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来たる艱難期:黙示録の歴史 第6部 <23>
最終の事柄:千年王国と新しいエルサレム
(4)そして私は、多くの座を見た。
そして彼らはその上に座り、彼らに裁きが与えられた。
(すなわち、彼らは裁きを行うために座った)
すなわち、イエスについての証しのゆえ、
また神の言葉のゆえに処刑された(直訳「斧で首を切られた」)人々であり、
[すなわち]獣やその像を拝まず、また額や手にその刻印を受けなかった者たちである。
彼らは生き返り、キリストと共に千年の間統治を始めた。
(5) これが第一の復活である。
(すなわち、すべての信者の復活)[1]
(6) この第一の復活にあずかる者は幸いであり、聖なる者である!
これらの者たちの上には第二の死は(すなわち、不信者に対する罪の宣告)
何の力も持たない。
彼らは神とキリストとの祭司となり、千年の間、主と共に統治するのである。
これらの節によって、黙示録はイエス・キリストの千年王国統治の全体を、
大づかみに導入し、また「概観」しています。
(続く節は、その終結と「ゴグとマゴグ」の反乱へと移っていきます)
この記述が簡潔であることは、まったく予想外のことではありません。
この研究シリーズの最初から見てきたように、黙示録は、
私たちが「あらかじめ基本の学びを済ませている」ことを前提としており、
私たち読者、あるいは、より正確には教師が、
聖書の他の箇所に見いだされる関連する他の聖句、教理、
そして情報をすでに習得していることを想定しているのです。
実際のところ、メシヤの祝福された統治という主題は、
とりわけ旧約聖書において非常によく扱われているため、確かに語るべきことは多くあります。
しかし、この箇所にさらに内容を補い加える前に、まず見落としてはならない点があります。
すなわち、これらの節が、
復活したばかりの教会が主の地上の王国の統治において果たす役割に
特別な強調を置いているということです。
特に、イエス・キリストのゆえに艱難期の間に殉教した信者たちが強調されています。
私たちがすでに非常に詳しく見てきたように、
この時点までに教会全体はすでによみがえらされており、
このような形で報いを受けることになります。
そして黙示録20章4-6節は、それとは異なることを述べているのでもなければ、
それに反することを示唆しているのでもありません。
<つまり記されているとおりであるということ>
(特に、正しい翻訳を考慮するならば;前の脚注を参照してください)
しかし確かに、イエスのための艱難期の殉教者たちがここで特に言及されているのは、
それが特別な励ましを与えるという疑いのない目的のためであることは確かです。
艱難期をくぐり抜けることが自らの割り当てとなり、
獣とその追随者たちによって迫害され、
キリストのために死を受けることになる人々にとって、
主と共に統治することを含む確かな報いの見込みが、
ここでは当然のものとして提示されています。
この特別な保証は、それゆえ、艱難期の最も暗い日々の間、
この信者の群れを励まし支えることを目的とした神からの誓約なのです。
どれほど状況が絶望的に見えようとも、
またその恐るべき時代において真の弟子であることの代価が自らの命であるとしても、
神は救いを約束しておられ、そして救いに加えて、反キリストの支配を拒み、
獣にひれ伏すよりもイエスの御名のために処刑されることを選ぶすべての者に対して、
キリストの統治にあずかるという報いを約束しておられるのです。
イントロ:
(19) だから悔い改めて、[神に]立ち返りなさい。
そうすれば、あなたがたの罪がぬぐい去られ、
主のみもとから回復の時が来るようになり、
(20) また、あなたがたのために、キリスト[メシヤ]として認められている方、
[すなわち]イエスを遣わしてくださるようになる。
(21) この方は、万物が回復される時まで天にとどまっていなければならない。
(直訳「この方を天が受け入れていなければならない」)
その回復については、神が昔からご自分の聖なる預言者たちの口を通して
語ってこられたのである。
