私は、1番(主役)になることにこだわっていません。
どちらかというと、1番になってしまうと、目立ってしまうし、2番目の立場位にいて、1番になるひとを引き立てるのが好きです。
人の引き立て役に立つのが大好きで、自分が主役になるのが嫌いなんですね。
目立つのが嫌いですし、1番じゃなくて、2番目にいることで自分を目立たなくして、1番の人の引き立て役をすることが大好きです。
脇役がすきだってことです。黒子とか、縁の下の力持ちとかね。
だから、ちょっと変わっているかもしれませんね。
他の人たちはどちらかというと、主役になることを目指しているかたが多いと思うので。
主役って、かなりな器と才能がないとだめですよね。
みんなをひっぱっていくような人。
みんながついていきたくなるような人。
私は、自分が一歩引いて、自分の気に入った大好きな人を引き立てることに幸せを感じるタイプ。
だから、1番ではなく2番目の立場で1番目にいるひとを見守るのが大好きです。
だから、1番の人に万が一、勝負を持ち込まれたら、私は不戦勝で、勝負をせず負けを選びますね。
その1番の人が好きなために、自分は身を引くんです。
私が万が一勝ってしまったら、その人は、プライドズタズタなわけですからね。
どうしてもというのであれば勝負を受けますが、受けたとしても、相手を超えないで負けるようにもっていくと思います。
そういう立場にいることが私は昔から好きでした。
自分が主役になるのは本当に嫌で、自分がみんなから好かれたと思うと、わざと嫌われるようなことをして、人を突き放すんです。
なんで、そんなひねくれたのかが分かりませんが、自分が出来すぎることで他人を傷つけることもあるっていうことを、知ってしまったからだと思います。
ですから、応援している人のサポート役に回ることで、その人の能力を最大限引き出そうとしているんですね。
それに、その素質があることが分かっているからこそ、そういう気持ちになるわけです。
だから、すきなんですよね。
吹奏楽の時に、1番の楽譜を演奏していた先輩のサポート役の2番の楽譜を演奏していた時は、本当にそういう気持ちでやっていました。
でも、2年目は、自分と同学年の人が1番の楽譜になり、その人のことは好きになれず、それでもサポートをしなければならないっていうのはかなりきついことでしたが、でも、1年目の時の先輩に対してしていたことと同じようにサポート役をしました。
引き立て役です。
でも、やはり、気が合わない相手に合わせることほど、難しいんですよね。
とにかく、1番の立場になることは、ずっと避けていましたね。
私は1番を目指して1番をとっているわけではなく、自分がしたいようにしていたら、なっていたってことが多いです。
目標は1番を目指していたとしても、それはあくまで目安であって、1番のイメージのレベルはひとそれぞれ違うわけです。
私の1番のイメージはほかの方の90%くらいの位置なのかもしれないし、120%の位置にあるのかもしれません。
私は人と比べての1番を目指しているのではなく、自分の一番最大限の限界を1番の基準としているだけで、人と競っての1番は目指していません。
そこが、人とちょっと違うところです。
私を負けず嫌いにとらえるかたは、間違っています。
たぶん、そう、とらえている人こそが負けず嫌いなんでしょうね。
私は、自分の決めたことを忠実にこなしていくだけの事です。
自分がこれと決めた目標は、人に言われて立てた目標と違って、ほぼ、絶対なんです。
人に促されて目標を変えたりしたものについては、結構、約束破りをします。
ですが、自分が本当にこれって決めて、誰にも指図されずに決めたことに対しては物凄く絶対なんです。
その、決めたことに対しての目標達成にはものすごく厳しくて、でも、目標が達成してしまえば、もう、私はそれでそれ以上はもがきません。
今度は、その能力を使って、いろんな他のことに役立てようと考え始めるのです。
それを人に教えるとかもそうだし、その能力を使って、まったく、考えもしなかった組み合わせや使い方を編み出して、自己流のオリジナルを考えて行くんです。
誰もやったことのないことを、見つけ出すことがすごく楽しいし、編み出すことも好き。
だから、負けず嫌いって私をとらえる人がいるのなら、そう思った本人こそが負けず嫌いで、負けたら終わりって思っている方だと思います。
負けたら終わりじゃないです。負けも、始まりです。
負けた人間にしか分からないことがあるからです。
自分が苦手だった教科ほど、他人に教えるときに、役に立ちます。
こう勘違いしやすいけど、こうなんだよっていうノウハウが分かる人は、苦手だった人の身に分かる権利だからです。
すんなり進んでいってしまった人は、人がどういうミスを犯すのか分からないわけです。
ですから、私は、目指しているのは1番っていうのは、私の限界をさしていて、人と競っての1番ではないんです。
今でも人と自分を比べることは一切していません。比べているのは自分自身。前にも言った通り昨日の自分、過去の自分です。
人と優れているからと優越感を持てないとダメなんてことはありません。
むしろ、優越感なんてもちたくない。自信を持つことは大事だけど、この人よりはマシだなんていう優越感はもちたくない。それは酷い考え方だと思っています。
勝たなければ、幸せになれないなんて、絶対におかしいですから。
選ばれることが幸せってこともないですから。
自分の気持ちが気が済むように、後悔しないように、進めていくことが、本当の幸せを得ることだとおもっているからです。
相手がどうしても1番の立場にいないと、プライドが高すぎてダメなタイプだと分かれば、その自信をつぶしたくないが為に、私は、1番を譲ってしまいます。
そういう、ちょっと変わっているところが私にはあります。
私は、1番という立場にいなくても、それなりに楽しめる自信があるからです。
常に、脇役に徹していたいんですね。
相手と競って勝つことを、あまりよくおもっていなくて、勝負の世界は今でも嫌いです。
人がほしいと思っているものや立場ほど、私にとってはいらないものです。
私は常に、人が欲しがらないものに向かっていくんです。
競うことが本当に嫌い。そんなことがあるから、人と険悪なムードになるからです。
人と楽しくやっていくために、自分は、能力があることを隠します。
そういうタイプです。昔から私は。
その能力はずっとしまわれて、表舞台に立つことはないでしょう。
それでも私は、全然、不幸ではないです。
人が気分よくしていられるなら、それでよく、険悪なムードや衝突になることだけはさけたいんですよね。