さて・・・打ち上げで、台詞合わせの頃の話になりました。
実は私、メグ先生に…台詞合わせで叱られていたのです。
メグ先生は「素人の発表会」という次元で仕事をする人ではなかったのです。
「学芸会ちゃうねんから!」
すごい気迫でした。
今までの打たれ弱い私なら、即座に挫けて終わりだったとおもいます。だけど私は挫けることも無かったし、いつかの東京での出来事のように辛いこととして思うことも無かったのです。むしろ先生が私を個を持つ人間として深い次元で認めてくださってるからこその言葉・・・。実はその頃、私は浜崎あゆみさんの「INSPIRE」のPVをみて、その表情を研究したのでした。
「普段の、めふぃのままでいい。素の演技をしてや~」
先生に、そう指導して頂いていたのに、必死で「作った」のです。
「わたしは、あゆじゃないんだ・・・」
そういえば浜崎あゆみさんに憧れてモデルとか何がしかのプロになった人がよく、そう言っておられます。もはや「ファン」ではなく、自分が表現者である立場に変化するからこそ言える言葉だったのだろうかと思いました。
36歳の私が、この派手な格好に辿り着いて、普段何気なく見せている私を体現したキャラクター、舞台の役柄がそれそのものでした。メグ先生が、私を「自信なさそうなのに個性撒き散らしまくりのオカマ」の役に使ってくださったのです。なのに「私」を偽って、やれもせんのに「あゆもどき」を急造した演技。自分に適しているとして与えられた役…つまり自分自身を偽ったことを、一瞬で見ぬかれてしまった・・・。
そんな素人判断で、厳しいプロの目を誤魔化せると思うほうが間違いだった・・・。
実際、舞台本番で合わせてみれば、綿密に練られた先生の指導の意味が解りました。ただ、ひたすら大きく派手に…と考えていた頃の私にとっては意外だったステージでの「素の演技」。
子供の頃から、いつも学校でスタンドプレーをやると減点主義の父やそれに従う母が喜んだ、そのことで付いた悪癖。
だけど、本物の舞台ではスタンドプレーなんて誰もやっていないのです。
舞台全体が1つの流れであり芸術作品。
しっかりと その一部になることがプロ・・・。
舞台裏の人、企画、広報、印刷、そしてプロの芸人さん。
多くの人々が、1つの世界を創っていく・・・。
決して一人で完結していることなどなくて、信頼で繋がる人々の結晶。
それが、プロの仕事だったんです。
メグ先生は仰いました。
プロは、どんな仕事でも、仕事をもって何かを伝えるメッセンジャーだと。
芸人ならお客さんの何人かは、人生に影響を受ける人がいる。
芸は重い。
芸は、演ずる人の人生が出る。
だからこそ、今まで私が苦しんだことも全部、生きてくるんだと。
メグ先生は、とても仕事に厳しくて、人に優しい先生です。
私に「自殺なんかしたらなぁ、ふざけんなって叫びながら墓石を蹴ったおしにいくで」と言ってくださいました。
もはや、自分に流れる父の血を呪う必要なんか・・・無いんだ。
「めふぃ~、一緒にやらへん?」
私の進むべき道が、決まりました。
33歳、女性の社会進出に反対し、女性を嫌悪していた私。
35歳、沢山の女性に育てられ、大事にされた私。
36歳、プロの女性を尊敬し信頼して付いて行くことになった私。
それこそ「結婚できテない男たち」ちゃうんかと。
いや実際、結婚は絶望的に遅れてます。
というか、28歳を最後に、恋愛も無いままです。
20代で家を出たくて必死になればなるほど、遠のいた結婚。
今となっては…それよりも、やりたいことがある。
私…芸能人に なりたい。
「一人の有名人」ではなく、芸術の一部になりたい。
多くの人に大事にしてもらった。
今度は、苦しんでる人々に笑ってもらえたりする、自分になりたい。
あらたなる地平・・・
それは、私自身の中に既に、そして確実に存在していたのです・・・。
