愛とは、積み重ねだと思う
その人を想う時間がどれだけか
その人のことで涙をどれだけ流したか、
その人にどれだけ笑顔を向けたか、
その人をどれだけ赦したか、
その人をどれだけ思いやったか、
その人にどれだけ感謝したか、
その人と共に過ごした時間はどれだけか、
そしてその人と会えなくなった後でもどれだけ思い返したか
何か1つが続けばいいというものではなく、感情ほぼ全てをその人に捧げ続けた、過程とその全てなのだと思う
一滴の水から始まった何かが、やがて水溜まりとなり池となり湖となり、海となり
どこの時点で愛と呼び始めるかは人それぞれだと思うが、深く大きいほど深い愛なのだと思う
ひとつの種から始まり、草も花びらも花自体も枯れた花も、枯れた後も思い続けた時点で、全てが愛なのだと思う
つまり、愛はその瞬間で捉えられるものではなく、もはや人生の最期に決まるものでもなく、永遠に続き永遠に大きく深くなっていくものだと私は思う
その出発点がどこかはわからないけれど
ありがとうや好きや涙の数の多さなのだと思う
日々の当たり前を大切にすることが、愛することの第一歩なのでは、いや愛することというよりも愛に気づく一歩なのだと思う
愛とは相手に伝えた時点で成立することではなく、自分の中の感情の揺れ動きや思考の積み重ねであり、自分の中で芽生えるものなのだと思うから
だから、愛されることよりも愛すことの方が気づきやすく傷つきやすい
そして、愛していた、という過去形はこの理論だと存在しない
愛は永遠に続くものであり、はたまた永遠に続いたものが愛なのだと思う
厳密に言えば、その瞬間瞬間を沢山集めた積み重ねが、愛なのだと思う
これらは全て22歳の人の現時点での見解であり、これからの経験でまた見解が変わるかもしれない。