去年(小学二年生)、九九の暗記をやっていた頃、担任教諭が九九を言えなかった子に罰として給食を食べさせないという話を娘から聞いた。

ちょっと驚きだったので、娘に「食べさせなかったの?それホント?」と何度もしつこく尋ねた。

九九が言えなかった子は、給食なしだから、午後の授業は空腹すぎて泣きだす子がいるとも娘は言っていた。

 

 私は担任に抗議しようと思い、夫にその旨を伝えた。夫は、実際娘は罰を受けていないのだから苦情を言わない方がいいと言った。苦情を言うべきは実際給食抜きの罰を受けた生徒の親で、私が言うのはおかしい、と抗議することを禁止された。モヤモヤした気持ちを抱えたままやり過ごし、二年生が終わるころ私はその担任のことがキライになった。そして三年生になり、担任が変わった。

 

 先日、ママ友と立ち話したときに前の担任の(うわさ)話になり、その流れでこの給食抜きの罰の話になった。

娘から聞いた内容と、ママ友の言ってる内容には違いがあり、どうやら娘は少々話を盛っていたことが分かった。

  実際は、九九が言えなかったら別の課題を与えられ、それが終わってからしか給食は食べられない。早く食べたかったら早く課題を終わらせなさいって話だった。(ただ実際には、課題が終えられず、給食の残り時間2,3分で、じゃぁしょうがないねー、急いで食べなさい、という風だったらしい)

 

抗議しなくてよかったー、と一番に思った。

そして次に、なぜ娘は話を盛ったのだろう?と疑問が湧いた。

私こんなに大変なんだよ、と共感して欲しかったのだろうか。大変だから九九の暗記をサポートして欲しかったのだろうか。もっと自分を応援してほしかったのだろうか。

 

 

 

子供の話は半分聞くくらいで丁度いいという人もいる。

子供から発信されるSOSを見逃さないように話をよく聞けという人もいる。

どちらも上手に使い分けられるほど私は器用でない。だから信じ過ぎて裏切られたような気持ちになることがこの先あるかもしれない。逆に話半分に聞き流して、娘のSOS発信を見過ごしてしまい後悔することがあるかもしれない。

過去に私と私の母の間にもそんな事があったから、未来の娘と私にそんなことが起きても何の不思議もない。

いつの時代もコレが “子育てあるある” なのだろう。