開いていただきありがとうございます。
初めてのブログですが、ゆるりと書いていこうと思います。
今回は、『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健)の概要と感想についてです。
では、早速まず概要から。
【概要】
まず、概要を箇条書きで簡単にまとめたものが以下です。(ざっくりなので省いているものもあります)
- 原因論ではなく、目的論
- 感情が先に芽生えているのではなく、そう解釈しているだけ
- 与えられたモノ自体に目を向けるのではなく、それ自体をどう使うかが大切
- 劣等感は、成長を促すものでもあるから、悪いものではない
- 劣等感を言い訳にするのは良くない
- 変わりたいと言いつつ、何もしないのは、多少の不自由があっても現状に満足していて楽だから
- 自慢は特別であろうとして、相手を支配しようとしている表れ
- 他者の課題と自分の課題を切り分けて、他者の課題には踏み込まないこと
- 褒めるという行為も上下関係の表れ、感謝を伝えて対等な関係に
- 自己受容、次に他者信頼、その次に他者貢献することで、誰でも幸せになれる
- 人生は刹那の連続
以上です。ざっくり簡単に挙げただけなのに、結構ありますね。
番号ごとに説明しますので、気になった番号を是非ご覧ください。
1と2
『嫌われる勇気』は、アドラー心理学を基に分かりやすく書かれたもので、目的論が大前提にあります。
「過去の出来事(育った環境など)が原因で、苦しいから引きこもっている」というのは原因論で、
「引きこもるために、過去の出来事を苦しいと解釈している」というのが目的論です。
引きこもったら周りから心配される。引きこもったら他人が優しく接してくれる。そのために過去の出来事を苦しいと解釈している、というのがアドラーの考え方です。
3~5
世の中の多くの人が、何かしらの劣等感を抱いているかと思います。
ここで言う劣等感とは、自分が理想とする状態と現状を比べた際に、感じるモノであり、決して人と比較したモノではありません。劣等感を抱くことは決して悪いことではなく、むしろ自分の理想の状態が見えやすくなるので、成長を促すモノとなり得ます。
しかし、劣等感を言い訳にして、何かを語るのは劣等感コンプレックスと言い、良くないようです。(例:背が低いからモテない、学歴が低いから成功出来ない)
アドラーによると、見方を変えたり、与えられたモノ自体に目を向けるのではなくどう使うか、が大切だと言います。
例えば、背が低いことは、他者に威圧感を与えないという長所になるし、学歴が低いから勉強をする、という感じです。
6
現状の不満や○○したい、などを口にしながらも、何も変えない人は、結構いるかと思います。
アドラーは、変わりたいと言いつつ、何もしないのは、多少の不自由があっても現状に満足していて楽だからと言います。
これも目的論に繋がってくるところがありますね。
例えば、外に出たいと言いつつ、ずっと引きこもっているのは、自分が傷つかなくて楽だから、といったことです。
7と9
よく、叱らないで褒める、と語られますよね。
これは対等な関係でしょうか?
