sarah‐mercy

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イエスの愛と共に
猫にも花にも愛は注がれている

 

からの続きです

 

「 質問と答え」<Q&A-> 

 

https://ichthys.com/mail-eschatology-issues161.htm 

ロバート・D・ルギンビル博士著 からの抜粋翻訳 

 

質問 #2 

ルギンビル博士へ 

お元気でお過ごしでしょうか。 

 

さて、あなたも聞いておられるかもしれませんが、__ が銃撃されました。

(悲しく、また残念なことです)

私は今まで彼のことを知りませんでしたが、彼はキリスト教右派の政治活動家であり、

信仰、道徳的問題、そして政治に関係するさまざまな主題について、

リベラルな大学や大学院の学生たちと討論していた人物であったと聞きました。

もちろん、彼の信念や価値観のいくつかは聖書的なものでした。

(そして、彼が地上にいた期間に行った

すべての真実の善い働きのために、彼は大きな報いを受けるだろうと私は信じています)

 

しかし私は、投票しない者は神に対して反逆しているとする彼の立場に異議を感じました。

彼はエレミヤ29章7節を、信者は投票し政治に関与すべきであることを

「証明する」ための主要な「証明聖句」の一つとして用いています。

私は、この節が彼の主張を証明しないことは理解していますが、

「どのようにしてそれが証明にならないのか」という点を、

頭の中でうまくまとめることができません。

彼はこの節を文脈から取り外して用いている、とあなたは思われませんか。

彼は、聖書には政治の主題に関連することが非常に多く語られており、

それが私たちが政治に関与すべきことを裏づけていると述べましたが、

彼がそれらの多くの箇所をどこから持ってきているのか、私には分かりません。

ある人々は、ダビデやヨセフのように、

多くの旧約の人物が高い指導的地位にあったことを挙げています。

(これは思いつく例のうちの、ほんの二つにすぎませんが) 

 

__は、教会は世界で起こっていることを気にかけるべきであると述べています。

もちろん、私たちは気にかけるべきです。しかし、それが本当の問題ではありません。

なぜなら、気にかけること、(それは最大限の霊的成長によって最もよく達成されます)

そしてそれゆえ、自分の国、その指導者たち、そして政府のために祈ることは、

政治に関与することと同じではないからです。

問題は、この世界に非常に広く存在している悪に対して、

私たちはどのように反応すべきか、ということです。

霊的成長、前進、そして生産によってです。

人々の前で自分の光を輝かせ、地の塩となる方法は存在しますが、

政治への関与はその解決ではありません。

ラオデキヤへのキリストのメッセージは、私たちに悔い改めるように告げています。

したがって、本当の問題が悔い改めである黙示録3章19節にもかかわらず、

神が実際に私たちにそうすることを望んでおられるかのように、

教会が政治に自らを押し込むことに、どのような権利や根拠があると

教会は考えているのでしょうか。教会は霊的に変わる必要があります。 

 

さて、私はこのような言い方をすべきではないことは理解していますが、

真に地の塩であることは、ある意味において、より多くの不信者をキリストへ導き、

また私たち一人一人に割り当てられている奉仕を通して信者が霊的に成長するのを

助けることによって、この世界をより良い場所にしようとすることだと

言えるのではないでしょうか。

もし教会がそれほど生ぬるくなく、自分の務めを正しく果たしていたなら、

私たちは自然とより敬虔な指導者を持つことになったのではないでしょうか。

そして、その指導者たちの中に信者がいたとしたら、

そのような地位にいることは間違いなのでしょうか。 

 

私が言おうとしているのは、

教会は霊的な方法によって世界に働きかけ存在であるということです。

(そして、それは結果として、多くの積極的な変化が世俗的および政治的領域において

自然に起こることにつながる可能性があります)

(私たちはそれには同意していませんが)

人は政治に関与すべきだと信じているクリスチャンたちは実際にいます。

私は、彼らの目標は、私たちのものと似ているか、

もし同じでないとしても非常に近いものだと思います。

(たとえ、私たちが地上に天国を作ることは決してできず、

最終的に「すべてを正す」ことができるのは神のみであるとしても)

しかし、大きな違いは、私たちすべてが目指しているその目標を達成しようとしている方法、

手段、あるいはやり方にあります。霊的手段は政治的手段に勝ります。

(ちょうど、同じ木を切り倒すためには普通の釘打ち用の金づちよりも

斧の方が明らかに優れているのと同じです。金づちは木を倒すには単に役に立たないのです) 

 

私は、より神を敬う残された者たちが存在するならば、

犯罪や道徳的問題は自然と少なくなるだろうと思います。

たとえそれらのものが完全に消え去ることは決してないとしてもです。

そして、千年王国の終わりに起こるゴグとマゴグの反乱は、

このことを非常にはっきりと証明するでしょう。

なぜなら、神の知識が至るところに満ちている、

ほとんど完全で「エデンの園のような」状況でさえも、

悪魔の大義の最も頑固な支持者たちを思いとどまらせるには十分ではないからです。 

 

