私が女装する理由は性同一性障害でもなんでもなく、性的トラウマだった。
私は10年前、性犯罪に遭った女性の過去の傷に共感しすぎた。
その傷を受け入れられなくなり、男性であることに疲弊していたのだが
三島の様に、より一層「男らしさ」に拘った。
・・・そんな、女装を知らないころの私は「時代」を侮っていたし、
そこに、答えなど無いと思っていた。
むしろ時代が故に私は不幸なのだと・・・。
「思想」の定義する秩序が心地よかったと思う。
そんな私が、はじめて神戸コレクションに行ったのは2005年S/Sだった。何故かは解らない、私自身の何かが、ソレを望んだ。
毎週の様に、MBSのベリータという番組にチャンネルを合わせて、その上品なセンスに溢れた雰囲気が男性であるはずの私に、心地よく感じられていた。女性文化が咲き誇る現代、それを男性差別であると嫉妬することなら簡単だった。だけど・・・ほんとうは、私も癒されたいのではないのか?・・・妬むより、横取りしてみたらどうだろうか。ベリータ・・・それは新たなる場所への誘いだったと、思う。
そして神戸ファッションマート・・・足を踏み入れて・・・私は言葉を失った。光と音が震える世界。これが女性の文化、女性の心を癒し、虜にする巨大なる装置。
男性と違い、思春期から毎月の不快を抱えて生きる女性・・・
親子関係、夫婦関係、それら家族の中で甘えが集中する女性・・・
その心を癒すもののひとつが「ファッション」だったのか・・・。
女性の過去の傷に共感しすぎて、疲れ、人間を嫌いになっていた私が元気になっていた。
どっかーん!・・・と、心の闇を跳ね飛ばす迫力。限られた時間だけ見られる夢。
女性が、女性として生まれて良かったと思える演出
「女性の文化が・・・咲いている」
モデルのウォーキングのひとつひとつに私は震えた。
ミニスカートとロングスカートで歩き方も違うんだ・・・。私、ただただ何も知らずに社会や文化を語って批判していた。
私は、今の時代の女性たちのこと、若者のことを、なんにも解ってなかったな。
日本橋で電子部品を漁り、戦車のプラモデルを作るのが好きなオタクだった。派手な現代女性を嫌悪し、軽蔑していた。そして、勝手に、女性に絶望していた。
そんなオタク風情が、自分の好みで服を買い始めた途端、足を踏み入れた女性文化とファッションの聖地、神戸コレクション。
極から極への大移動。我ながら無茶をやると思った。
・・・だけど、いずれここが私の「場所」になるのだった。
私は10年前、性犯罪に遭った女性の過去の傷に共感しすぎた。
その傷を受け入れられなくなり、男性であることに疲弊していたのだが
三島の様に、より一層「男らしさ」に拘った。
・・・そんな、女装を知らないころの私は「時代」を侮っていたし、
そこに、答えなど無いと思っていた。
むしろ時代が故に私は不幸なのだと・・・。
「思想」の定義する秩序が心地よかったと思う。
そんな私が、はじめて神戸コレクションに行ったのは2005年S/Sだった。何故かは解らない、私自身の何かが、ソレを望んだ。
毎週の様に、MBSのベリータという番組にチャンネルを合わせて、その上品なセンスに溢れた雰囲気が男性であるはずの私に、心地よく感じられていた。女性文化が咲き誇る現代、それを男性差別であると嫉妬することなら簡単だった。だけど・・・ほんとうは、私も癒されたいのではないのか?・・・妬むより、横取りしてみたらどうだろうか。ベリータ・・・それは新たなる場所への誘いだったと、思う。
そして神戸ファッションマート・・・足を踏み入れて・・・私は言葉を失った。光と音が震える世界。これが女性の文化、女性の心を癒し、虜にする巨大なる装置。
男性と違い、思春期から毎月の不快を抱えて生きる女性・・・
親子関係、夫婦関係、それら家族の中で甘えが集中する女性・・・
その心を癒すもののひとつが「ファッション」だったのか・・・。
女性の過去の傷に共感しすぎて、疲れ、人間を嫌いになっていた私が元気になっていた。
どっかーん!・・・と、心の闇を跳ね飛ばす迫力。限られた時間だけ見られる夢。
女性が、女性として生まれて良かったと思える演出
「女性の文化が・・・咲いている」
モデルのウォーキングのひとつひとつに私は震えた。
ミニスカートとロングスカートで歩き方も違うんだ・・・。私、ただただ何も知らずに社会や文化を語って批判していた。
私は、今の時代の女性たちのこと、若者のことを、なんにも解ってなかったな。
日本橋で電子部品を漁り、戦車のプラモデルを作るのが好きなオタクだった。派手な現代女性を嫌悪し、軽蔑していた。そして、勝手に、女性に絶望していた。
そんなオタク風情が、自分の好みで服を買い始めた途端、足を踏み入れた女性文化とファッションの聖地、神戸コレクション。
極から極への大移動。我ながら無茶をやると思った。
・・・だけど、いずれここが私の「場所」になるのだった。