不登校になってから探し始めたのは

 

「次男の安心できる場所」でした

 

 

行きしぶりが始まった頃

無理やり学校に連れていくことを続けた結果

ランドセルを背負ったまま、玄関から出れなくなった。

それから校長先生に不登校宣言をし、

体調を整えるためのお家生活が始まりました。

 

 


そして

フリースクールやオルタナティブスクールに次男と一緒に見学に行ったり、

オンライン説明会に参加したり。

オルタナティブスクールの1週間の体験では心と身体が一致しなくて途中で断念したなぁ…ショボーン

 



当時のブログを読み返すと

「次男の安心できる場所はどこなんだろう?」

と胸の内をよく書き残している。

 

 


次男と一緒に色んなところに足を運んで

新しい学び方に二人で驚いたりびっくり

私にはすぐには理解し難い程、子どもが主体のスクールもあったり。

なんとか次男の回復、復学につながる糸口を見つけるために必死だったなぁチーン




でも結局

安心できる場所は「家」でした




過敏性腸症候群

腹痛、頭痛、吐き気、チック症、母子分離不安

夜は「先生が休んでいることを怒っている」と唸り…



苦しそうにしていた次男は

家で過ごしながら回復していきました。



日中家で過ごして

放課後は友達と遊び

週末には野球をして



学校に行ってないのに???

と言う周りからの批判も覚悟の上!

とは言え、

世間体を気にして生きてきた私にとっても

葛藤と落胆と期待の渦巻く日々でした。




回復しながら、ずっと家にいることに飽きてきたのか

つまらなくなったのか

4月から突然動き始めた理由は今でも分からない。

本人も分からないって。




理由は分からないけど

安心できる場所を探して費やした時間は

これまでの「常識」や「普通」という概念を

変えることのできた大きなきっかけになったことは確かですキラキラ




子どもの不登校と言う時間があって良かった、

とは簡単には言えないけど…

この時間が無ければ、私はあのままどうしていたんだろうはてなマーク

と言う怖さを感じます…。

それくらい私にとって、家族にとって、大きな出来事でした。



でした!?



まだ過去のことになってるか分からないあせる

でも次男自身の足で歩き始めています。

私は後ろから身守るのみです




最後まで読んで下さり

ありがとうございましたパンダ飛び出すハート