__ は、もし政治に関与しないなら、

あなたはそれらを気にかけていないのだと信じていました。

(それはおそらく正しい言い方でしょう)

しかし彼らは、それを、この世界で何が起こっているかを気にかけていない、

あるいは知らないことと同一視しています。もちろん私たちクリスチャンは、罪深い行為や、

起こっているすべての苦しみや痛みを気にかけるべきです。

私にとって本当の問題は、「サタンの世界体系に対して、私たちはどのように反応すべきか」

ということです。

その答えは、霊的成長、前進、そして生産によってです。

そして政治は、それらのことにとって逆効果となります。

(身体的に関与する場合であれ、感情的に関与する場合であれ) 

 

しかしその後に出てくるのが、「政治への関与」とはどこで線を引くのか、という問題です。

私にとって、投票すること自体には何の問題もありません。

(もっとも、教会の悔い改めがない限り、それがこれから起ころうとしていること、

すなわち艱難期を変えることにはならないでしょうが)

感情的な関与はどうでしょうか。それも含まれます。身体的な関与はどうでしょうか。

それも含まれますが、しかしどのようにしてでしょうか。

私は、行進に参加したり、さまざまな種類の公職に立候補したりすることなどだと思います。

(以下のリストを参考として挙げています) 

 

しかし、(ほんの一つか二つの例として)性的人身売買と戦ったり、

被害者に奉仕したりすることは、何らかの意味で「政治」と見なされるのでしょうか。

私はそうは思いません。

(実際に、そのような働きのために召されており、

彼らに対する宣教師となる信者たちが存在すると私は本当に信じています)

軍隊についてはどうでしょうか。

特に、他国が危険な状況で交戦しているきに支援する場合です。

はい、軍務を(自国に仕える、あるいは恩返しをする方法として)

政治への関与の一形態と見なす人々もいます。

そして私は、召されて奉仕する信者たちがいることを疑っていません。

そうであるならば、私たちは「政治への関与」とは何を意味するのか、

そしてどこで線を引くのかを、明確に定義する必要があるのではないでしょうか。

なぜなら、もしそれをしないなら、あなたや私のような人が、

神が実際に望んでおられるかもしれない場所で、

自分の霊的賜物を用いて助ける人々に反対しているのだと

考えてしまう人が出てくるかもしれない、ということが私の懸念だからです。 

 

私は、これが何を意味するのかについて、簡単にGoogle検索をしてみました。

そして限られた答えから、完全ではないリストを得ました。

政治への関与には、投票、選挙運動、寄付(候補者または政治団体への)

役人への連絡、抗議、請願、そして政治団体への参加が含まれます。 

キリストにあって敬具 

 

返信#2: 

私は、あなたの分析に全面的に同意します。投票することには何の問題もありませんし、

あなたが最後の段落で挙げている他の活動も、罪ではありません。

私の要点は、霊的成長、前進、そして生産が、はるかに重要であるということ、

そしてまた、実際に自分の国を助けるという点においても、

はるかに実際的であるということです。 

なぜなら、神は何でもおできになるからです。

しかし、人間は、神の助けなしには、ほんのわずかなことしかできません。

そして、もし私たちが話しているその個々のクリスチャンが、

そもそも霊的に成熟していないのであれば、

彼らが成し遂げようとしているそのわずかなことが、

果たして正しいことであるのか、また正しい方法で行われているのか、

その可能性はどれほどあるでしょうか。 

 

これらの問題を扱っている箇所へのリンクを、ここにいくつか挙げておきます<英文>: 

Politics versusSpiritual Growth I (政治と霊的成長 I) 

Politics versusSpiritual Growth II (政治と霊的成長 II) 

Politics versusSpiritual Growth III (政治と霊的成長 III) 

Politics versusSpiritual Growth IV (政治と霊的成長 IV) 

 

私は、この人物の運動からは、十分に距離を置くことを強く勧めます。

私は亡くなった人を中傷したくはありませんが、霊的安全の観点から言うなら、

私は彼と彼の「活動」について、非常に憂慮すべきいくつかのことを聞いています。

それらは、あえて言うなら、明らかにキリスト者的ではないものです。 

 

政治家や利益を狙う詐欺的な人物が、自分たちの被害者をよりよく利用するために、

羊の衣をまとって身を包むということは、よくあることです。

クリスチャンは羊であり、主が狼について警告しておられ、

また、蛇のように賢くあるべきであると

(そして同時に鳩のような純真さをもって行動するべきであると:マタイ10章16節

明確に語っておられるにもかかわらず、しばしば非常にだまされやすい傾向があります。 

 

イエスは答えて言われた、

「だれにも惑わされないように気をつけなさい。」

(マタイ24章4節) 

 

イエスにあって、 

BobL. 

