漫画『からくりサーカス』だったと思うのだけれど、『思いっきり泣いた顔は思いっきり笑った顔にそっくりだ』というような台詞があったのを事ある毎に思い出す。。。
『泣く』という行為と『笑う』という行為、まるっきり逆の行為であるにも関わらず、表出する状態が似通っているという事実に不思議な感覚を感じた。
拒食症と過食症、原因は同じで単に出方が違うだけで同じ病気であるというのが私が知りうる限り一番新しい情報だ。
私は特に信仰する特定の神も宗教も持ち合わせていないが、同時に様々な神や宗教に興味を持ちある意味その全てを信仰しているといっても良いかもしれない罰当たり者だ。
宗教は大きく一神教と多神教に分類できるけれども、一神教の代表であるキリスト教において『人』は『神』の御姿に似せて創られたとなっている。そしてその『人』は自分の姿に似せて『人形』を創った・・・。
神⇔人⇔人形
という関係性に言葉に出来ない何かを感じずっと考え続けているのだけれども、何について考えどんな答えを期待しているのか分からずに考え続ける私はきっと愚か者だ・・・。
しかし唯一はっきりしている事は私は『人』という存在に大変興味を持っている。
それだけは確かだ。
『人』
『人』とは『何か?』
『人』は『神』と何処が違うのか?
『人』は『人形』と何処が違うのか?
定義したところで何が変わるわけでなし・・・しかしそれでも考えてしまうから愚か者なのだ・・・。
眼鏡をかけて視力を矯正している私は眼鏡という存在を通して初めて他者と共通のモノを”みて”いるという前提に立つ事が出来る。しかし眼鏡がなくとも私は”みて”いる・・・、しかしそれは他者と共通のモノではない。では”みる”という行為とは何だ?そんな理由で”みる”という行為にとてもよく似たカメラという存在を通して改めて世界を”みる”事を始めた。出来上がった写真は私が”みる”世界だ。そしてそれは私が”みる”世界を他者と共有できる唯一の媒介だ。”共有”がたとえ”錯覚”という名の”幻想”であったとしても所詮この世は”ゆめまぼろし”。何の不都合があるだろう・・・。
非日常的な世界観にロリータ系の服を身にまとった女の子を配し、人の象徴となり得る『ペルソナ(ベネチアンマスク)』と『制約(バラのつた)』を加える。人である女の子をあたかも『人形』のように”みる(撮る)”事で逆説的に浮かび上がるであろう『人らしさ』を”みる(撮る)”。
まだ2回目で「人である女の子をあたかも『人形』のように”みる(撮る)”」レベルに達していないけれど、回数を重ねて近づける予定。
求めるものを”みる(撮る)”事が出来るか?
分からないからこそ実行するのだ。
★琴さん_第一回個人撮影(2009/8/17・月)より
★ぜろさん_第一回個人撮影(2009/7/4・土)より
『泣く』という行為と『笑う』という行為、まるっきり逆の行為であるにも関わらず、表出する状態が似通っているという事実に不思議な感覚を感じた。
拒食症と過食症、原因は同じで単に出方が違うだけで同じ病気であるというのが私が知りうる限り一番新しい情報だ。
私は特に信仰する特定の神も宗教も持ち合わせていないが、同時に様々な神や宗教に興味を持ちある意味その全てを信仰しているといっても良いかもしれない罰当たり者だ。
宗教は大きく一神教と多神教に分類できるけれども、一神教の代表であるキリスト教において『人』は『神』の御姿に似せて創られたとなっている。そしてその『人』は自分の姿に似せて『人形』を創った・・・。
神⇔人⇔人形
という関係性に言葉に出来ない何かを感じずっと考え続けているのだけれども、何について考えどんな答えを期待しているのか分からずに考え続ける私はきっと愚か者だ・・・。
しかし唯一はっきりしている事は私は『人』という存在に大変興味を持っている。
それだけは確かだ。
『人』
『人』とは『何か?』
『人』は『神』と何処が違うのか?
『人』は『人形』と何処が違うのか?
定義したところで何が変わるわけでなし・・・しかしそれでも考えてしまうから愚か者なのだ・・・。
眼鏡をかけて視力を矯正している私は眼鏡という存在を通して初めて他者と共通のモノを”みて”いるという前提に立つ事が出来る。しかし眼鏡がなくとも私は”みて”いる・・・、しかしそれは他者と共通のモノではない。では”みる”という行為とは何だ?そんな理由で”みる”という行為にとてもよく似たカメラという存在を通して改めて世界を”みる”事を始めた。出来上がった写真は私が”みる”世界だ。そしてそれは私が”みる”世界を他者と共有できる唯一の媒介だ。”共有”がたとえ”錯覚”という名の”幻想”であったとしても所詮この世は”ゆめまぼろし”。何の不都合があるだろう・・・。
非日常的な世界観にロリータ系の服を身にまとった女の子を配し、人の象徴となり得る『ペルソナ(ベネチアンマスク)』と『制約(バラのつた)』を加える。人である女の子をあたかも『人形』のように”みる(撮る)”事で逆説的に浮かび上がるであろう『人らしさ』を”みる(撮る)”。
まだ2回目で「人である女の子をあたかも『人形』のように”みる(撮る)”」レベルに達していないけれど、回数を重ねて近づける予定。
求めるものを”みる(撮る)”事が出来るか?
分からないからこそ実行するのだ。
★琴さん_第一回個人撮影(2009/8/17・月)より
★ぜろさん_第一回個人撮影(2009/7/4・土)より





