本日で、「平成」が終わります。
皆さんは、「平成」という年号の中で、どのような30年間を過ごされたでしょうか?
NIHEIは幼少期に父を病気で失い、母と兄のの3人家族として育つ中、
15歳の時、当時の小渕官房長官が「平成」という元号を発表した場面を覚えています。
当時の笑い、騒ぎ、怒り、泣いた青春時代から、大手通信機器メーカーの営業として就職。
その1年としないうちに母が、57歳の若さで病で他界。
「人生って何なんだろう??」
と、やり切れない人生の無念さを感じた時期も有りましたが、何とか立ち上がり、
その後、料理人も経験した後、アパレルの販売業という職に就きました。
最初はアルバイトとして、経験を積み、その後、数々のショップ、役職を経験し
29歳(平成14年)の時、Robertsの社長の元、店長として、今のMERCURYをOPENさせて頂きました。
それから2年半、今のMERCURYを運営した後の平成17年5月1日。
今の会社の前身「有限会社マーキュリー」を設立し、経営が始まりました。
(現在の社名は「株式会社MERCURY.JAPAN」に改名)
その会社の設立から、本日で一区切りし、明日が14周年です。
NIHEIが過ごした平成の「15〜46歳」は、最高に刺激的で、最高に充実した30年間だったと思います。
瞬間瞬間を、とにかく、クソがつく程真面目に一生懸命に生き、
母子家庭という事で、息子のせいで母親が後ろ指を指されるような事は絶対に嫌だったので、
スポーツ、勉強、生徒会など、積極的に頑張った小中時代。
一番のモテ期はこの時代だった事を思い出します。
その後、運良く入れた進学校では、全く勉強も付いて行けず落ちこぼれ、
部活も辞めて、学校に内緒でアルバイトを始め、単車に乗り、バンドに明け暮れました。
高校時代、バイト先で知り合い、付き合った彼女にフラれて、単車で帰る中、
このままアクセルを上げて、前を走る大型車に突っ込んだら、あいつは後悔してくれるのかな、
なんて、あお〜い事を考えた17歳の夏も有りました 笑
むしろ幼少期から裕福では無い家庭だった分、アルバイトに汗して稼ぐ面白さも知りました。
調子に乗って生きていた中で、21歳の時、母の余命宣告を聞き、3ヶ月後に本当に他界した時は、
正直、世の中にこんなに苦しい事が有るのかと、受け止められない日々も有りました。
しかしそれを飲み込み、親父もお袋も、ちゃんと天国で見守ってくれていると感じてからは、
恐い物も無くなり、一生懸命に生きて来れました。
全ての経験は生きる力になり、大切な人生経験をさせてもらっています。
これからも興味のある事はチャレンジし、失敗という経験もプラスにする器を持ち、
「令和」という年号を、更にもっともっと楽しんで行きたいと思います。
まずは、平成の終了と共に、会社設立後のこの14年間もお世話になりました。
更に、明日からは、新しいMERCURYを見せられる様、楽しんで参ります。
お客様、ブランドさん、家族、MERCURYスタッフ、いつも支えてくれて有難うございます。
お客様たちが喜んでくれるから、良い物を探したり、作るパワーになります。
ブランドさんが良いものを作ってくれるから、私たちには買い付ける商品がありご飯が食べられます。
そして仕事バカの夫を理解し、支えてくれる家族があって、何より会社が回っています。
そしてスタッフ、君たちがいるからNIHEIはカッコつけた背中を見せたくて、歩みを止めずに走れます。
これからも、人に感謝し、環境に感謝し、全てを生きるエネルギーにします。
「平成」という一つの時代が終わり、後2時間もしないうちに、また新たな幕開けです。
また1年、「令和元年」も「MERCURY.JAPAN」という会社とお付き合いください!!
株式会社MERCURY.JAPAN 仁平 達也