信じようとしませんが、これは起きていないのだと信じるように

私の考えを変えることはできません。 

 

お時間を割いてこの問題に向き合ってくださり感謝します。

私は先生の言葉と知識を高く評価しています。 

 

返信 #6: 

「イエスは、隠されているものは何一つ隠されたままではいないと教えられました」

という点についてですが、

「隠されているものが明らかになる」というのは、

やがて私たちの生涯がすべて明るみに出される来世における主のさばきを指しています。 

もちろん、主に対して隠されているものは何一つありません。

主は神だからであります。

しかし、悪霊は私たちの思考を読むことはできません。

 

私たちはしばしば他人にとって「開かれた本」のような存在であり、

また悪霊と関わりのある者たちが、私たちの言ったことやしていることについて

知らされることがあるとしても、私たちの魂の中に入り込める窓は、主以外には存在しません。イエス・キリストを信じる信者にとってはなおさらです。

私たちの内には聖霊がおられます。

そして聖霊悪霊と関わりを持つことは決してありません。 

 

主にとって不可能なことは何一つありません。

しかし結局のところ、どれほど強力であっても、悪魔はあくまでも被造物にすぎません。 

 

イエスは私たちをご自分の従う者として平和へと招いておられます。

そして私たちは心を尽くしてその平和を受け入れるよう努めるべきです。 

 

 わたしはあなたがたに平安を残していく。

 わたしの平安をあなたがたに与える。

 それは世が与えるものとは異なる。

 あなたがたは心を騒がせてはならない。

 また恐れてはならない。

(ヨハネ14章27節) 

 

イエス・キリストにあって 

BobL. 

 

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 しかし、神の御霊があなたがたの内に宿っているなら、

あなたがたは肉におるのではなく、霊におるのである。

もし、キリストの霊を持たない人がいるなら、

その人はキリストのものではない。
 

 もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、

からだはのゆえに死んでいても、

霊はのゆえに生きているのである。

(ローマ8:9~10)

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

もっともっとあなたの愛に触れ

あなたを知ることが出来ますように

御霊を通して、霊の目が開かれ

あなたの光で溢れますようにキラキラ

 

お祈りしますお願い

 

 

 

 

 

 

釣鐘水仙(ツリガネスイセン)

 

 

 

*:..。o○☆゚・:,。*

今日で4月も終わりますね

ようやく、リビング生活から二階の自分の部屋に戻ろうと思います

長かったような、時間が止まっていたような…

特別の時間を過ごせたことに感謝します飛び出すハート

 

 

きくらげ 目を開いて見てるのねキラキラ

今日もありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

質問と答え<Q&A-> ~重ねられる祈り ~

 

            https://ichthys.com/mail-cumulative%20prayer.htm 

            ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋引用 

 

質問: 

こんにちは、ボブ。 

複数の人が一人のために祈る場合、それはどのように影響するのでしょうか。

言い換えると、主はそれをどのように見ておられるのでしょうか。

私はこれまで他の人のために祈ってきましたが、

それが主の御前でどのようにその人の益となるのか、よく分かりませんでした。 

 

返信: 

これは非常に良い質問であり、私自身もかなり考えてきたことです。

祈りは、私が現在資料を集めている主題の一つでもあります。

(いずれ「聖書の基礎」シリーズで扱う予定です)

 

私はこう信じています。

キリスト者の口から出る義なる祈りはすべて聞かれており、

何らかの形で必ず答えられているのです。

しかし、多くのことと同様に、その詳細については私たちには分かりません。

私たちの周囲で渦巻いている目に見えない霊的戦いを見ることができないのと同じように、

私たちが天に向かって放つ一つ一つの「ミサイル(祈り)」が

どのような具体的影響を与えているのかを知ることもできません。

 

しかし、確かに影響はあるのです。

黙示録8章3–5節にある「聖徒たちの祈り」

大切に蓄えられており、その時に一斉に答えられます。

そこでは確かに艱難期のさばきに関する特定の祈りが扱われていますが、

この箇所は、すべての信者の祈りが考慮されていることを示唆しています。

 

またもちろん、祈りが答えられることについての多くの約束もあります。

(例:ルカ11章5–13節

ある人々は神の御前で特に大きな影響力を持っており、

その祈りは特別な重みを持ちます。

ダニエル9章23節; ヤコブ5章16–18節

そして、多くの人が同時に祈ることについては、

使徒行伝12章1–17節でペテロが牢から解放されたのが、

ちょうど教会が彼のために共に祈っていた時であったことが記されています。

またパウロも、特に積み重なる祈り(累積的な祈り)を通して

互いに支え合うことの重要性を強調しています。

第二コリント1章11節;同9章12–14節参照) 