 

質問 #3 

ご注意くださってありがとうございます。

そしてあなたの言うとおりで、彼は羊の衣を着た狼であった可能性があります。

彼が主と共にいるかどうかについて、私が判断して断言することはできませんが

私には気にかかることがあります。 

 

私が彼のことを知ったのは、彼の死がニュースに出たときでした。

しかし、彼から距離を置く者は神への反逆の中にあると言うような人に対しては、

気を付けていたいです。

(それは、このことだけで自動的にその人が不信者であると言っているのではありませんが、

そうした人が本当に救われているかどうかという意味です)

あなたのメールを読んだあと、彼についてもう少し調べてみましたが、

確かにあなたの言うとおり、彼はいくつかの憂慮すべき見解を持っていました。

(最初は私が気づいていなかったものです)

しかしそれを見つけるのに、まったく時間はかかりませんでした。 

 

教会が政治に関与すべきかどうかについての彼の動画の一つを初めて見たとき、

私は非常にいら立ちを覚え、25分の動画を、いら立ちのために絶えず一時停止せずには

聞き続けることができませんでした。

(それは、実際にはあなたからのメール返信を受け取る前のことでした)

なぜ私はあの動画を見ることを自分に強いたのか分かりませんが、

それは完全にくだらないものでした。

多くの人々が、まるで彼がキリスト教の殉教者であったかのように彼を擁護していますが、

私はそうは思いません。

弁証(apologetics)が彼らの召しであるなら、

人々が道徳的また霊的な主題について討論することに、私は何の問題も感じません。

しかし、この人物の政治への関与と全体的な信念は、控えめに言っても憂慮すべきものでした。

ええ、彼についてさらに知らせてくださって、ありがとうございます。 

 

前のメールで私が挙げた質問のいくつかに関してですが、

エレミヤ29章7節(投票や政治への関与を強制するために、

ある人々が用いる「証明」箇所)を、あなたはどのように解釈されますか。 

 

何が政治への関与であり、何がそうでないのか、その線はどこで引くべきでしょうか。

性的人身売買と戦うことや、被害者に奉仕することを、

あなたは否定的なものだとは思われませんか。

私はそうは思いません。

なぜなら、警察や軍隊に関与している信者たちについてはどうでしょうか。

それは、私たちが考える意味での否定的な政治への関与ではありませんが、

ある意味ではそれも政治への関与と見なされることがあるからです。

私たちが、この世におけるあらゆる種類の関与が悪い考えであると

信じているわけではないのです。 

 

そういうわけで、私たちが「政治への関与」と言うとき、

それが何を意味するのかを明確に定義すべきだと、あなたは思われますか。 

 

これを手短にあなたにお伝えしようと思いました。

そして、もしあなたにとって何らかの慰めや励ましになるのであれば、

私は(いくらかの時間、研究、祈り、そして熟考ののちに)

ヤコブがへブルの後に書かれたのであり、伝統的見解が言うようにそれよりかなり前ではない、

というあなたの見解に同意するようになりました。

それは完全に理にかなっており、私はそれに同意しない理由が見当たらないと感じました。 

キリストにあって 

 

返信 #3  

へブル/ヤコブについての信頼の言葉を、ありがとうございます。 

 

「性的人身売買と戦うことや、被害者に奉仕すること」に関してですが、

私は、これらはまったく別の二つの事柄であることに注意したいと思います。

ゆるやかな例えを用いるなら、奴隷制度は、

私たちの多くが完全に忌まわしいと感じるものですが、

もちろん古代世界にはそれが存在していました。

パウロや他の人々は、それを根絶するための何らかの政治運動を提唱したことが

あったでしょうか。

まったくありませんでした。彼らは、自由人に対してと同じように、

奴隷たちにも奉仕するために自分たちにできることをしたでしょうか。

はい、彼らはそうしました。

それは、彼らに福音を与え、霊的に前進させることを目的としてであり、

単に彼らの束縛の中で慰めを与えること自体を目的としたのではありませんでした。

なぜなら、すべての人に必要なのは、救われ、そして成長することだからです。 

 

私は、「すべての人に善を行う」ことに努めることに何の問題も感じませんが、

私はその節をこう締めくくりたいと思います。

「特に信仰の家族に属する人々に対して」と。

このことによって、不信者に対して善を行うことは、

主として彼らをイエス・キリストへの信仰へ導くことを目的としている、

ということを指摘しておきます。 

 

