人間て、
こころや精神は
過去何百年も、
科学と違って
進歩も成長も無いじゃないか?!
大昔から全然変わってない!!
何故なんだろう?
それはまだ、私が社会を知る前の
ある日、沸いた疑問。
珍しく顔を合わせた父の目のまえで
これを尋ねるともなく
つぶやいてみました。
私がリコネクティ・ヒーリングを学んで、
最初の被験者は両親でした。
今日は、その後のストーリーから。
さて、話は戻って
先程の疑問に父は、ただ笑顔を向け
少し考えに耽って答えはせず
スッとどこかへ
(おそらくは母に課題を向けようと)
行ってしまいました。
でも、当時の
私には、
久々のこの場面での
その時の父の微笑みは
充分なコミュニケーションでした。
また、何年か経ってから
真実は、自分で
苦労して
見つけるものだ
家族の問題に無関心な
父を、私が非難していたのか、
会話の内容は忘れたのですが、
意外にもそんな言葉が返ってきたことを
覚えています。
家を出てからの私は
その後何十年も
ポイントの
『真実は自分でしか、
見つけることは出来ない』
が、指針として残りました。
そして
この『苦労』のあり様に
千差万別、時に不条理を感じながら
まるでドラマのごとく
様々の出来事に遭遇していきました。
再びわたしが郷里に戻ったのは30年後。
老いた父は、母の面倒をみようと
頑張っている姿がありました。
そこでは、もう
非難の材料にこだわるより前に
対処、行動が必要なことの全てでした。
(介護問題が唐突にやって来た!)
さらに5年を経て、やっと、
素直に手を差し出し合って、
危うい歩行を助けて歩く父娘になれました。
頑固、純粋さ、自由を求める心において、
よく似てしまうからこその
固執の寛解劇でした。
これ、
わたしには感涙の沸く
リコネクションから、派生した
大切な流れの一つでした。
母の部屋には
アセンションにまつわる本が残っていました。
この先も一緒に
新しい世の中を見ようと、
心の中では、おりにふれ語りかけています。(今のとこ不思議なほど健在です)
立ち戻れば
感涙の記憶写真として
ささやかな瞬間の1ページを
掘り起こすまで長い間かかりましたが、
リコネクション以外様々
情報を得た結果、
やはり、ここからスタートしてることは、
間違いありません。
原風景の一つを
今は感謝から観るようになれた、
宝物を見つけた、という話でした
最後まで、お読みいただき
ありがとうございます