アドラーによると、叱ることも褒めることも上下関係の表れだそうです。
叱ることはもちろん、褒めることも、相手の能力を下に見ていたから褒めるのであって、対等な関係とは言えません。
ではどうすればいいか。感謝を伝えることが大切なようです。
また、よく人に自慢する人もいますが、それも支配の表れだそうです。自慢して、自分はこんなにも凄いんだと披露することで、上下関係の上に立とうとしているのです。
8
人からの評価を気にしてしまう、誰かに言われた言葉ですぐに傷ついてしまう。このような人は少なくないかと思います。
そんな人には、是非、「他者の課題と自分の課題を切り分けて、他者の課題には踏み込まない」を意識してもらえたらと思います。
例えば、友達と話していて、自分の意見を否定されたとします。しかし、その否定は友達の思考回路から出たモノ、すなわち友達の課題であって、自分にはどうすることもできません。なので、そういう考え方もあるんだーと考え、その友達に振り回される必要はないのです。
また、友達が何か悩み事をしていた時、それにあまり首を突っ込まない方が自分のためです。ついつい否定してしまったり、意見を押し付けてしまうこともあるかもしれませんが、最終的に行動するのは友達です。とはいえ、放置しておけというわけでもなく、選択肢を与えるということをすれば良いのです。こういう考え方ややり方もあるよ、と提示することで、援助できます。
10
幸せになるには、自分を好きになるには、他人から嫌われる勇気を持つには具体的にどうすれば良いか。
アドラーは、自己受容、次に他者信頼、その次に他者貢献することで、誰でも幸せになれると言います。
自己受容は、自己肯定感とは違います。
自己肯定は「出来ないのに出来る」と暗示することで、ある意味自分自身に嘘をついている状態です。
自己受容は、出来ない自分を、ありのままに受け入れて、出来る限り前に進もうとすることです。
自分が出来ること・出来ないことを明白にして、また、変えれること・変えられないことを明白にして、その状態を受け入れるのです。変えれることは変えていけばいいし、変えられないことは見方を変えます。
信用と信頼もまた、意味が異なります。
信用は、条件が付いたうえで、信じること。信頼は無条件で信じることです。
信じた結果悲惨な目に合っても、それは他者の課題であり、自分にはどうすることもできません。そこは線を引いて信じ続ける。そうすることで、他者と対等な関係が築けます。
他者貢献は、人から与えられるモノばかりを気にするのではなく、自分が他者に何を与えているかを気にすることです。
それを自覚して、自分の価値を自分で決めることで、自分には生きている価値があると認めることが出来ます。
例えば、「誰からもお礼を言われないけど、手伝った」は、お礼を言われることに注目するのではなく、自分が手伝ったことに注目するのです。また、たとえニートだったり引きこもりだったとしても、存在していることに価値があります。行動だけでなく、そこに居るということから、私たちには生きてる価値があるのです。
11
アドラーによれば、人生は刹那の連続だそうです。
過去ばかり、あるいは未来ばかり、気にするのではなく、今を生きろと。
行動するのも見方を変えるのも、今出来ることです。過去や未来の不安を理由に変わらないのではなく、今この瞬間から、変わろうということです。
以上が『嫌われる勇気』を簡単にまとめたものです。
何か、言葉足らずであったり説明不足であったり、解釈違いなどあったら、是非仰ってください。
(私はあまり説明が上手いわけではないので、、、)
これは、アドラー心理学の考え方であり、この考え方が絶対というわけではありませんし、他の考え方を否定しているわけでもありません。様々な考え方があっていいと思いますし、選択肢の一つとして、取り入れてもらえたらと思います。
【感想】
私の感想を書いていきます。
結構、アクティブな本ですよね。ガツガツ行け!みたいな。特に目的論はまじかーと思いました。
私はもともと原因論派で、辛いからバイト辞めたり、辛いから不登校になったり、もう心当たりを挙げたらキリがありません。まあでも、後悔はしていません。目的があって辛いと解釈していたとしても、結局辛いと感じていることに変わりはないのですから。
でもこれからは、辛い時は思いっきり落ち込んで、少し落ち着いたら、どんな目的があるのか、自問自答してみようかなって思います。自問自答した末に見えた目的で、自分のことが嫌いになりそうだったら、気持ちを切り替えようかなって思います。
例にも挙げた「傷つかないために引きこもってる」とか、別にそれでもいいじゃんって思いますし、全てをシャットアウトしたい時だってあります。
ただ、8の「他者と自分の課題を切り分ける」は結構有効だなと思いました。私自身、他人の目を気にしすぎたり、傷つきやすい部分があるので、都度、これは誰の問題だ?と冷静に考えていくことで、軽くなるかもって思いました。
本当に追い込まれた時って、視界が狭まって白黒思考になって、考える余裕すらないけど、
少し冷静になった時とか、変わりたいなって思った時、アドラー心理学の考え方をしてみて、自分を癒そうかなって思いました。
他者信頼とか、一番難しいし、一生出来る気しないけど、、(笑)
でもまあ、ゆるりゆるら、やっていこうと思います。
次はどんなブログ書こうかな。
読んでくださった方、ありがとうございました。