特に何をしたということはないのですが、

神だなにそえるお水の器が

いつもより大きくなる日です。

 

母方の祖父が南方帰り。

その戦友はインパール帰り。

そして内地にいた祖母は、東京大空襲を生き残り

8月15日の玉音放送を、実際聞いているのですが

ハレーション起こしていたのか、

その実、よくわからないまま、周りの雰囲気で

大東亜戦争が終わったと認識した模様。

同じころ、

神戸の空襲の中、看護活動をしながら生き抜いた

姑さんは当時、まだ20歳になる頃。

広島に原爆が落ちた日の朝、空が変に明るかった。

焼夷弾ってね。嫌いけどきれいなの。

病院が鉄筋だったから、全部はじいてくれて

助かったと。

身近で当時を知る人たちは、こんな感じです。

 

マレーの人たちに、畑旁を教えたとか、

原住民から、蛇を退治してくれ地頼まれ、

数人で蛇がりをしたとこか

祖父も話をし出すと長くなるし、

半分は空気いりでしょう。。。と、

子どもの頃は、思っていて、

真に受けないでいたのですが、

所属部隊名くらい、

ちゃんと聞いておけばよかったと

大人になって後悔。

 

靖国には、何となく行きづらいのか、

毎年この時期なると、うちで祖父と戦友と二人

ぼつぼつと話していたのでした。

 

子どもの頃

戦争の話を聞いてくる宿題で、

祖父がマレー戦線に行ったと話せば、

戦争に行った人は人を殺しているから、

あなたは人殺しの孫娘と、先生に言われ、

これを含め。赤い先生のおかげで、

共産党はあかんになったし、

授業や一般に流れる戦争のイメージと、

実際、その中を生きた身近な人たちから

垣間見る当時に「ズレ」を感じて、

歴史をさかのぼる様になり、

79年前、終戦の重みを背負ったのが、

鈴木貫太郎総理だったんじゃないか。

そう思いに至りました。

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