 

したがって、どれほど小さく、短く、弱々しい祈りであっても、

それは聞かれ(そして答えられ)ますが、

同時に、祈りを「より効果的」にする要素があることも確かです。

たとえば、 

 

複数の人が祈ることマタイ18章19節) 

粘り強く祈り続けることルカ18章1–6節) 

祈る人の義ヘブル5章7節参照) 

断食ダニエル9章3節参照) 

 

これらすべてには、祈りに「重みが加わる」効果があると言えるでしょう。

こうしたことを聞いて、特定の祈りが答えられるためには

多くの要素が必要なのだと考えて落胆する人もいるかもしれません。

しかし、それは物事を逆に見ていると思います。

祈りが答えられることが、より大切で、より重要で、より困難であるほど、

私たちは待つことを通して信仰が鍛えられ、築き上げられ、

そして答えられたときには、

神に対していっそう深い感謝を抱くようになるのです。 

 

そもそも、私たちがイエスを信じた後もこの世に留められている主な理由の一つは、

信仰を築き上げ、信仰を証明し、信仰を示すためです。

待つことなく、主を信頼する必要がなければ、これは決して起こらないでしょう。

(もしすべての祈りがすぐに、私たちの思った通りに答えられるならば) 

 

イスラエルの民は、神の御手が紅海を分け、

彼らを滅ぼそうとしていた敵を打ち倒すという、

非常に驚くべき出来事を目の当たりにしました。

そして彼らは主を恐れ、主を信じました。

出エジプト14章31節

しかし、そのわずか数日後には疑い、不平を言っていたのです。

出エジプト15章22–26節

この有名な否定的例(パウロも第一コリント10章で祈りに関連して言及しています)

とは対照的に、私たちは、神が決して私たちを見捨てず、

常に私たちの最善を考えておられるという視点を持たなければなりません。

(肉の目にはそう見えなくても) 

 

私は確信しています。

もし私たちが知識においても、信仰においても、

キリスト者としての歩みにおいても完全であったなら、

私たちの祈りはエリヤやダニエルやモーセの祈り、

さらには主ご自身の祈りのように効果的であったでしょう。

なぜなら、その時には神の御心に完全に一致して祈ることになるからです。

もちろん、私たちは完全ではありません。

ですから、私たちの「打率」はダビデやパウロほど高くはありません。

しかし私たちは祈り続けなければなりませんし、

同時に祈りの質を高める努力もし続けるべきです。

そして、他のキリスト者たちも同じように私たちのために祈ってくれていること、

そして一つ一つの祈りがすべて意味を持っていることを覚えておくべきなのです。 

 

これらのリンクもぜひご覧ください: 

 

「主の祈り」 

ゲッセマネにおけるイエスの祈り(聖書の基礎第4部A: イエス・キリストについての研究) 

祈りは天からささげられることがあるのか?<英文> 

霊的成長の要素としての祈り(ペテロ・シリーズ#17の15頁「7.祈り」の項参照) 

共同の祈り:『地上で二人が心を合わせるとき』」 

信仰が弱りつつあるときのための祈り<英文> 

祈りにおいて聖なる手を上げること<英文> 

呪いを求める祈り(インプレカトリー・プレイヤー)<英文> 

イエスの御名によってささげる祈り<英文> 

知恵を求める祈り:ヤコブ1章5節<英文> 

祝福・呪い・祈りと神のみこころ<英文> 

父なる神への祈りの道と、私たちのためのキリストのとりなし<英文> 

 

私たちの祈りを聞き、私たちをいやしてくださるお方、 

私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名によって 

出エジプト記15章26節)。 

 

Bob L. 

