8月に入り海辺へ行ったり来たりの若い親子の声があけっぱなしの家の中に

響いてきます。私までもなごやみます。


盆が近くなり、お隣さんと墓掃除に早朝いきました。

今年も新盆の方が多かったのか墓に飾りの紙が風にゆらゆらと目にとまります。


8月8日の新聞・・・・・涙の散骨をよんで思ったこと

私は長女、一人っ子です。70歳近くなりました。

明治の母は子は親の面倒をみるもの、長男、又は長女は家を継ぐ者と

教えてそのように生き95歳で死んでいきました。

素直な気持ちで墓を新しく立て替えました。

水はけが悪く水がたまる中に先祖や新しい骨を納めておくのがつらかったのです。

墓を考えるようになったのは、自分の体が老いにむかってくるようになったからでしょう。

母たちにはそうしました。

私は生きている時間が大切で死んでからはどうでもよいと思っています。

長い間からの風習を受け継いで生活してきている私は今年もまた同じように

仏壇の飾りものの色紙をつくることでしょう。これも一つ大事な時間です。