実は私、メグ先生に…台詞合わせで叱られていたのです。
メグ先生は「素人の発表会」という次元で仕事をする人ではなかったのです。
「学芸会ちゃうねんから!」
すごい気迫でした。
今までの打たれ弱い私なら、即座に挫けて終わりだったとおもいます。だけど私は挫けることも無かったし、いつかの東京での出来事のように辛いこととして思うことも無かったのです。むしろ先生が私を個を持つ人間として深い次元で認めてくださってるからこその言葉・・・。実はその頃、私は浜崎あゆみさんの「INSPIRE」のPVをみて、その表情を研究したのでした。
「普段の、めふぃのままでいい。素の演技をしてや~」
先生に、そう指導して頂いていたのに、必死で「作った」のです。
「わたしは、あゆじゃないんだ・・・」
そういえば浜崎あゆみさんに憧れてモデルとか何がしかのプロになった人がよく、そう言っておられます。もはや「ファン」ではなく、自分が表現者である立場に変化するからこそ言える言葉だったのだろうかと思いました。
36歳の私が、この派手な格好に辿り着いて、普段何気なく見せている私を体現したキャラクター、舞台の役柄がそれそのものでした。メグ先生が、私を「自信なさそうなのに個性撒き散らしまくりのオカマ」の役に使ってくださったのです。なのに「私」を偽って、やれもせんのに「あゆもどき」を急造した演技。自分に適しているとして与えられた役…つまり自分自身を偽ったことを、一瞬で見ぬかれてしまった・・・。
そんな素人判断で、厳しいプロの目を誤魔化せると思うほうが間違いだった・・・。
実際、舞台本番で合わせてみれば、綿密に練られた先生の指導の意味が解りました。ただ、ひたすら大きく派手に…と考えていた頃の私にとっては意外だったステージでの「素の演技」。
子供の頃から、いつも学校でスタンドプレーをやると減点主義の父やそれに従う母が喜んだ、そのことで付いた悪癖。
だけど、本物の舞台ではスタンドプレーなんて誰もやっていないのです。
舞台全体が1つの流れであり芸術作品。
しっかりと その一部になることがプロ・・・。
舞台裏の人、企画、広報、印刷、そしてプロの芸人さん。
多くの人々が、1つの世界を創っていく・・・。
決して一人で完結していることなどなくて、信頼で繋がる人々の結晶。
それが、プロの仕事だったんです。
メグ先生は仰いました。
プロは、どんな仕事でも、仕事をもって何かを伝えるメッセンジャーだと。
芸人ならお客さんの何人かは、人生に影響を受ける人がいる。
芸は重い。
芸は、演ずる人の人生が出る。
だからこそ、今まで私が苦しんだことも全部、生きてくるんだと。
メグ先生は、とても仕事に厳しくて、人に優しい先生です。
私に「自殺なんかしたらなぁ、ふざけんなって叫びながら墓石を蹴ったおしにいくで」と言ってくださいました。
もはや、自分に流れる父の血を呪う必要なんか・・・無いんだ。
「めふぃ~、一緒にやらへん?」
私の進むべき道が、決まりました。
33歳、女性の社会進出に反対し、女性を嫌悪していた私。
35歳、沢山の女性に育てられ、大事にされた私。
36歳、プロの女性を尊敬し信頼して付いて行くことになった私。
それこそ「結婚できテない男たち」ちゃうんかと。
いや実際、結婚は絶望的に遅れてます。
というか、28歳を最後に、恋愛も無いままです。
20代で家を出たくて必死になればなるほど、遠のいた結婚。
今となっては…それよりも、やりたいことがある。
私…芸能人に なりたい。
「一人の有名人」ではなく、芸術の一部になりたい。
多くの人に大事にしてもらった。
今度は、苦しんでる人々に笑ってもらえたりする、自分になりたい。
あらたなる地平・・・
それは、私自身の中に既に、そして確実に存在していたのです・・・。