千年王国は、文字どおりの千年の期間であり、
その間イエス・キリストが、悪魔やその追随者たちからのいかなる妨害も受けることなく、
回復された地上を直接統治される時代となります。
シオンの山から全地を治めるメシヤの千年の統治は、
言い尽くすことのできないほど祝福された時代となり、それは、
究極のエデンである永遠の状態と新しいエルサレムが始まるまで(後記第VII章参照)、
エデンの園以来、人類の歴史の中で他のいかなる時代の栄光をも上回る、
エデンに次ぐもの(penultimate Eden)となるでしょう。[2]
というのも、艱難期という嵐はすでに過ぎ去り、(エレミヤ25章32節)
今やイエス・キリストご自身が、これまでに例のない静けさと平和と豊かさの時代を
統べ治められ、ご自身の王国を完全な義と公正によって、
エデン的な状態のもとで統治されるからです。
なぜなら、神がかつて、サタンの反乱に対する応答として人類を創造するために、
壊滅的な暗黒の状態から地と天を回復し、住むことのできる状態に戻されたように、
千年王国の間、地はそのかつての栄光の多くへと再び戻ることになるからです。[3]
千年王国の間においても、私たちはなお「時間の中」に存在し続ける
(したがって、サタンとその御使いたちは千年王国の終わりまで拘束されるとはいえ、
なお罪と共存することになる)という事実は、
地上の環境が「完全」ではないことを意味します。
しかしそれでも、その環境は、アダムとエバがエデンから追放されて以来
見られなかったほど、最もすばらしく優れた状態を提供することになるでしょう。
創世記の第七日が、神が地を再創造するために行われたすべてのことが
「良かった」ことの実証であったように、(創世記1章31節)
同様に千年王国は、神によって(すなわち神の油注がれた御子によって)
統治される世界だけが、「良い」ものとなり得ることを実証することになります。
創世記第1章の地は、(サタンの反乱に対する神の裁きの後の)暗黒と荒廃の状態から、
徐々に回復されていきます。
それは、人間の生命と居住に不利なすべての要因を体系的に取り除くことによって行われます。
すなわち、生命に敵対する要素からそれらを分離することによって、
また生命に必要な要素を置き換え、満たすことによって行われるのです。[4]
これと同様の仕方で、イエス・キリストの完全な統治のもとにある千年王国の地は、
再びこの世界に「良い状態」を回復させることになります。
それは、この世界から最も有害な悪の源(すなわち悪魔とその御使いたち、
そして彼らが推し進める悪の世界体制:黙示録20章1-3節)[5]
を取り除くことによってだけでなく、イエス・キリストの完全な統治のもとで、
祝福と豊かさをもたらすために必要なすべてのものを備えることによっても行われます。
サタンとその追随者たちが人間の生活に干渉することができなくなり、
またこの世界が神の御子の直接の統治のもとに置かれるとき、(詩篇2篇;黙示録19章6節)
そのとき初めて地は再び「良い状態」となるのです。
そして信者たちは、この二つの重要な要素、
すなわち悪魔の除去と、キリストの再臨がなければ、地上の楽園に近づくようなことは、
少しも可能ではないということを理解しておくことが重要です。
千年王国は、神の御子の完全な統治を通して、地に対する神の直接の支配を取り戻し、
また同時に、人間による統治もまた回復される時代となります。
すなわち、最後のアダムであるイエス・キリストにおいて、
最初のアダムによって失われたものが取り戻されるのです。
罪は、現在の天と地が火によって滅ぼされ、新しい天と新しい地に置き換えられるまでは
消え去ることはありませんが、
(イザヤ65章17節, 66章22節;第二ペテロ3章7節,10-13節; 黙示録21章1節)
千年王国は、始まりと終わりの両方において、
ふるい分けと清めによって区切られる期間となります。
(すなわち、上の第I章で扱われた七つの雷の裁き、
そして下の第IV-VI章で扱われる人と御使いたちに対する最終的な裁きのことです)
創世記の第七日のように、千年王国は、神ご自身によって聖別された
(すなわち、聖なるものとされた)時代となります。