 

<Q&A-10>に続く下差し

 

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 キリストは、その肉の生活の時には、

激しい叫びと涙とをもって、

ご自分を死から救う力のあるかたに、

祈と願いとをささげ、

そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。

(へブル5:7)

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*:..。o○☆゚・:,。*

 

今朝は曇り空

なんとなく遅く起きたけど

11年前に虹の橋を渡った初めての猫

みゅうちゃんの夢を久しぶりに見た

抱き上げたときの感触まで残っているハート

二度寝したら、今度は子供の頃の愛犬チロも夢に出てきた

本当に可愛かった~💕

 

誰かの祈りが夢の中で癒してくれたように思った

ありがとうハート

 

 

きくらげ、じ~っと何を見つめているのかにゃラブラブ

今日もありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

「 質問と答え」<Q&A-> 

 

        https://ichthys.com/mail-eschatology-issues161.htm 

        ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋翻訳 

 

質問 #6: 

では、「いのちの書」についてはどうお考えでしょうか。

これはしばしば、天にある文字どおりの書物で、生者や死者、

また救われた者たちの名前が記されているものだと考えられていますが、

「同じ名前の人はたくさんいるではないか」と疑問に思う人もいます。

もしかすると、地上での名前そのものではなく、

それぞれに固有の識別のようなものが記されているのでしょうか。

それとも、そもそも文字どおりの書物ではなく、単なる比喩なのかもしれません。

 

たとえば、神が常にすべてを把握しておられる

(神は全知であり、誰が死ぬか、誰が救われるか、

あるいは信仰から離れるかを知っておられる)ということを

表す言い方なのかもしれません。

このことについて、あなたはどう思われますか。

これは、この世にいる間には分からないままの事柄の一つなのでしょうか。 

 

 

返信 #6: 

はい、「いのちの書」は存在します。該当箇所参照) 

 

 何一つ汚れたものはそこに入ることはなく、

 忌むべきことや偽りを行う者も決して入ることはない。

 ただ、小羊のいのちの書に名が記されている者たちだけが入るのである。

黙示録21章27節/NIV訳;

 詩篇69篇28節; ピリピ4章3節黙示録3章5節,13章8節,17章8節,20章12節,20章15節参照)

 

「いのちの書」には、もともとすべての人間、すなわち神が創造された

すべての人間の霊の名が記されていましたが、

不信仰な者たちは、主を拒んだことによってその書から消されるのです該当箇所参照) 

 

 しかし今、どうか彼らの罪をお赦しください。

 もしそうでなければ、どうかあなたがお書きになったあなたの書から、

 私の名を消し去ってください。」

 主はモーセに言われた。

 「わたしに罪を犯した者を、わたしの書から消し去るのである。」

出エジプト32章32–33節/NIV訳) 

 

混乱について言えば、私たちの神は(適切な言葉が他に見当たりませんが)

私たちの小さな思いでは想像もできないほど「大きな」方です。

神は宇宙の最果てにあるすべての素粒子の動きの一つ一つを、

初めから終わりまで定められました。

そしてこれまで起こったすべてのこと、これから起こるすべてのことも同様です。

すべては神の完全で全体を見渡したご計画の中にあります――

そうでなければ、それは起こり得ないのです。

ですから、神のかたちに造られた存在という(それに比べればはるかに少ない)数を

把握することなど、神にとってはまさに容易なことなのです。 

 

 「二羽の雀は一アサリオンで売られているではないか。

 だが、その一羽でさえ、

 あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはない。」

マタイ10章29節/NKJV訳) 

 

イエスにあって 

ボブ・L. 

 

 

質問 #7: 

こんばんは。 

私はいつも、創世記には

「イスラエルを祝福する者を神が祝福し、イスラエルを呪う者を神が呪う」

と書かれていると聞いてきました。

そこでその箇所を読んでみると、その祝福はイスラエルというより、

アブラハムに与えられているように見えました。

聖書では「アブラハムのうちにある」ことや「アブラハムの子孫である」ことが

救いに関連して語られていることも知っています。

そうすると、その祝福は肉体的・政治的なイスラエルではなく、

霊的イスラエルに対するものではないのでしょうか。 

 

また、終わりの時の預言の中に、イスラエルが一夜にして生まれるというものがあり、

その時代に生きている世代が神の御国を見ることになるとあります。

これは、イエスがイスラエル/世界の王として千年王国を始められる最初の日に、

イスラエルが文字通り一夜にして生まれることを指している可能性はあるのでしょうか。

イエスはハルマゲドンの直後に降臨し、文字どおり統治を開始されます。

そうだとすれば、それは1948年に「一夜にして誕生した」

政治的国家イスラエルを指しているのではない可能性もあるのでしょうか。

もしそうであれば、現在のイスラエルはどのように理解すべきなのでしょうか。

何の関係もないのでしょうか。 

しかし一方で、

イスラエルの聖書的な国境の元の土地とのつながりがあるようにも感じています。

1948年に再び国ができて以来、何らかの神の守りと摂理があったように思えるのです。

彼らは信じがたいほどの困難の中で生き延びてきましたし、

神が彼らを守っておられるように感じずにはいられません。

また、イスラエルの地を分ける者を神が呪うという聖句もあると聞いています。

 