しかし、政治的な行動を取ることは、私たちが本来取り組むべきことではありません。

あなたも私も、国内外を問わず、数十にも及ぶさまざまな悪しき行為や犯罪的な企て、

そして目に余る不正を、容易に、しかもすぐにいくつも挙げることができるでしょう。

もし私たちが、それらを正そう、「世界を正そう」として取り組むなら、

神がその中におられる場合にのみ、私たちは何らかの成功を収めることができるでしょうし、

もしそれが神が私たちに望んでおられることであるなら、

確かに神はその中におられるでしょう。

もしそれが神が私たちに望んでおられることであるなら、

確かに神はその中におられるでしょう。

しかし、もしそれが神が私たちに望んでおられることでないなら、

もし「悪と戦う」ことによって、私たちが実際には悪魔の遊びに加わってしまい、

神が本当に私たちに望んでおられること(成長し、前進し、生産すること)から

自分たちをそらしてしまっているのであれば、

そのとき神はその中におられないでしょう。

そして最終的に、私たちは誰にも何の真の益ももたらさないことになり、

何よりも無益なものになってしまうのは私たち自身でしょう。

神を「助ける」ために政治に過度に関与することは、グノーシス主義を思わせるものです。

ドミニオニズム(Dominionists)<主が再び来られるようにするために、

地上にそれを作り出すことによって、政治的行動を通して「王国をもたらそう」とすること>

(対照:「神の国は、目に見えるかたちでは来ない。」ルカ17章20節

が主張しているように、地上的な政治的手段によって「王国をもたらそう」とすることは、

まさにサタン的なことです。リンク参照) 

 

 また、わたしがあなたがたを捕え移した町の平安を求め、その町のために主に祈れ。

 その町が栄えれば、あなたがたも栄えるからである。

エレミヤ29章7節) 

 

この節の前半は、後半によって説明されています。

私たちはどのようにして自分の国の「平安と繁栄を求める」のでしょうか。

第一に、その国のために祈ることです。(そしてもちろん、私たちは皆そうすべきです)

第二に、私たちは、霊的成長に自分を委ね、奉仕にふさわしい者とする試練の中で前進し、

そして主が私たちに与えてくださる奉仕において、

主のために良い実りを結ぶよう最善を尽くすことです。

もし私たちがそうするなら、私たちは主が与えてくださる連帯による祝福を通して、

一つの国を保つ「塩」となっていくのです。

しかし、自分たちを神の立場に置いて、神のためにそれを「正そう」とすることは、

霊的観点から見て、まったく逆のことです。次のリンクを参照してください: 

 

Politicsand Political Action on the Eve of the Tribulation 

(艱難期直前における政治と政治的行動) 

Politicsversus Spiritual Growth II 

(政治と霊的成長 II) 

 

イエスにあって 

BobL. 

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わたしがあなたがたをつかわすのは、

羊をおおかみの中に送るようなものである。

だから、蛇のように賢く、

鳩のように素直であれ。

(マタイ10:16)

 

良い週末をお過ごしください

お祈りしていますお願い

 

ハナミズキ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

               きくらげ & はんぺん

今日もありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

来たる艱難期:黙示録の歴史  第6部 <24>

                                                                                                  ロバート・D・ルギンビル博士著                          

最終の事柄:千年王国と新しいエルサレム 

 

III. イエス・キリストの千年王国:黙示録20:4-6  

 

 1.千年王国における特有の物理的状態 

  a. キリストの千年統治 <i>: 

 