神は、ご自身の御子によって実行される真の公正と義に満ちた世界を、
人類に提供されるのです。(詩篇2篇;黙示録19章11節;第二ペテロ3章13節参照)
申命記5章15節によれば、安息日の主要な目的の一つは、
イスラエルが神の力強い御業によってエジプトから救い出されたことを思い起こすことでした。
それは休みの日であり、他に手段を持たない者たち、
すなわちしもべや家畜でさえも休息を得ることができるようにするためでした。
(申命記5章14節)
まさに同様に、千年王国は、悪魔の支配から世界を救い出された
神の救いを思い起こす時となります。
すなわち、それは、千年王国の直前に起こった大艱難期において、
非常に鮮明に、しかも恐ろしい経験の中で体験したその救いを思い起こす時となります。
それはまた、キリストの完全な統治のもとにある休息と祝福を楽しむ時であり、
そして、人類史上最悪の時代から
神が成し遂げられた大いなる救いを祝う時ともなるのです。
主なる神の霊が、わたし[メシヤ]の上にある。
主がわたしに油を注がれたからである。
主はわたしを遣わして、苦しむ者たちのために勝利を告げ知らせ、
心の打ち砕かれた者たちの傷を包み、
捕らわれ人には解放を、囚人には自由を宣言し、
主の恵みの年[千年王国]と、
われらの神の復讐の日[第二再臨]とを告げ知らせ、
すべての嘆く者たちを慰め、シオンのために悲しむ者たちのために備えをなし、
彼らの悲しみに代えて冠のような喜びを与え、
弱り果てた霊に代えて賛美の衣をまとわせるためである。
(イザヤ61章1-3節前半)
[1] 「しかし、残りの死者は千年が終わるまで再び生きなかった」(KJV)という文は、
後代に加えられた、聖書本文には属さない付加であり、実際の聖書本文の一部ではありません。
[2] 『サタンの反乱:第1部』.II.6.「七つのエデン」を参照してください。
[3] これらは、それぞれ第I段階の回復および第II段階の回復であり
(第III段階は永遠の状態です)。
『サタンの反乱』シリーズ第5部「裁き、回復、そして置き換え」.IV.
「来たるべき事柄:裁き、回復、そして置き換えの第IIおよび第III段階」を参照してください。
[4] 『サタンの反乱』シリーズ、特に第5部.II.8.b.「再創造の七日」を参照してください。
[5] 「サタンの反乱」第4部「サタンの世界体制:過去・現在・未来」を参照。
<24>に続く
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あなたがたのうち主を恐れ、
そのしもべの声に聞き従い、
暗い中を歩いて光を得なくても、
なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。
(イザヤ50:10)
暗闇の中にいると感じる時こそ
小さな光も輝いて見えることを
感謝します![]()
庭に咲くヒメウツギ
白いお米みたいだね
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昨日は午後から雨が降るというので
いつもは散歩を中止にするのですが
近くのスーパーへ行く時間はあるかな?…と思い直し
長女さんと散歩がてら出かけました
すると、スーパーの隣の駐車場では
誰でも参加できるくじ引き抽選会をしていたので
「私やる!」とチャレンジ
サランラップか洗剤でも当たったらいいなぁ~![]()
続いて長女さんも![]()
すると、長女さんは2等でお米が当たった![]()
しかも2㌔かと思ったら、なんと5㌔の!
こしひかり
(スーパーで4,300円でした)
長女さんが一緒に散歩してくれて良かった~![]()
長女さん、歩きだったけど、よいしょ、よいしょ![]()
家に着くと丁度、雨が降り出してきました![]()
全てのことに
感謝します![]()
私は5等のおやつセット
でも嬉しい![]()
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よかったにゃ~😽 猫ちゃんも雨に濡れなくて良かったね![]()
今日もありがとう~![]()













