時代が変わり、自由に遊ぶ環境も減り、元気な子供の遊び声を聞く機会が減ったのはとても残念です。

外で自然に触れ、移り行く季節を肌で感じながら、五感をめいっぱい使っての外遊びが子供に与えてくれるものは計り知れないものがあると思います。


 私の幼少期は、市内の戸建ての団地でしたが、季節の到来を各庭から漂う花の香りで感じたのを覚えています。そして、近くの公園や空き地では、いつも子供たちが遊んでいました。

 春は梅、沈丁花、夏はクチナシ、栗の花、秋はキンモクセイ、また雨が降る前の風の匂い、秋の夕暮れの切り絵のようなオレンジと黒のコントラスト、雪の降った夜の光り輝くような明るい庭先など、子供ながらに、感じ、驚き、楽しんだように思います。

 泥を触った時のあのひんやりした滑らかな感触、砂場での崩れないトンネルの作り方、生き物の上手な採り方、探検、父の帰宅時間を気にしつつ夕暮れに溶け込みながら息を潜め木陰から見つめた鬼の友達のシルエットなど心に残るものは数え切れませんが、それらは、どんなおもちゃよりもシゲキ的で楽しく、私の体に刻まれたように思います。


 何も無いところから、子供同士で話し合いながら楽しみを見つけていく力をはぐくむ場、そして発想力、想像力、社会性、判断力、実行力、防御力などさまざまな学びを実体験から得られるまたとない機会です。

 ゲームは大きくなってからでも十分出来ますが、そういった遊びは幼少期にしか出来ない事です。


「あ~、つまんない!」と子供がこぼす時の私の口癖ですが、「楽しみは自分で作り出すもの!」


 本来子供は自然に楽しみを見つけられるものだと思います。与えられたものが無いと自分から楽しみが見つけられない…ということでは残念ですよね。それは大人になってからも発揮できる力になると思います。

 大人になっても、何も無くても自ら楽しみを生み出せるようになって欲しいと願います。


子供は子供同士、外でいっぱい遊びましょう!ハチ (安全面には注意しましょうね!)