(1) 神よ、王にあなたの公正を授け、 

 王の子にあなたの義を授けてください。 

(2) 彼はあなたの民を義によってさばき、 

 あなたの苦しむ者たちを公正によってさばくでしょう。 

(3) 山々は民に繁栄をもたらし、 

 丘は義の実りをもたらすでしょう。 

(4) 彼は民の中の苦しむ者たちを守り、 

 貧しい者の子らを救い、 

  しいたげる者を打ち砕くでしょう。 

(5) 彼は太陽のある限り、 

 また月のある限り、 

 代々にわたって長く続くでしょう。 

(6) 彼は刈り取られた野に降る雨のようになり、 

 地を潤す夕立のようになるでしょう。 

(7) 彼の時代には義人が栄え、 

 月がなくなるまで豊かさが満ちあふれるでしょう。 

(8) 彼は海から海まで治め、 

 大河から地の果てに至るまで支配するでしょう。 

(9) 荒野の民は彼の前にひれ伏し、 

 彼の敵はちりをなめるでしょう。 

(10) タルシシの王たちと遠い島々の王たちは 

 彼に貢ぎ物を持って来るでしょう。 

 シェバとセバの王たちは 

 彼に贈り物をささげるでしょう。 

(11) すべての王は彼の前にひれ伏し、 

 すべての国々は彼に仕えるでしょう。 

(12) 彼は、叫び求める貧しい者を救い、 

 助ける者のない苦しむ者を救うからです。 

(13) 彼は弱い者と貧しい者をあわれみ、 

 貧しい者のいのちを救うでしょう。 

(14) 彼は彼らを圧迫と暴虐から救い出し、 

 彼らの血を尊いものと見なされるからです。 

(15) 彼が長く生きるように。 

 シェバの金が彼にささげられるように。 

 人々が絶えず彼のために祈り、 

 一日中彼を祝福するように。 

(16) 国中に穀物が豊かに満ち、 

 丘の頂でもそれがたわわに実り、 

 その実りがレバノンのように豊かになり、 

 野の草のように栄えるように。 

(17) 彼の名がとこしえに続き、 

 太陽のある限りその名が存続するように。 

 すべての国々が彼によって祝福され、 

 彼らが彼を祝福された方と呼ぶように。 

(18) 主なる神、イスラエルの神がほめたたえられるように。 

 ただ主のみが不思議な御業を行われる。 

(19) その栄光に満ちた御名がとこしえにほめたたえられるように。 

 全地がその栄光で満たされるように。 

 アーメン、アーメン。 

(詩篇72篇1-19節

 

旧約の預言は、メシヤの来たる統治を待ち望む数多くの箇所に満ちています。

なぜなら、メシヤこそ、イスラエルに対する神のすべての約束の成就であり、

その中心であるからです。

サムエル記下7章14節;エレミヤ33章14-17節;ルカ1章32-33節

上の詩篇において、ダビデの子としてダビデのより偉大な子、

すなわちメシヤの型であるソロモンによって記されたその詩の中に、

私たちはイエスの千年統治の最も重要な側面の多くが表現されているのを見ることができます。

その時代は、あらゆる意味において祝福の時となります。

(そしてそれが、反キリストの艱難期の支配のもとにあった

最悪の時代の直後に続くものであることを考えれば、なおさらそうです)

しかし、主の統治と王国に関するいくつかの特定の特徴は、

預言において繰り返し強調されています。 

 

 1) 千年王国の確立の際にもたらされる、特別な喜びと歓喜

 

私たちの主が再臨される日は、全世界にとって喜びの日となり、

とりわけイスラエルにとって、しかしまた他のすべての人々にとっても

(すなわち、主に敵対してきた者たちを除いて)喜びの日となります。

イザヤ9章3節,12章3節,6節35章1-10節42章11節,44章23節,49章13節,55章3-11節60章1節,61章3-7節65章18節;

エレミヤ31章4-13節,33章9-11節ゼパニヤ3章14-20節;ゼカリヤ8章19節,10章7節) 

 

(7) 山々の上にあって、良き知らせを伝える者の足は、なんと美しいことであろう。

 平和を告げ知らせ、良い知らせを伝え、救いを宣べ伝え、シオンに向かって

 「あなたの神は王となられた!」と言う者の足は。

(8) 見張る者たちの声が聞こえる。彼らは声を上げ、共に喜び叫ぶ。

 主(すなわちメシヤがシオンに帰られるとき、

 彼らは[すべて]顔と顔を合わせて[主を]見るからである。

(9)喜びの声を上げて共に歌え、エルサレムの廃墟よ。

 主はご自分の民をあわれみ、

 エルサレムを贖われたからである。

(10)主はその聖なる腕をすべての国々の目の前に現された。

 地の果てのすべての者が、われらの神の救いを見るのである。

(イザヤ52章7-10節

 

 主なる神の霊が、わたしメシヤの上にある。

 主がわたしに油を注がれたからである。

 主はわたしを遣わして、苦しむ者たちのために勝利を告げ知らせ、

 心の打ち砕かれた者たちの傷を包み、

 捕らわれ人には解放を、囚人には自由を宣言し、

 主の恵みの年(期間)[千年王国]と、

 われらの神の復讐の日[再臨]とを告げ知らせ、

 すべての嘆く者たちを慰め、

 シオンのために悲しむ者たちのために備えをなし、

 彼らの悲しみに代えて冠のような喜びを与え、

 弱り果てた霊に代えて賛美の衣をまとわせるためである。

(イザヤ61章1-3節前半) 

 

 2) 千年王国における並外れた公正と義

 

キリストの義なる統治は、私たち自身の経験において非常に顕著である罪の性質の影響

(例えば犯罪や戦争;ゼカリヤ5章参照)を抑え、

すべての悪を行う者に対して、また不当にしいたげられているすべての者のために、

迅速で完全な公正を行うことになります。

詩篇2篇9-12節72篇1-2節12-14節

イザヤ1章26-31節,9章6-7節11章3-5節16章4-5節32章1-8節33章5節,42章1-4節51章4-7節;

