自分勝手な“好き・嫌い“で悪いか!

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すごく偏った邦画好きの親父が、持て余す時間で観た映画の好き・嫌いを自分勝手に記すブログ

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「死刑に至る病」を観てきました。

白石和彌監督の新作。


今年見た中では最高かな。でもこの後、ゴールデンウィーク開けの怒涛の公開もあるし、昨日公開の新作も有るので観にいかないとなあ。

ともかくね、阿部サダヲさん演じるシリアルキラーが良いのね。これは原作の力なのか、監督の演出の力なのか、はたまた阿部サダヲさんの演技力なのか、私には判らなかったのでどれも強力なのではないのだろう。
冒頭の農業用水に「何か」を流すシーン。物語が進行する度に「何か」は登場するけれど、異常性とトリックの二重効果。主人公と一緒に観客を誘導する力添え。
それと「画像としての効果」として度々繰り返しすり込まれるのは、「面会室の仕切りガラス」の反射効果で、主人公と犯人が画像として重なること。
上手いテクニックだと思った。映画独特の効果として「犯人がガラスを超えてやって来る」のも抜群。

主人公は、犯人の人心掌握テクニックで「確証バイアス」に導かれて犯人の望む結論に誘導されるけれども、あるきっかけで「自分も犯行の対称」だったと理解し、犯人の支配操縦から解放される。
「自分のしてきた犯行調査」なんて比べ物にならない、何処までも深く追求する調査を、犯人が自分や他の犠牲者に対して行っていることに気がついて「確証バイアス」の呪縛から真実に目が向くのだ。
ともかく家庭状況から虐待の状況・孤独・独立志向まで、心に抱く理由迄を含めてしっかり調査されていて、自分がどう考え行動するかまで掌握されていることに気がつく。そこには底知れない恐怖と怒りが有る。

全てが犯人に用意された「虚偽なのに真実と思わせる操縦」によって行われる『自分の思い込み』だと気がついて、自分の操縦に用いられた他人達の疑念迄を解消し「最後の質問」をして、普段へと戻って行く主人公。

でも、まだ操縦は残っていて、「ラストシーン」でその驚愕と恐怖に主人公とともに私はふるえた。
正しく「勝手にふるえてろ」だ。宮崎優が常にカワイイ。