さらに、大艱難期の間には「信じるイスラエル」

荒野で特別な守りを受けるという預言もありますし、

黙示録には14万4千人のユダヤ人の証人についての預言もあります。

彼らは二人の預言者(おそらくモーセとエリヤ)によって導かれるとも言われています。

そのようなことが起こるには、イスラエルという存在が必要なはずです。

ですから、1948年のイスラエルを、創世記の「一夜にして」の預言の

イスラエルとして見るべきなのかどうか、よく分からなくなっています。 

 

あなたのご意見として、イスラエルに対する正しいクリスチャンの姿勢とは

どのようなものでしょうか。

私はイスラエルを支持する側にいますが、盲目的に支持しているわけではなく、

現在の政治的イスラエルのすべての決定を支持しているわけでもありません。

ただ、彼らが守られ、導かれるように祈りたいという思いがあります。

これは聖書的な責任なのでしょうか。 

キリストにあって 

 

 

返信 #7: 

創世記12章3節でアブラハムに与えら れた約束は、

彼の子孫にも与えられています。

(すなわち、彼から生まれたイスラエル民族、そして特にメシア:ガラテヤ3章16節

創世記12章2節で神が「あなたを大いなる国民とする」と言われたときにも、

そのことが示されていますし、これはこの箇所だけに見られるものではありません。 

 

 『彼は伏し、獅子のように横たわる。 

 雄獅子のように、だれが彼を起こし得ようか。 

 あなたを祝福する者は祝福され、 

 あなたを呪う者は呪われる。』  

民数記24章9節/NKJV訳) 

 

もちろん、この原則は聖書全体を通して繰り返し確認されており、

人類の歴史の中でも実際に示されてきました。(「反ユダヤ主義」の項を参照してください) 

 

現在のイスラエル国家についてですが、

メールページにある「終末論の諸問題(Eschatology Issues)

最近二十から三十の投稿を読まれるなら、

この問題が頻繁に取り上げられていることが分かるでしょう。

要点は次のとおりです。

すなわち、「イスラエルから出た者すべてがイスラエルなのではない」

ローマ9章6節とあるように、

神はイスラエルの中でも”信じる者””信じない者”とを明確に区別しておられます。

 

しかし、不信仰な者たちであっても

「先祖たちのゆえに愛されている者たち」であり、ローマ11章28節

「神の賜物と召命とは取り消されることがない」ローマ11章29節)のです。

したがって、不信仰な者たちは神の御心の中にあるとは言えませんから、

現在の世俗国家としてのイスラエルが、

主によって直接支えられている国家であるとは言えません。

 

しかし、それでもユダヤ人に対して敵対的な態度を取ることは、

たとえ不信仰な者たちであっても、神の立場を侵害することになり、

神の大きな不興を招くことになります。

これはイスラエルに対して与えられた約束でもあり、

歴史によっても示されてきたことです。 

 

はっきり申し上げておきますが、「1948年」という年には、

霊的にも聖書的にも、また特別な意味においても、

何の預言的意義もありません。

十字架から艱難期の開始までの間の出来事についての預言は存在しないのです。

 

イスラエルが再び集められるのは、

メシア艱難期の終わりに再臨されるときであり、

その時にはユダヤ民族全体が一度に集められます。

現在のように一部だけが集められている状態ではありません。

その時こそが、地理的な意味で「神のイスラエル」が存在する唯一の時となるのです。

(該当箇所参照) 

 

イエスにあって 

ボブ・L. 

 

<Q&A-9>へ続く下差し

 

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ご意見、ご感想、また右差しオーディオクラスに関心のある方は、

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 わたしたちは、この事を知っている。

わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。

それは、この罪のからだが滅び、

わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
 

 それは、すでに死んだ者は、

罪から解放されているからである。
 

 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、

また彼と共に生きることを信じる。

(ローマ6:6~8)

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

私たちの中にある古き自分

保身の為の言い訳ばかりの自分

イエス様に罪が赦され、解放されているにも関わらず

尚、罪の奴隷のままにされることがないように

御霊にあって自由になり

日々、新しいものとされますようにと

 

お祈りしますお願い

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 きくらげ  はんぺん

今日もありがとう~ラブラブ