 エレミヤ23章5-6節,33章15節;エゼキエル34章16節;ゼカリヤ9章9節)。 

 

 主はとこしえに王として座し、さばきのために御座を据えられる。

 主は義をもって世界をさばき、公正をもって諸国の民をさばかれる。

(詩篇9篇7-8節

 

 公正は荒野に住み、義は実り豊かな野に宿る。

(イザヤ32章16節

 

 あなたの国の中で、もはや暴虐のことは聞かれず、

 あなたの領域の中で荒廃や滅びのことも聞かれなくなる。

 あなたはあなたの城壁を「救い」と呼び、

 あなたの門を「賛美」と呼ぶようになる。

(イザヤ60章19節/NIV訳) 

 

<25>に続く 

 

 

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日々のデボーションの為には休息と癒し】のサイトに掲載されている

過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします

 

右差しはじめての方へ | 休息と癒し (kyusokutoiyashi.jp)

 

右差し「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp

私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。

また、ご意見、ご感想、また右差しオーディオクラスに関心のある方は、

shizuku365@proton.meまでご連絡ください。

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 だれでもキリストにあるならば、

その人は新しく造られた者である。

古いものは過ぎ去った、

見よ、すべてが新しくなったのである

(第2コリント5:17)

 

感謝します

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

安定した平穏無事の生活は何よりですが

わだちの中にいることで安心してしまうと

神様を求めることも

委ねることも出来なくなって

自分の思いの中だけで歩いてしまいがちです

 

飛び立つために、殻から脱皮し

自由な霊を与えられますように

古い抜け殻に執着することがありませんように

 

お祈りしますお願い

 

 

八重咲ヤマブキ

 

 

 

春の花たちも賛美に溢れているね✨

 

 

 

 

*:..。o○☆゚・:,。*

 

 

 

 

長男さんから写真が送られてきました

早く猫たちに会いたいな~ハート

GWは忙しくなるので、来月中ごろには会いに行けそうです音符

 

きくらげ、あんしんしてねむるにゃ~ぐぅぐぅハート

今日もありがとう~ラブラブ

 

からの続きです

 

来たる艱難期:黙示録の歴史  第6部 <23>

                                                                                                  ロバート・D・ルギンビル博士著                          

最終の事柄:千年王国と新しいエルサレム 

 

III. イエス・キリストの千年王国:黙示録20:4-6  

 

(4)そして私は、多くの座を見た。

  そして彼らはその上に座り、彼らに裁きが与えられた。

(すなわち、彼らは裁きを行うために座った)

 すなわち、イエスについての証しのゆえ、

 また神の言葉のゆえに処刑された(直訳「斧で首を切られた」)人々であり、

[すなわち]やそのを拝まず、またにその刻印を受けなかった者たちである。

 彼らは生き返り、キリストと共に千年の間統治を始めた。

 (5) これが第一の復活である。

 (すなわち、すべての信者の復活)[1] 

(6) この第一の復活にあずかる者は幸いであり、聖なる者である!

 これらの者たちの上には第二の死(すなわち、不信者に対する罪の宣告)

 何の力も持たない。

 彼らは神とキリストとの祭司となり、千年の間、主と共に統治するのである。

(黙示録20章4-6節

 

これらの節によって、黙示録はイエス・キリストの千年王国統治の全体を、

大づかみに導入し、また「概観」しています。

(続く節は、その終結と「ゴグとマゴグ」の反乱へと移っていきます)

この記述が簡潔であることは、まったく予想外のことではありません。

 

この研究シリーズの最初から見てきたように、黙示録は、

私たちが「あらかじめ基本の学びを済ませている」ことを前提としており、

私たち読者、あるいは、より正確には教師が、

聖書の他の箇所に見いだされる関連する他の聖句、教理、

そして情報をすでに習得していることを想定しているのです。

 

実際のところ、メシヤの祝福された統治という主題は、

とりわけ旧約聖書において非常によく扱われているため、確かに語るべきことは多くあります。

しかし、この箇所にさらに内容を補い加える前に、まず見落としてはならない点があります。

すなわち、これらの節が、

復活したばかりの教会が主の地上の王国の統治において果たす役割に

特別な強調を置いているということです。

特に、イエス・キリストのゆえに艱難期の間に殉教した信者たちが強調されています。

 

私たちがすでに非常に詳しく見てきたように、

この時点までに教会全体はすでによみがえらされており、

このような形で報いを受けることになります。

そして黙示録20章4-6節は、それとは異なることを述べているのでもなければ、

それに反することを示唆しているのでもありません。

<つまり記されているとおりであるということ>

(特に、正しい翻訳を考慮するならば;前の脚注を参照してください)

 

