なにごともなく毎日を過ごせることのありがたさキラキラ…ふつうに生活していたら当たり前に思うことです。
でもそれが当たり前じゃなくなることもあるんですよねドンッ

 「ひとのおうちでおきていることは自分のうちでもおこりうること」 こどもにも時々話すことです。失くしてみないとわからない、という厳しい教訓を受けなくてもすむようにという親心からですが…。恵まれた環境の中ではなかなか分からないこと…でも、「絶対」ということはないと私は思っているのです。
 自分の力ではどうにもならないこと、ままならないことを生活の一部として常に心配しながら、不安を抱えながら暮らさなければならなくなることもあります。

 それを思えば、当たり前に見える自分の持てるもの全てがありがたく思えてきます。

 (病気を抱えながらでもありますが)家族が健康で過ごせること、(古く小さくても)家族仲良く住む場所があること、(最少人数でも)自分の家族がいてくれること、(減収リストラ心配あるけど)働いてくれる夫がいること、(事故なく)こどもが元気に学校に通えること、(だんだん問題心配事も出てくるけれど)おじいちゃんおばあちゃんが傍にいてくれること、辛い時も支え合える知人友人がいること(これはもっと広げていきたいデス)、(保健所行きになりそうなコでしたが)にゃんこやわんこがかえること、(ネコの額ほどですが)お庭に好きなお花や野菜を植えられること…など…どんなささやかなことでもその全てがけっして当たり前ではない、恵まれたことに思えます。上を知らないとしても、自己満足だとしても「幸せ者だなぁ」って思えちゃいますよ。幸せって、感じたもの勝ちですから(*゚ー゚*)…ほかに何を望むかって、はてなマーク…「十分です」って頭を下げたくなっちゃいます。

 ひとつひとつ欲を言えば「もっと…もっと…」とその状態にまで文句までもつけたくなることもあるかもしれませんが…それを失くしたら…って想像してみたら…叫び

 私は20代でたまたま冒険させてもらえる機会があり、それで得た満足感はとても大きいものでした。家族が大病する経験も大きく影響して…、30代でもう自分のことはいいから人にできることをしてあげよう、と思ったのを覚えています。質素に最低限生活できればいいと思っているし、物にたいする欲があまりないかわりに、目に見えないものに価値を見出すようになってきましたかねぇ。

 人によって生活環境は異なりますから人が持ってるものと自分が持ってるもは違うものだし、それを比べる必要は全くありませんよね。自分がもてないことを見るのではなく、自分が持てるものを見つめてあらためて感謝の気持ちを忘れずに…過ごしたいものですドキドキ(*゚ー゚)ゞ ハイ