on the 納涼船
自分が蟻だったとして、ある信頼のおける仲間に道案内をしてもらったとする。
こっちだよ。ここ歩いていけばあなたは幸せになれるよ。そっちはだめだよ。そっちに行ったらあなたは不幸になるよ。
しばらく歩いていたら、知らないうちに蟻地獄にはまっていた。
仲間はいなくなっていた。
一生懸命、何度も何度もその蟻地獄から抜け出すために、這い上がっては引き戻され、這い上がっては引き戻される。
蟻地獄の周りを歩く他の者たち。
時々興味を持って見る者。心配する者。応援する者がいる。
声をかけられた。
「どうして抜け出せないの??」って。
自分「どうしてって分からないよ。頑張ってるけど、抜け出せないんだよ。」
「抜け出したくないの??なぜ分からないの??」
自分「抜け出したいよ。方法も分からない。でも諦めたら絶対に抜け出せない。だからずっと頑張ってるんじゃないか。方法を知ってるなら教えてよ。助けてよ。」
ここで助けてもらえない者は、自分以外の者を信用できなくて、愛せなくて、自分が相手を傷つけてしまうんじゃないかなと考えた。
そして、助けてもらえない者が多くて、助けてもらえる者はわずかじゃないかなと思う。
みんな自分のケアで一生懸命だから。
他のことまで考えるのってなにかメリットがなきゃ一生懸命になれないんじゃないかな。
お金とか。給料という名の。
ジジに、どうして私が親と仲が良くないとか、どうして自分の選択に常に親を介入させたりするのかとか色々言われた。
答えは、一般的な家庭に育った人には理解が難しいことだし、私と同じタイプの親の子ってだいたいそんな感じ。親のレール歩いてる。
自分のレール作って歩きたいけど、作り方教えてもらえなかったから分からない。
作っても、自信が持てなくてすぐやめちゃったり、こうやって作ったら親は良くないと言うかも。。。と思いながら、本来作りたいレールじゃないものを作っていってしまう。
だから、どうして作れないのかって質問は、蟻地獄にはまって、どうすれば抜け出せるんだろうって苦悩しながら頑張ってるのに、なぜ抜け出せないのか?って言ってるのと同じ。
そんなこと言われて救われるわけがない。
そんなこと言うくらいならり黙って見てるか助けるかしてって感じ。
でもさ、黙って見守るのも助けるのも、精神的にも時間的にもその人は犠牲にしなきゃいけないんだよね。
だからお願いすることはできなくて、結局1人で闘うわけで、やっぱり辛くて大抵の人は潰れるよね。で、色々悔しくて自分や周りの人を傷つけちゃう。
ジジは、理解してくれました。
私が一般的な親を持っていないことを認めて、自分と比べた上での発言はしなくなった。
自分と比べた上での発言は、大人になれば解るとか、未熟の意味を表す言葉。
そんな人はたくさんいるから、メラニーはあまりストレスを感じなくていいと言った。
ジジ「メラニーのお母さんは、いつかメラニーに良い子、良い子。と言う日が来るよ。」
と言われて、ジジの優しさに涙した。
ジジは私のこと認めてくれてるんだってところに嬉しくて泣いた。
私「私は母親に良い子だと言われたいって思ってないよ。ただ私のやる事に、へぇ。あっそう。好きなようにやれば。って言ってほしいだけ。」
なんでそんなことするの?本当にできるの?とか否定的な言葉をぶつけないでほしいんですよね。
それだけ。
ただ、ジジに自分の人生を歩いてほしい。僕とメラニーの人生に親を入れないでほしい。と言われて、すごく心動かされた。良い方向に。
蟻地獄に蜘蛛の糸来た感じ!笑
だから私は幸運な奴だなって、悪いニュースを見るたび、犯罪者が、関係のない人達に好き勝手コメントされているのを見るたび、思う。
変わりたいなぁ〜〜〜〜。