しかし確かに、イエスのための艱難期の殉教者たちがここで特に言及されているのは、

それが特別な励ましを与えるという疑いのない目的のためであることは確かです。

艱難期をくぐり抜けることが自らの割り当てとなり、

とその追随者たちによって迫害され、

キリストのために死を受けることになる人々にとって、

主と共に統治することを含む確かな報いの見込みが、

ここでは当然のものとして提示されています。

この特別な保証は、それゆえ、艱難期の最も暗い日々の間、

この信者の群れを励まし支えることを目的とした神からの誓約なのです。

 

どれほど状況が絶望的に見えようとも、

またその恐るべき時代において真の弟子であることの代価が自らの命であるとしても、

神は救いを約束しておられ、そして救いに加えて、反キリストの支配を拒み、

にひれ伏すよりもイエスの御名のために処刑されることを選ぶすべての者に対して、

キリストの統治にあずかるという報いを約束しておられるのです。 

 

イントロ: 

 

(19) だから悔い改めて、[神に]立ち返りなさい。

 そうすれば、あなたがたの罪がぬぐい去られ、

 主のみもとから回復の時が来るようになり、

(20) また、あなたがたのために、キリスト[メシヤ]として認められている方、

 [すなわち]イエスを遣わしてくださるようになる。

(21) この方は、万物が回復される時まで天にとどまっていなければならない。

 (直訳「この方を天が受け入れていなければならない」)

 その回復については、神が昔からご自分の聖なる預言者たちの口を通して

 語ってこられたのである。

(使徒行伝3章19-21節

 

千年王国は、文字どおりの千年の期間であり、

その間イエス・キリストが、悪魔やその追随者たちからのいかなる妨害も受けることなく、

回復された地上を直接統治される時代となります。

シオンの山から全地を治めるメシヤの千年の統治は、

言い尽くすことのできないほど祝福された時代となり、それは、

究極のエデンである永遠の状態と新しいエルサレムが始まるまで(後記第VII章参照)

エデンの園以来、人類の歴史の中で他のいかなる時代の栄光をも上回る、

エデンに次ぐもの(penultimate Eden)となるでしょう。[2] 

 

というのも、艱難期という嵐はすでに過ぎ去り、エレミヤ25章32節

今やイエス・キリストご自身が、これまでに例のない静けさと平和と豊かさの時代を

統べ治められ、ご自身の王国を完全な義と公正によって、

エデン的な状態のもとで統治されるからです。

なぜなら、神がかつて、サタンの反乱に対する応答として人類を創造するために、

壊滅的な暗黒の状態から地と天を回復し、住むことのできる状態に戻されたように、

千年王国の間、地はそのかつての栄光の多くへと再び戻ることになるからです[3]

 

千年王国の間においても、私たちはなお「時間の中」に存在し続ける

(したがって、サタンとその御使いたちは千年王国の終わりまで拘束されるとはいえ、

なお罪と共存することになる)という事実は、

地上の環境が「完全」ではないことを意味します。

しかしそれでも、その環境は、アダムとエバがエデンから追放されて以来

見られなかったほど、最もすばらしく優れた状態を提供することになるでしょう。 

 

創世記の第七日が、神が地を再創造するために行われたすべてのことが

「良かった」ことの実証であったように、創世記1章31節

同様に千年王国は、神によって(すなわち神の油注がれた御子によって)

統治される世界だけが、「良い」ものとなり得ることを実証することになります。

創世記第1章の地は、(サタンの反乱に対する神の裁きの後の)暗黒と荒廃の状態から、

徐々に回復されていきます。

それは、人間の生命と居住に不利なすべての要因を体系的に取り除くことによって行われます。

すなわち、生命に敵対する要素からそれらを分離することによって、

また生命に必要な要素を置き換え、満たすことによって行われるのです。[4] 

 

これと同様の仕方で、イエス・キリストの完全な統治のもとにある千年王国の地は、

再びこの世界に「良い状態」を回復させることになります。

それは、この世界から最も有害な悪の源(すなわち悪魔とその御使いたち、

そして彼らが推し進める悪の世界体制:黙示録20章1-3節[5]

を取り除くことによってだけでなく、イエス・キリストの完全な統治のもとで、

祝福と豊かさをもたらすために必要なすべてのものを備えることによっても行われます。

 

サタンとその追随者たちが人間の生活に干渉することができなくなり、

またこの世界が神の御子の直接の統治のもとに置かれるとき、詩篇2篇;黙示録19章6節

そのとき初めて地は再び「良い状態」となるのです。

そして信者たちは、この二つの重要な要素、

すなわち悪魔の除去と、キリストの再臨がなければ、地上の楽園に近づくようなことは、

少しも可能ではないということを理解しておくことが重要です。 

 

