前から見る抜海岩 後ろから見る抜海岩


抜海市街地はずれに「抜海岩」と呼ばれる砂質岩の高さ30m程の小山がある。

大きな岩が小さな岩を背負うように見えることから、アイヌ語の「パッカイ・ペ=子を背負う・もの」に由来します。岩の下にある海食小洞窟が先史時代の生活の場として利用されてました。


 昭和38年に発掘調査され、遺跡はオホーツク式土器が大半を占めていますが、少数の擦文式土器と続縄文時代の後北式土器も出土しています。

オホーツク文化の初期に位置し、富磯貝塚や泊内川左岸遺跡と近い時代です。


 この遺跡には、アイヌ民族の悲しい伝説があります。


 その昔、近くに住む天塩アイヌと宗谷アイヌの間に激しい闘いがありました。

劣勢となった天塩アイヌは、勇猛果敢な礼文アイヌに応援を求めました。その時に馳せ参じました礼文アイヌの美男子「ワカルパ」と天塩アイヌの美少女「モナシノウク」とが恋に落ち、子供をもうけました。

その後、「ワカルパ」は礼文が恋しくなりひとりで礼文に帰ってしまいました。

残された「モナシノウク」と子供は、ひたすら「ワカルパ」の帰りを待つが、やがてその悲しみのあまり大きな二つの重ね岩に化身したという。その伝説が、この舞台となっています。