千年王国は、神の御子の完全な統治を通して、地に対する神の直接の支配を取り戻し、

また同時に、人間による統治もまた回復される時代となります。

すなわち、最後のアダムであるイエス・キリストにおいて、

最初のアダムによって失われたものが取り戻されるのです。

罪は、現在の天と地が火によって滅ぼされ、新しい天と新しい地に置き換えられるまでは

消え去ることはありませんが、

イザヤ65章17節66章22節;第二ペテロ3章7節,10-13節黙示録21章1節

千年王国は、始まりと終わりの両方において、

ふるい分けと清めによって区切られる期間となります。

(すなわち、上の第I章で扱われた七つの雷の裁き、

そして下の第IV-VI章で扱われる人と御使いたちに対する最終的な裁きのことです)

 

創世記の第七日のように、千年王国は、神ご自身によって聖別された

(すなわち、聖なるものとされた)時代となります。

神は、ご自身の御子によって実行される真の公正と義に満ちた世界を、

人類に提供されるのです詩篇2篇;黙示録19章11節;第二ペテロ3章13節参照)

 

申命記5章15節によれば、安息日の主要な目的の一つは、

イスラエルが神の力強い御業によってエジプトから救い出されたことを思い起こすことでした。

それは休みの日であり、他に手段を持たない者たち、

すなわちしもべや家畜でさえも休息を得ることができるようにするためでした。

申命記5章14節

まさに同様に、千年王国は、悪魔の支配から世界を救い出された

神の救いを思い起こす時となります。

すなわち、それは、千年王国の直前に起こった大艱難期において、

非常に鮮明に、しかも恐ろしい経験の中で体験したその救いを思い起こす時となります

黙示録20章1-3節

それはまた、キリストの完全な統治のもとにある休息と祝福を楽しむ時であり、

そして、人類史上最悪の時代から

神が成し遂げられた大いなる救いを祝う時ともなるのです。 

 

 主なる神の霊が、わたしメシヤの上にある。

 主がわたしに油を注がれたからである。

 主はわたしを遣わして、苦しむ者たちのために勝利を告げ知らせ、

 心の打ち砕かれた者たちの傷を包み、

 捕らわれ人には解放を、囚人には自由を宣言し、

 主の恵みの年[千年王国]と、

 われらの神の復讐の日[第二再臨]とを告げ知らせ、

 すべての嘆く者たちを慰め、シオンのために悲しむ者たちのために備えをなし、

 彼らの悲しみに代えて冠のような喜びを与え、

 弱り果てた霊に代えて賛美の衣をまとわせるためである。

(イザヤ61章1-3節前半) 

 


[1] 「しかし、残りの死者は千年が終わるまで再び生きなかった」(KJV)という文は、

 後代に加えられた、聖書本文には属さない付加であり、実際の聖書本文の一部ではありません。 

[2] 『サタンの反乱:第1部』.II.6.「七つのエデン」を参照してください。 

[3] これらは、それぞれ第I段階の回復および第II段階の回復であり

(第III段階は永遠の状態です)

『サタンの反乱』シリーズ第5部「裁き、回復、そして置き換え」.IV.

「来たるべき事柄:裁き、回復、そして置き換えの第IIおよび第III段階」を参照してください。 

[4] 『サタンの反乱』シリーズ、特に第5部.II.8.b.「再創造の七日」を参照してください。 

[5] 「サタンの反乱」第4部「サタンの世界体制:過去・現在・未来」参照。 

 

<24>に続く 下差し

 

 

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 あなたがたのうち主を恐れ、

そのしもべの声に聞き従い、

暗い中を歩いて光を得なくても、

なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。

(イザヤ50:10)

 

 

暗闇の中にいると感じる時こそ

小さな光が、より輝いて見えることを

感謝しますアップ

 

庭に咲くヒメウツギ

 

 

 

 

白いお米みたいだね

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昨日は午後から雨が降るというので

いつもは散歩を中止にするのですが

近くのスーパーへ行く時間はあるかな?…と思い直し

長女さんと散歩がてら出かけました

すると、スーパーの隣の駐車場では

誰でも参加できるくじ引き抽選会をしていたので

「私やる!」とチャレンジビックリマーク 

サランラップか洗剤でも当たったらいいなぁ~音符

続いて長女さんもピンク音符

 

すると、長女さんは2等でお米が当たった!!

しかも2㌔かと思ったら、なんと5㌔の!

おにぎりこしひかり飛び出すハート (スーパーで4,300円でした)

長女さんが一緒に散歩してくれて良かった~音符

 

長女さん、歩きだったけど、よいしょ、よいしょあせる

家に着くと丁度、雨が降り出してきました雨

全てのことに

感謝します飛び出すハート

 

 

私は5等のおやつセットクッキー でも嬉しいハート

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よかったにゃ~😽 猫ちゃんも雨に濡れなくて良かったねハート

今日もありがとう~ラブラブ